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離散的ランドスケープは 二一世紀のヒューマニズムを獲得できるか? | 槻橋修
Can a Discrete Landscape Obtain Twenty-First Century Humanism? | Tsukihashi Osamu
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) pp.134-135

離れ、散らばること

一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄稿してから一〇年が過ぎた。若くして他界したロックスターのごときランドスケープ・アーキテクト、イヴ・ブリュニエ。ポストモダン以降、乖離していた建築と都市との関係を〈ヴォイド〉という概念で再び鮮やかに構造化したレム・コールハース。彼らが行なったことの意味を近代・現代の文脈のなかでどのように位置づけるかが、論全体を通じて私が取り組んだ課題だった。ブリュニエが、まるでなにかに追われるようなスピードで生み出し続けたコラージュ・ドローイングが想起させる都市と自然の格闘のごとき風景、そして建築の概念的な裂け目=建築の余白へと、みずから足を踏み出すことで九〇年代以降の建築に新しい活力を与えることになったコールハースの「ヴォイドの戦略」との〈出会い〉は、当時、原広司のもとで「離散型集落」に関する修士論文を提出しておりながら、近代において〈離散性〉が意味するところを正確に捉え切れていなかった私自身にとって、その理解をさらに深める思わぬきっかけとなったのだった。
離散──離れ散らばること──は、個々が互いにつながりを持たないことを意味する。さらにいえば、個々が空間内で出会うその瞬間において、互いに不連続であるということである。個はそれぞれがその空間に到達する過程をそれぞれ独自に経ているが、出会いのその瞬間、その空間内において、個は互いに不連続なコンテクストを纏っている。手術台の上で出会う〈ミシン〉と〈こうもり傘〉は、互いにまったく異なるコンテクストを纏い、それぞれ固有の場をつくっている。互いに不連続な場を持つ個が同一空間内に居合わせること。それがシュルレアリズム以降の都市空間と人間との間に深く根を張った問題であり、現代建築が直面する形式の不可能性を引き起こしてもいる。「観測者のランドスケープ」というタイトルに込めたのは、観測者によってトリミングされた断片的な「風景」しか存在しないランドスケープの地平であった。遠近法なきランドスケープ、あるいは断片的な「風景」がばらばらと散らばった、離散的なランドスケープである。主体はもはや空間すべてを見渡すことができない。そのかわりに「風景」というトリミングによって空間内に無数のヴューを偏在させる。離散的なランドスケープは、近代における人間と自然との関係の不可逆の変化を告げる徴候だったと結論したのだった。

〈私〉を取りまく境界

このことについて、この一〇年間考え続けてきたが、そのあいだにヘルツォーク&ド・ムロンが境界だけを扱うことで建築が成立しうることを鮮やかに示した。彼らの建築は「風景」の内部から、建築を解体、あるいはむしろ化学分解することに成功した。物体としての建築をいくつもの表層(彼らの建築においては知覚される平面)に分離し、再び合成することで、物質ではなく、現象としてのマテリアリティを建築に付与させるという錬金術を生み出した。離散的な「風景」の断片が、部分的にトリミングされたもの、すなわちレディメイドな風景ではなく、その断片自身において、自律的に存在しうることを示したのである。また妹島和世の《梅林の家》や西沢立衛の《森山邸》は、いくつもの切り取られた「風景」が、無数に重なり合いながら、全方位的に離散することで、「風景」の断片とそれらを成立させている空間の構造との距離を無効化させるような、驚くべき体験を実現した。これらの体験を通して、離散的なランドスケープは単に遠近法がないということではなく、遠近法は空間ではなく主体たる「観測者」のほうに属するものであったことを再認識した。ミース・ファン・デル・ローエの自由壁のように、空間的実体を強固に持ちながらも、遠近法を多様に有するような空間をさらに全域的に拡張したかのような空間の体験。無数の主体が、それぞれに固有で変動する遠近法によって世界を知覚するあり方。私はそれを「環境」と呼ぶのではないかと思っている。地上で現象していることを遙かに超えるかのような情報空間の拡がりに、ようやく慣れ親しんでみて感じるのは、将来、情報化がさらに私たちの生活に浸透していくことで、〈私〉を取りまく境界のみによって世界を記述することが可能になるかもしれないということだ。イスラームの神が世界のすべてを一瞬毎に新しく創造するという全能性に比べれば、デカルト空間を環境すなわち境界の無数の集まりだけで記述し直すことも、いずれ可能になるかもしれないと思える。それが可能になった暁には、〈私〉だけで成立する社会も構想され、機能するだろう。そうなってはじめて本当の意味での「高度情報化社会」が到来するのかもしれない。

建築と都市の「環境」問題

今さら言うまでもないが「環境」の時代は人工 vs.自然という二〇世紀的な対立を跳び超えて、すべてを高度に情報化しようとする時代である。地上のすべてを計測し、すべてのログを取り、そこから政策という名のソリューションを導き出す時代である。建築や、職能としての建築家でさえ、今後さらに情報化を要請されていくことは近年の社会の状況を見ても明らかだ。
友人と美しい庭園を眺めるラウンジに腰掛けながら、携帯電話で取引を行なう。
すでに現在では珍しくない光景だが、建築家にとっては大きな意味を持つ。情報化社会は実空間を相対化し、意識と身体とを切り離すことができる。このことは人間社会にとって新たな可能性を秘めていることも事実である。しかし世界中のすべての建築家が建築家として最後まで譲れないのは、人間が生活する空間が人間によって作られるべきだという点であろう。これは建築家を存在せしめるうえでの必要条件である。信念と言い換えることもできるだろう。ただし感情論ではなく、純粋に技術的な見地からくる信念である。人間が社会のなかで生存していくためには、建築や都市は人間によって構想されていく必要がある。この信念がない限り、建築はグローバリゼーションと高度情報化の波に死滅されられるのではないかという危機感を抱いている。その意味で、建築家は離散的なランドスケープのもとで、再びヒューマニズムを考える必要がある。先に挙げた建築家たちの活動は、建築と都市のヒューマニズムという観点における「環境」問題への先駆的な取り組みとして、私たちに重要な道標を与えていると思う。
中国やインドで進行している急激な都市化、中東で進められている建築オリンピックのような巨大開発など、一九九〇年代と比べても建築家が面している世界の潮流は明らかに大きく地殻変動している。むろん、これらの状況が直接建築の危機を表わすというのではない。しかし、建築家にとって追い風とも向かい風ともなる流れであることは否めない。注意深くこの風に乗り、都市や社会との関係を再び構築できるか。これは建築家に与えられた二一世紀の大きな課題であると思う。

ロッテルダムのミュージアムパーク、ドローイング 引用出典=Yves Brunier: Landscape Architect, Birkhäuser, 1996.

ロッテルダムのミュージアムパーク、ドローイング
引用出典=Yves Brunier: Landscape Architect, Birkhäuser, 1996.

>槻橋修(ツキハシ・オサム)

1968年生
神戸大学准教授。建築家。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>原広司(ハラ・ヒロシ)

1936年 -
建築家。原広司+アトリエファイ建築研究所主宰。

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。

>梅林の家

東京都世田谷区 住宅 2003年

>西沢立衛(ニシザワ・リュウエ)

1966年 -
建築家。西沢立衛建築設計事務所主宰。SANAA共同主宰。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA准教授。

>ミース・ファン・デル・ローエ

1886年 - 1969年
建築家。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...