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ポストバブル期の都市再編を読むには? | 加藤政洋
How should We Understand the Post-Bubble City Reorganization? | Masahiro Kato
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) pp.124-125

シカゴの都市社会学派を代表するロバート・パークは、大都市メトロポリスをとある機械マシーンに見立てていた節があります。彼はこう述べていました──メトロポリスとは、一見したところ「方向変換と選別の巨大な機構」のようであると。つまり、膨大な数の人びとを惹き寄せて外延・拡大することで成長をつづけてきた都市は、同時に人々を選別・隔離することによって、その内部に多様な場所──労働/生産の空間としての中心業務地区、そして日常生活/再生産の空間としての郊外、スラム、ゲトー、民族エンクレーヴなど──をつくりだす、というのです。この議論は、都市の空間形態を考えるうえで、いまだに影響を持ち続けています。
フランスの哲学者アンリ・ルフェーヴルがクリティカルであったのは、都市的空間の編成をパークのように人間生態学的な居住分化論に貶めることなく、それを不均等・不均質なグローバリティのローカル化として捉えたことにあると言えるかもしれません。というのも、彼が自ら生きた時代の都市(パリ)に見て取ったのは、新たな植民地性だったのです。
そもそも都市とは、モノや情報、資本、そして権力の集積点であり、さまざまな意味でグローバルな連関の結節点となるがゆえに、剰余価値の形成・実現・分配において重要な役割を果たします。人だけにはとどまらないモノや富、情報や知識、その他剰余の極大の集中・集積は、先にも述べましたように、郊外化を含む領域の拡大をともないながら(都市の外破)、同時に内破をもたらしました。中心部を取り囲むように、階層、エスニシティ、ジェンダー、ライフステージなどに応じて断片化された住宅地区の布置が編成されるのです。
パークが述べるように、都市は凝集と分離を同時に達成する機械ですが、その前提としてあるのが外部を包摂することです。それは、たとえば都市──農村(地方)といった対立を止揚し、両者のあいだに横たわる構造的な問題や矛盾、格差までも内面化することを意味しています。「新=資本主義による搾取は(…中略…)国内的植民地化という色彩を持つに至った」とは、やはりルフェーヴルの言葉ですが、都市の空間性に輪郭をあたえるには、もはやかつてエンゲルスがマンチェスターに見出したような階級関係だけではこと足りず、まさにルフェーヴルの言う(半)植民地化された集団ないし場所を説明変数として組み込む必要があるのです。
より最近の文脈に置き換えてみる時、ロンドンその他の大都市における社会・空間編成の組み替えを観察したスチュアート・ホールの議論なども参考になるかもしれません。彼自身の関心は、移民の必然的な帰結である民族・社会・文化の多様性が、現代都市の景観をどのように塗り替え、グローバル都市に固有の社会的な分割・軋轢を再編成しているのか、という点にあり、やはり新たな社会・空間分割をつくりだす構造力学に関心を寄せています(特に彼が重視するのはグローバル化と移民でした)。注目されるのは、彼が広い意味での「ジェントリフィケーション」を新しいタイプの都市の植民地化であると断じていることです。

こうした議論を踏まえてみると、わたしにとって身近な都市である大阪大都市圏の編成のなかにも、いくつかの特徴を見て取ることができそうです。かつて、西日本の中枢であると同時に、朝鮮半島を含む植民地への開口部であった大阪は、「東洋のマンチェスター」という代名詞に隠れて、実に「東洋のシカゴ」と呼ぶにふさわしい社会空間を構成していました。ポストバブル期の都市再編は、脱工業化の趨勢とあいまって、東洋のシカゴの「残影」という以上にその遺制を剥き出しにしています──震災とそこからの部分的な復興を経験した神戸はいっそう顕著であった、と言えるでしょう。
また、グローバル都市・東京への一極集中は、大阪をはじめとするほかの(大)都市圏に対しても確実に影響を及ぼしています。グローバルな都市システムの階梯を一段どころか、もっと降りたかもしれない大阪大都市圏の空間変容を見逃すわけにはいきません。
けれども、望むと望まないとにかかわらず、グローバル化時代の「権力の幾何学」(ドリーン・マッシー)に組み込まれた都市地域は、都市圏全体を俯瞰しつつ、より有効に場所の更新や部分的な空間の組み換えを通じて対応しようとします。行政域を超えて都市圏全体にまたがる場所イメージの刷新とその空間的布置を調整しようとする力学、あるいは個別の場所にまつわる文化政治を都市域の空間管理として、時には巧妙に、また時には柔軟にまとめあげる戦略、これらを大都市圏の文化地政学と呼ぶことができるかもしれません。
大都市圏レヴェルの文化地政学のなかで新たな圧力にさらされている──空洞化した、老朽化した、ゲトー化した、紳  士  化ジエントリフアイ浄     化ピユアリフアイされる……──場所の布置、社会的較差(格差)を場所間の差異、時には景観の断層として剥き出しにするような貧困現象の前景化、そうした二重都市的ないし分裂都市的な状況は、それぞれの場所の歴史性に部分的には規定されつつも、新たな条件下で固有の意味を獲得(時には深刻な問題を惹起)しているのではないでしょうか。
ここで具体的な例を挙げるほどの紙幅は残されていませんが、「都市が本来的にもっている植民地性」(西川長夫)が社会──空間的にどのように構造化されているのか、という問いを立てることで、日常的に生きられる都市、自明の存在として目の当たりにしている都市が、また違った相貌を見せるかもしれません。「都市への権利」が重要になるのは、まさにその時だろうと思うのです。ここでいう「都市への権利」とは、単に都市の空間を利用し消費する権利というのではなく、都市空間を変革する権利にほかなりません。
都市がつねに多様性、開かれた機会、そして市民権や人権といった基本的な権利を揺籃し保証する場であるならば、それは好ましい環境ということになるでしょう。しかし、すでに見たように、都市空間には社会を分断するような線も刻み込まれています。貧困や不平等の境遇に置かれた人たちから富める者、そして力のある者を切り離す分割線がある。まずは、それを浮き彫りにすること、多様性や差異をマッピングすることが、都市への権利の足がかりになるのではないか、と思うのです。

1──三宮駅前に「環境浄化」のために設置されたスーパー防犯灯。管理社会の時代は「恒常的な管理と、瞬時に成り立つコミュニケーションが幅をきかす」というドゥルーズの言葉が思い出される。

1──三宮駅前に「環境浄化」のために設置されたスーパー防犯灯。管理社会の時代は「恒常的な管理と、瞬時に成り立つコミュニケーションが幅をきかす」というドゥルーズの言葉が思い出される。

2──戦後の長屋地区と高層ビル群。ジェントリフィケーションをともないつつ地区更新(アーバン・リニューアル)の波が、古くからの長屋地区にひたひたと迫っている。 ともに筆者撮影

2──戦後の長屋地区と高層ビル群。ジェントリフィケーションをともないつつ地区更新(アーバン・リニューアル)の波が、古くからの長屋地区にひたひたと迫っている。
ともに筆者撮影

参考文献
●アンリ・ルフェーヴル『「五月革命」論:突入──ナンテールから絶頂へ』(森本和夫訳、筑摩書房、一九六九)。
●西川長夫『〈新〉植民地主義論──グローバル化時代の植民地主義を問う』(平凡社、二〇〇六)。
●ロバート・E・パーク「社会的実験室としての都市」(町村敬志訳、ロバート・E・パーク+町村敬志+好井裕明『実験室としての都市──パーク社会学論文選』御茶の水書房、一九八六)。
●ドリーン・マッシー「権力の幾何学と進歩的な場所感覚──グローバル/ローカルな空間の論理」(拙訳、『思想』九三三号、二〇〇二)。
●Stuart Hall,  “Cosmopolitan Promises, Multicultural Realities”, in Richard Scholar ed., Divided Cities, Oxford University Press, 2006, pp.20-51.

>加藤政洋(カトウ マサヒロ)

1972年生
流通科学大学商学部講師。歴史地理学。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32