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装飾という群衆 神経系都市論の系譜 | 田中純
Ornament as Mass: Geneology of Neuronal Urban Studies | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) pp.70-79

1 身体・イメージ空間の襞

一九六〇年代にマーシャル・マクルーハンが『メディアの理解』で電気メディアを身体外部への中枢神経系の拡張であると述べるのに先だち、二〇世紀初頭のゲオルク・ジンメルやヴァルター・ベンヤミンの都市論は、近代都市の経験が人間の神経に及ぼす作用を通じて、都市における人間身体を一種のサイボーグととらえる一方、都市をひとつの「身体空間」として描きだしていた。
ジンメルは論文「大都市と精神生活」(一九〇三)で、外的、内的な刺激の迅速な交代が「神経生活の高揚」を生む大都市では、刺激があまりに過剰で強力すぎるための一種の適応現象として、独特な「倦怠」という無感覚状態が生まれているとした。この「事物の相違に対する無感覚」は、彼によれば、貨幣経済の論理が人間の精神に浸透した結果である。大都市とはジンメルにとって、個人の「主観的精神」をのみ込む「客観的精神」の表われであり、その意味では大都市こそが「精神生活」そのものだった★一。これはいわば、弁証法的総合の論理によってドイツ社会学が築いた都市イデオロギーである。
ベンヤミンは「ボードレールのいくつかのモチーフについて」において、ジンメルの認識を受け継ぎながら、そこで分析されたプロセスを感覚変容の過程ととらえ直した。ボードレールにおける群衆の経験を分析するなかで彼は、ポーの『群衆の人』に現われる通行人たちが、あたかも自動装置に順応させられたかのように、ショックに対する自動的、機械的反応しかできないさまを指摘する。その分析を通じて、大都市の路上におけるこうしたショック体験が、機械装置を相手にした労働や賭博の勝負に通底させられてゆく。

大都市の交通のなかを動いてゆくことは、個々人にとって一連のショックと軋轢を生み出す。危険な交差点で、神経刺激の伝達がバッテリーからの衝撃のように、次々と体をつらぬく★二。


テクノロジーは、工業生産、交通、娯楽の諸分野を横断して、同様の身体反応を要求する。映画もまた、このテクノロジーの要請に応えるための訓練の場である。

このように技術は、人間の感覚器官に複雑な訓練を課した。刺激への新たな、切実な欲求に応じるものとして、映画が登場する日が到来した。映画においては、ショックのかたちをとる知覚が、形式原理として有効になる。ベルトコンベアーにおいて生産のリズムを規定するものが、映画においては受容のリズムの基盤になる★三。


ジークムント・フロイトの『快感原則の彼岸』における「意識は追想痕跡の代わりに成立する」という命題を引いて、ショックに対する防御とその失敗にともなう外傷を軸にボードレールの作品を読み解くベンヤミンの分析は、大都市の神経生理学的な詩論とでも呼ぶべきものだ。そうした性格は写真や映画によるショック効果を主題にした複製技術論にも通じる。そこではこのショックが「触覚的」なもの、つまり、皮膚感覚的な刺激と呼ばれている。それは「どんなに近くにあっても遠い」という性格をもつ「アウラ」に対立し、アウラを破砕するような「近さ」の経験である。都市はつねに身体を襲撃する。そこに距離を確保することなどかなわず、都市と身体は刺激と反射の系をなす。マクルーハンが電気メディアによる身体拡張と全人類の皮膚化を論じたことをあえて関連づけ敷衍すれば、中枢神経系が延長されるとともに、都市は皮膚化しているのである★四。
この場合の皮膚とは、身体と環境の界面、インターフェイスにほかならない。都市経験の触覚性とは、こうしたインターフェイスにおける接触を表現している。この接触における「イメージ」の生成において、都市空間は「イメージ空間」あるいは「身体空間」として把握されることになる。シュルレアリスム論のなかでベンヤミンは、政治的行動の空間にもたらされるべき「イメージ空間」をめぐって、「ひとつの行動自体がイメージを自分のなかから現出させ、それ自体イメージであり、イメージを自分のなかに巻きこんで食らうところではどこでも、近いものの近さがそれ自体の目つきに表われているところではどこでも、そうしたイメージ空間が開ける」と述べる★五。そこは「全面的で総合的なアクチュアリティの世界」である。

一言でいえば、この空間では政治的唯物論と肉体被造物とが、内面的人間とか魂とか個人とかその他それらに属する、普通なら私たちが非難したくなるものを、弁証法的な公正さに従ってあらゆる部分をばらばらに引き裂いたうえで、共有することになるのである。だがそれでもなお──いやまさにそのような弁証法的な破壊の後では──この空間はイメージ空間(Bildraum)であり、もっと具体的に言えば、身体空間(Leibraum)であろう★六。


ここで言う「身体」はLeibであって、フランス語のcorpsと同系のKörperではない。そしてここで「あらゆる部分をばらばらに引き裂いたうえで」と述べられていることは、身体イメージの想像的統一性の解体も示唆していると考えるべきだろう。モーリス・メルロ=ポンティの語法を用いれば、Leibraumは「肉空間」と呼んだほうがよいかもしれぬ。感じるものが同時に感じられるものでもあるという二重性における可逆性を、メルロ=ポンティは「肉(chair)」と呼んだ★七。時にドイツ語の「肉体(Leib)」と等置されているこの「肉」という概念は「身体(corps)」とは異なる。それは物質ではなく、触れる身体と触れられるもの、見えるものと見る身体とが緊密に結ばれながら、反転可能な状態にあるひとつの系、ないし蝶番のような両者の回転軸を指す。そこは身体ともろもろの物の内部と外部とが密着しつつ反転する「裂開」の場である。そのトポロジカルな可逆性をメルロ=ポンティは、「裏返しになった手袋の指」★八、つまりひとつの襞のイメージによって譬えた。
Leibraumが「肉空間」であるのは、そこでは空間そのものやそのなかの事物と身体とがそれぞれのイメージにおいて密着し、相互貫入しているからである。さらに重要なのはそれが集団の肉体に関わっている点だ。ベンヤミンは言う。

集団もまた身体的(leibhaft)である。技術のなかで組織される集団の肉体が、その政治的・具体的な現実性のすべてを備えた姿で生み出されるのは、あのイメージ空間、世俗的啓示のおかげで私たちが住みつくことのできるあの空間のなかにおいてでしかありえない。世俗的啓示において身体とイメージ空間とが深く相互浸透し、その結果、革命のあらゆる緊張が身体的・集団的な神経刺激となり、集団におけるあらゆる身体的な神経刺激が革命のうちで放電されるならば、そのときはじめて現実は、『共産党宣言』が要求している程度にまで、自分自身を乗り超えたことになる★九。


世俗的啓示とは「唯物論的・人間学的な霊感」である。ハシッシュや阿片といった麻薬でさえ、この霊感への入門として役立つとベンヤミンは言う。ブルトンの『ナジャ』やアラゴンの『パリの農夫』における世俗的啓示を彼は例に挙げている。彼らシュルレアリストたちは「古びた事物」のうちに潜む革命的エネルギーを発見した。そして、この事物世界の中心に位置して、「もっとも多く夢見られるもの」が、パリという都市にほかならない。「ある都市の真の相貌ほど、シュルレアリスム的な相貌はない」。シュルレアリストたちは麻薬めいた陶酔のうちに、都市に潜在する革命的なエネルギーという「神経刺激」を呼び覚まそうとするのである★一〇。
身体・イメージ空間とは、現実となった「夢見られ」た事物世界であり、あるいは物質化した原幻想(Urphantasie)である。こうしたイメージは、主体が自分の想像する光景に参加しており、観察者として外部にいるのではない、という特徴によって構造化されている★一一。
そのトポロジカルなモデルがパリのパサージュにほかならない。「他のどんな場所にもまして、街路はパサージュにおいて、大衆にとって家具の整った住み馴れた室内であることが明らかになる」(M3a, 4)★一二。集団にとっては街路が部屋である。私人と集団では都市空間の構造が反転している。そして、パサージュが問題としているのは、内部空間を明るく照らし出すことではなく、あくまで「外部空間の侵入を抑えること」(R1a, 7)だった。パサージュとは外部をもたない内部、純粋な室内である。それは夢に似ている。「パサージュは外側のない家か廊下である──夢のように」(L1a, 1)。
この夢の構造をめぐってベンヤミンは、われわれは夢見るとき、「内側に華やかで多彩な絹の裏地を張った暖かい灰色の布地」(D2a, 1)にくるまれているのだと言う。その表地は倦怠に満ちているのだが、裏地はアラベスク模様で飾られている。夢を語るとはこうした「時間の裏地を一挙に表側にかえすこと」だ。われわれが過去の生をいま一度生きている夢の空間であるパサージュもまた、そんなふうに裏返されなければならない。
ここにあるのは可逆性のトポロジーである。パサージュとは歴史の襞、あの「手袋の指」なのだ。つまりそれは「肉」であり、極めつきのイメージ空間、身体空間にほかならない。そこでは皮膚に似た界面としてのイメージを介して身体と環境世界とが密着し、互いに互いを包み合っている。──しかし、問題はそれを「裏返す」ことなのである。

2 室内装飾と神経科学

華やかなアラベスク模様の装飾で満たされた室内という夢──ベンヤミンは一九世紀を「住むことに病的にこだわった世紀」(I4, 4)と呼ぶが、この世紀の終わりにおける室内装飾をめぐる注目すべき現象として、アール・ヌーヴォーの装飾様式が、人体の内部組織を感覚神経のメカニズムとして理解するフランスの新しい臨床心理学と深く結びついていたことが挙げられる。アール・ヌーヴォーの有機的曲線はそこにおいて、神経の波状の運動や催眠状態における暗示、夢における誘導に関連づけられた★一三。
フランスの象徴主義文学者たちは、私的な室内を感覚の限界を拡大するための実験の場とした。室内装飾はそこに住む者の神経を揺り動かし、視覚的に刺激する触媒としての役割を果たした。ゴンクール兄弟によって確立されたこうした室内装飾と内面の心理とのあいだの結びつきは、例えばジョリス=カール・ユイスマンスの小説『さかしま』に影響を及ぼしている。その主人公であるデ・ゼッサントは美的刺激を引き起こす触媒としての品々によって室内を入念に作り上げてゆく。そのとき室内描写は心理描写に直結する。
こうした描写のためには心理学的な知識が必要とされた。ユイスマンスは神経の興奮と消耗の臨床的状態に関する医学書から学んだ知識に基づいて、デ・ゼッサントの神経症をめぐる記述を展開している。神経の働きについての医学的概念は当時急速かつ広範に普及しつつあった。一八九〇年代におけるこの新しい心理学を先導したのは、ジャン=マルタン・シャルコーとイポリット・ベルネームである。デボラ・シルヴァーマンは、彼らの心理学が室内装飾の変容に直接関係した三点を挙げている。
まず第一に、一八八〇年代末の国家の衰退をめぐる広範な政治的議論において、大都市の過剰な感覚刺激が国民に「神経衰弱」を引き起こす要因と見なされたこと。精神的な感覚過敏や肉体疲労を症候とする神経衰弱は、シャルコーの神経病理学に関する研究に端を発して、ゴンクールやユイスマンス、あるいはエミール・ゾラといった文学者たちにより、文学作品にも取り入れられていた。それがいまや国全体の衰退を示す集団的な病と位置づけられるようになったのである。この傾向の頂点をなしたのが、一八九五年に刊行されたマックス・ノルダウの著書『退廃[堕落]』だった。こうした動きのなかで手工芸による有機的形態の室内装飾は、都市空間で疲弊した神経を慰める麻酔薬として喧伝された。
しかし、第二点として、新しい心理学の知見が室内装飾の実践と精神内部の不安定な流動性とをわかちがたく結びつけたことにより、室内空間はもはや安定した具体的よりどころではなくなってゆく。催眠術を利用した分析を通してシャルコーは、視覚的イメージがヒステリー患者にとりわけ強い影響力をもっていること、さらに、ヒステリー患者がイメージの投影によって内的ヴィジョンの外面化をおこなっていることを発見した。シャルコー自身はこうした現象をヒステリー患者の神経組織における疾患に帰される病態としたが、ベルネームはそれに反論して、正常な人々もまた暗示や催眠にかかりうること、イメージによる暗示の特別な力や視覚的なものの外面化は正常な主体の特徴でもあることを明らかにした。外界とは刺激の激しい流れであり、個人はそれに対して予測できないイメージを通して反応し、そのイメージを外部へと投影することで、自分の内的ヴィジョンに応じた環境を形成してゆく。感覚的な幻影はヒステリー患者に限られたものではなく、あらゆる個人の日常的状態の一部である。催眠術や暗示をはじめとする神経心理学的研究の話題はジャーナリズムや小説家ばかりではなく、アンリ・ベルクソンのような哲学者の強い関心をも惹きつけた。大都市の感覚的な過剰刺激から逃れる避難所を室内に見出すことができるとしても、その室内を安定した静的で歴史的な装飾によってかたちづくることはもはや不可能だった。一八九〇年代までに、室内は主観と対象とがダイナミックに関係しあう場となっていたからである。そのとき、外部環境からの暗示的な力を活用すべく、内的なヴィジョンが室内装飾のかたちをとって外界に投影されていった。
最後に、室内デザインと新しい心理学の結びつきは、臨床心理学者シャルコーが実際に装飾芸術に関与することで保証された。シャルコーは馬車作り職人の息子であり、子供時代から馬車を飾る装飾モチーフのデッサンを手がけていた。サルペトリエールにおける『図像集』やポール・リシェとの共著『芸術における悪魔憑き』に表われている、視覚的イメージに対するシャルコーの強い関心はよく知られていよう。さらに、みずからはヒステリー患者のみに限定された病的現象と見なした内的ヴィジョンの幻視は、じつは彼自身にとってなじみ深い経験だった。
一方、妻と二人の娘たちからなる「工房」では、シャルコーのデザインにより、さまざまな装飾品が作り出された。そのモチーフは過去の装飾様式と彼自身の芸術的夢想との融合である。そこにかたちづくられたのは、家族との想い出に満たされ、家族の手によって製作された装飾品からなる、きわめて私的な意味に満たされた室内であった。
家のファサードに嵌め込まれた磁器板における、アルブレヒト・デューラーの《愚者のダンス》に基づく狂気と死のイメージをはじめとして、そこにはシャルコーが発見したヒステリーの諸形態が出没していた。歴史趣味的な要素の背後では、幻想的な絡み合う木の葉や鉄細工によるアラベスクのジグザグの線が、不規則で動的な喚起力のあるイメージを作り出し、室内を活性化させていた。そうしたデザインを生み出すために、この装飾家がモルヒネをはじめとする強力な麻薬に依存していたという証言もある。
シャルコーの夢の室内は、芸術に熱中した若き日における幻想の再現でもあった。一八五〇年代の医学生として、彼はダンディやボヘミアンのひとりになろうとした。一八五三年にシャルコーは、ハシッシュを吸引したのち、一枚のデッサンを描いている。

彼[シャルコー]はますます奇妙になってゆき、次第に判読するのが難しくなってゆく文字で特徴を書き留め始めた。「なんという混乱した想念、そして何という楽しいメリーゴーランドだろう……幻想的な放逸な衝動は、しかし、意識的な制御から完全に自由ではない……私が触れたもの全てが電気を帯びていて……そしてまだ……まだ」。そののち言葉は読めなくなってゆく。文字は明らかに長細くなってゆき、ジグザグや螺旋形に歪み、絡み合った模様をなし、葉や花びらや建築モチーフの形に変形し……もはや文字ではなくなっている。ページ全体が線描で覆われている。不思議な龍やしかめ面の怪物、支離滅裂の人物たちが互いに重なり合い、絡み合い、くねり、ものすごい渦巻きになり、ボッシュやジャック・カロの黙示録的な世界を思わせる★一四。


シャルコーのこのデッサンは、エミール・ガレがガラス製水差しのデザインをするにあたって意識的な思惟なしに紙のうえに解き放った、こんな想像力の産物に似ている。

不意に、あらゆる種類の怪しげな記号が紙の上で形を取り始めた。夜行性動物の奇妙な特性を持ったある種の生命体がその生存条件に謎めいた仕方で適応している。一つ眼、幼虫の白い眼、外套を纏った翼足動物、原猿類の亡霊、幽霊、吸血鬼、夜行性猛禽類などだ。こうした形象を描くためには、ガラス職人の道具ではなく、北斎の筆、万の悪魔が集うゴヤの鉛筆、そしてオディロン・ルドンの悪夢が必要となるだろう★一五。


ガレは麻薬ではなく、ヴィクトル・ユゴーの詩を幻視のきっかけとしている。詩の呪文のような力が催眠術か暗示のように作用し、視覚的な連想を誘発していたのである。ガレはシャルコーの神経衰弱の理論やベルネームの暗示の理論を知っていたものと思われる。それらによって理論武装したガレは、室内を暗示のための部屋に変えてしまうような作品を創造してゆこうとした。モチーフとなった植物の葉脈は神経に見立てられ、その曲線は微妙に振動することによって、鑑賞者の神経を刺激して共振させるものでなければならなかった。ガラス製品には神経の緊張が投影された。ガレにとって装飾芸術は、神経の振動に応えて震えおののく、非物質的な力の媒体であらねばならなかったのである。
アール・ヌーヴォーは線の芸術である。なかでも植物的抽象模様一般を意味するアラベスクの概念が、その様式を最も的確に表現する。すでにポーが「室内装飾の哲学」でアラベスク偏愛を告白し、ボードレールがアラベスクを最も観念的、最も精神的な模様と呼んでいた。そして、世紀末においてアラベスクは同時に、微妙に震える感覚神経の表現でもあったのである。これはフランスには限られない。ウィーン分離派の機関誌『ヴェル・サクルム』誌上で一八九九年に日本美術を論じたエルンスト・シュールは、「頭脳の芸術」であるヨーロッパ美術に、「神経の芸術」である日本美術を対置している。このとき日本美術は、何よりもまず、アラベスク的な線描性によって特徴づけられていた★一六。
アール・ヌーヴォーの最終的な野心とは、室内のみならず、都市の全域をアラベスク模様によって埋め尽くし、建築物の装飾と人間の感覚神経とのあいだに微細な震えの共振を引き起こすことだったと言えるかもしれない。都市はそれによって暗示に満ちた空間となる。人々はそこで過剰な感覚刺激に代えて、装飾による催眠術に導かれ、倦怠を表地にした夢を見る。ベンヤミンは一九世紀パリの集団にとってはパサージュがすでに、そんな強力に暗示的な室内空間だったととらえていた。
ジンメルの「大都市と精神生活」は、一八八〇─九〇年代フランスの大都市と神経衰弱をめぐる議論の問題設定に通じるものをもちながら、室内への避難を呼びかけるのではなく、路上における無感覚性の発生(それは神経の過剰な高揚に起因する)に大都市固有の合理性の表われを見ていた。内部では階差を多用した迷宮的空間を構成しながら、白くのっぺりしたファサードによって外部へは何も語ろうとしないアドルフ・ロースの建築は、過剰刺激に対する防衛機制としてのこの無関心さを演じるダンディズムの産物である。一方、「装飾と犯罪」をはじめとする彼の装飾否定論は、ユーゲントシュティル(ドイツ語圏のアール・ヌーヴォー)における装飾と感覚神経との癒着に、本来外部に表われるべきではない欲望が露呈された神経症的な衰弱を読み取る点で、ノルダウの『退廃』と無縁ではない。装飾と刺青を同一視し、刺青をした現代人は犯罪者であると決めつけてしまうような、犯罪学者チェーザレ・ロンブローゾを連想させるロースの主張にはそうした類似性が表われている。装飾論はここでも精神病理学と深く関係している。そして、このような議論が精神分析と関わることは言うまでもない。ロースにとって、現代におけるユーゲントシュティルのような装飾とは、フロイトが言う「抑圧されたものの回帰」にほかならなかった。
しかしながらこの点では、ウィーンのミヒャエル広場に立てられたロースの建物(通称《ロース・ハウス》)が、その無装飾なファサードによって、ウィーン市民たちの「神経」を逆なでし、他の装飾的な建築物よりもはるかに興奮させたという事実こそが病理学的に意味深い。それはあたかも、ウィーン市民がいっせいに「広場恐怖」に陥ってパニックを起こしたかのようなのだ。
「広場恐怖(Agoraphobia)」という名は、一八六〇年代からベルリンやウィーンで報告された症例に対して、一八七一年にベルリンの心理学者カール・オットー・ヴェストファルが与えたものである。それは、都市の広場を横切ったり、通りを歩くときに襲われる激しい不安であり、動悸や震えなどをともなう。この広場恐怖は、人けのない場所ばかりではなく、群衆に満ちた混雑した都市空間でも起こった★一七。
広場恐怖の患者にとっては、広場や建築物そのものがそもそもの不安の要因なのではなくて、禁止された欲望や内面的危機が換喩的に外界に投影されているのだとすれば、建築物が図像学的要素のあらかじめ詰め込まれた装飾過剰なファサードのように他者によって規定された対象であることをやめ、無装飾な平面性によって欲望の投影されるスクリーンであることをあからさまに示すとき、人々は自分自身の克服されない欲望とより直接的に向かい合うことになろう。その意味で、イェルク・グライターが指摘するように、「無作法でむっちりした娼婦」とか「剥き出しの上半身」などと言われたロース・ハウスのファサードが喚起する裸形性のイメージは、連想によるものというよりも、社会的に抑圧された欲望の換喩的な投影による回帰なのである★一八。
シャルコーらの心理学と室内装飾との結びつきに始まり、ジンメルの大都市論や『パサージュ論』、そして、ロースによる装飾否定論や広場恐怖にいたるまで、ここでたどってきたのはいわば、都市における神経病理学だったと言えるかもしれない。このような視点が孕んでいた可能性を、バーバラ・スタフォードらが唱える「神経系美学(Neuronal Aesthetics)」にならって、「神経系都市論(Neuronal Urban Studies)」と呼びたい。それは、ベンヤミンたちが洞察した都市と人間身体の相互作用を脳神経科学へと結びつける試みである★一九。その際、蝶番の役割を果たすのは、一九世紀末の神経衰弱をめぐる議論を端緒として見出された、都市と身体の「クライシス」である。なぜなら、そこにおいてこそ、この両者の相互作用の場である、身体の皮膚と都市の皮膚とが出会う界面が顕在化するからだ。

1──J─M・シャルコー、ハシッシュ吸引実験による幻想的デッサン(1853)引用出典=デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー』(青土社、1999)

1──J─M・シャルコー、ハシッシュ吸引実験による幻想的デッサン(1853)引用出典=デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー』(青土社、1999)

2──エミール・ガレ「ガラスの手」(1900) 引用出典=デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー』(青土社、1999)

2──エミール・ガレ「ガラスの手」(1900)
引用出典=デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー』(青土社、1999)

3 群衆の回帰

そこでこうした視点から、都市におけるもうひとつ別の恐怖症を取り上げておきたい。それは群衆恐怖ないし接触恐怖である。
クロード・ルフォールは師であるメルロ=ポンティの「肉」の思想を独自の政治哲学に発展させるなかで、近代民主主義社会の「肉」を、有機的統一性をもつ表象(「身体」)のかたちはもはやとりえないものの、ばらばらの個人にまで還元されてしまった状態でもない、中間的な次元に位置するものととらえている。かつて君主によって体現されていた権力は社会に身体を与えていた。民主主義はその権力の場所を空虚にする。それゆえ民主主義社会に有機的全体性の表象としての「身体」は欠けている。「肉」とはそこに生じた「表象しえないもの」それ自体の名にほかならない★二〇。
社会的なものが非身体化され、政治の身体が確定できないものとなることに併行して、近代民主主義社会は群衆のなかで自己を失う恐怖というパニック心理を生む。しかし、エリアス・カネッティが接触恐怖について語ったように、この恐怖は群衆のなかでこそ、その反対物に転化させることができる。パニック心理自体がそもそも接触恐怖の産物であるが、その恐怖からの決定的な解放は、肉体と肉体とが押し合うような緊密な群衆のなかに身を置くときにこそ訪れる。

ひとりの人間がひとたび群衆に身を投ずるや、かれはその接触を恐れなくなる。理想的な場合には、すべての者がそこで平等になる。どのような差別も、性別さえも全く問題にならない。人びとを押している者も、人びと自身と同じことをやっているにすぎない。人びとはかれを、自分自身を感じるように感じる。そのとき突然、一切のことが、まるで一個の肉体の内部で起こったときのように、起こるのである★二一。


ここでは、群衆という集団における触覚性を通じた集団的イメージの生成が語られている。社会を有機的統一体として表象する身体が失われたとき、触覚的接触を介して、一個の集合的肉体の幻像が生み出される。近代の黎明にそびえ立つそんな幻像として、英国国王が斬首されたのちの空位の時代に書かれたホッブズ『リヴァイアサン』の扉絵を思い起こすことができるかもしれない。密集した人体からなるその巨人像は、群衆によって形成された恐るべき国家機械という「可死の神」のイメージである★二二。
群衆のただなかで、「表象しえないもの」が表象される。群衆の問題が、「皮膚」をめぐる触覚文化論とともに、優れて「イメージ」創造(「創像」)の問題にほかならないことを、港千尋は多面的に明らかにしてきた。『群衆論』が書かれた一九九一年の時点で港は、創像のテクノロジーが、世界イメージ・システムへの吸収統合に向かう情報システムの上部への動きと、環境から身体へ、身体から神経回路へと向かう情報システムの下部へ向けた動きという二つのヴェクトルをもっていることを見きわめていた。前者は電子ネットワークによる同時的知覚の体制を拡大し、イメージ創造の行為はそのシステムに接続されて、潜在的な観客数を日増しに増大させてゆく。後者の傾向として、創像行為の起点はますます表現者自身の身体および身体運動に置かれ、認知メカニズムの研究や仮想環境システムの実験がそれを補強する。世界システムと神経システムの二方向へのこうした指向性は十数年後の現在も変わらず、むしろ、インターネットの普及や脳科学の急速な発展によって、さらに強まっていると言ってよい。そして、これらはイメージ創造の可能性の拡張とともに、権力による群衆管理の強化にも寄与しうるテクノロジーである。『群衆論』の末尾で港は「群衆による解放」についてこう語っている。

群衆のなかで距離が消えるとき、それはいずれにしろ合理的理性の終着駅となる。そこでは思考し表徴する合理的理性をもった主体は消滅する。プラトンにその起源をもち、群集心理学によって群衆=悪となったのは、この合理的理性の消滅に対する抵抗であったが、この終局の瞬間にこそわれわれの始まりがある。この劇的な瞬間には、心理的解放以上のものが含まれている。この瞬間にはあらゆる社会的な条件付けからの解放の可能性が隠されている。合理的理性を批判し、その表徴体系を解体しようとするならば、群衆による接触恐怖の解放の価値を正当に評価しなければならない。部品化し分裂を繰り返す人間に統一をもたらす群衆体験の、政治的再利用と差異の拡大再生産を直視し、接触恐怖の煽動を糾弾しなければならない。(…中略…)われわれの戦略はこの瞬間を群衆による真の解放とみなすことにより、変身に恵まれた自由な身体に新しい認識の扉を指し示すところにあるだろう★二三。


すでに見たように、このような解放の瞬間を「身体・イメージ空間」における「世俗的啓示」到来の時として語っていたのが一九二〇年代末のベンヤミンだった。そのための方法が、一九世紀末における神経システムの探究と交差していたことは、ベンヤミンもまた、シャルコー同様、ハシッシュやメスカリンの吸引実験を行ない、陶酔経験の記録を残していることからも知れる。「麻薬陶酔のノート」でベンヤミンは「装飾をつくりだしている一般に最も接近困難な、隠れた表面の世界に麻薬によって不意に入っていくという意識ほど、麻薬の正当性を後あとまで保証するものはない」★二四と書いている。

装飾が麻薬陶酔に与える想像力の特徴は、それがいつもシリーズの形で現われることである。麻薬吸飲者に対して想像力がいつも対象を──とりわけ小さな対象を──シリーズの形で提示するのは、不思議である。麻薬吸飲者の眼前でいつもくりひろげられる模様の数かず──それは道具類であったり小動物であったり植物の形態であったりするが──は、ある意味で原始時代の装飾のまだ形をとらない異形の図案を代弁するものである★二五。


ベンヤミンのノートの記述からは、パサージュにおける遊歩者の陶酔などが、この麻薬経験を通して語られていることが見て取れる。麻薬による陶酔が都市における群衆のただなかでの恍惚に通じる同様の現象を、港は詩人アンリ・ミショーのメスカリン実験に認めている。港はメスカリンの服用によってミショーが見たスペクタクル的な幻覚の特徴として、「終わりのないジグザグの動き」、「顕微鏡的・大都市的・宇宙的」、「洪水・侵略・力学」、「色の氾濫」などといった言葉を拾い上げ、そこに群衆の属性ないし群衆を形容する要素を見出している★二六。振動するジグザグの線が織りなす幻覚下でのデッサンについて、ミショーはみずからこう語っている。

最初のデッサンを描いてから、それに重なってくるものが見えてきた。ジグザグな動きをしており、小さくてたくさんいて最初のものよりずっと速い。想ってもみなかった存在、人間かそれとも小さな動物か、多数の急いでいる群衆がわたしのほうに歩いてくる★二七。


ミショーは「神経のもっとも深いところに群衆を発見したのである」★二八、と港は言う。この体験ののち、ミショーのデッサンでは線の振動がますます細かくなり、余白もなくなるほど密度が高くなって、紙全体を覆うようになる。群衆の増殖が進行する。ミショーはあたかも「群衆のエネルギーに引き寄せられるようにして、あるいは群衆のいるところへ到達するために」★二九描き続けたように見える。
ここにおいて群衆論は装飾論と出会う。麻薬陶酔のなかで神経システム内部に発見された増殖する群衆とは、「原始時代の装飾のまだ形をとらない異形の図案」である。シャルコーやガレは、麻薬や詩の呪文によるそんな陶酔から、微妙に打ち震える線が描きだす装飾模様を紡ぎ出そうとした。それは都市からの避難所である室内に再現されて回帰してきた群衆にほかならない。
このような群衆という「イメージ」のなかに、集団的な身体空間としてのイメージ空間が開けている。一九二〇─三〇年代における世界システムのテクノロジーは、ティラー・ガールズのダンスからナチの党大会演出まで、ジークフリート・クラカウアーが「大衆の装飾」(それは「群衆(Masse)」の装飾である)と呼んだイメージによる群衆管理を案出した。これに対して、陶酔の、あるいは世俗的啓示の戦略は、神経系の尖端で増殖する群衆という装飾を発見した。ベンヤミンにとって「集団におけるあらゆる身体的な神経刺激」が放電される身体・イメージ空間の同時代的なモデルとは、変身能力を備えた装飾的動物であるミッキー・マウスが思うがままに暴れ回る映画館だったに違いない。その一方で『パサージュ論』は、パリのシュルレアリスム的相貌を求めて、パサージュをはじめとする一九世紀の陶酔的な都市空間のイメージを飽くことなく再構成してゆくことになる。
イメージ創造のテクノロジーが、世界イメージ・システムへの吸収統合を目指すグローバル化と、環境から身体、神経回路へと向かう脳科学による細密化の二方向で急展開しつつある時代における神経系都市論の課題とは、神経系の末端と世界システムとがからみ合う「肉」としての身体・イメージ空間を切り開くことにある。都市という夢見られた「古びたもの」と「最も忘却されている異郷」(ベンヤミン「フランツ・カフカ」)★三〇であるわれわれの身体との出会いの場に潜む群衆の革命的エネルギーが、あらたな陶酔の技法を知る神経病理学によって発見されなければならない。ここでたどられたのは、まだかたちをとらないそんな理論を予感させる思想の系譜が描いた歴史のアラベスクであった。

3──ヴァルター・ベンヤミン、 メスカリン吸引実験における走り書き(1934) 引用出典=ベンヤミン『陶酔論』(晶文社、1992)

3──ヴァルター・ベンヤミン、
メスカリン吸引実験における走り書き(1934)
引用出典=ベンヤミン『陶酔論』(晶文社、1992)

4──アンリ・ミショー、 メスカリン実験による成果(部分)、(1957) 引用出典=『ミショー詩集』(思潮社、1969)

4──アンリ・ミショー、
メスカリン実験による成果(部分)、(1957)
引用出典=『ミショー詩集』(思潮社、1969)


★一──ゲオルク・ジンメル「大都市と精神生活」(ジンメル『ジンメル著作集12  橋と扉』酒田健一ほか訳、白水社、一九七六、二六九──二八五頁)参照。
★二──ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールのいくつかのモティーフについて」(『ベンヤミン・コレクション1  近代の意味』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九五、四四九──四五〇頁)。
★三──同、四五〇頁。
★ 四──ベンヤミンやマクルーハンにおいて「触覚」は皮膚と対象との接触の意味には限定されない。しかし、ここで問題になるのは、にもかかわらず、近代社会における感覚それ自体ないし諸感覚相互の関係性の変容が、ほかならぬ触覚を中心に語られることの意味であり、それと結びついた皮膚という知覚の場をめぐる、都市論、メディア論のトポスである。なお、ベンヤミンにおける「視覚的[光学的]無意識」と「触覚」の関係に関しては拙著『残像のなかの建築──モダニズムの〈終わり〉に』(未來社、一九九五)二九──三一頁参照。マクルーハンにおける触覚性の概念については、門林岳史「触覚、この余計なもの──マクルーハンにおける感覚の修辞学」(『UTCP研究論集2  身体の思考・感覚の論理』、二〇〇五、 四五──五六頁)参照。門林はこの論文で、マクルーハンの思考においてはあらゆるメディアが「共感覚」と「麻酔」の両方の効果をもっていること、とりわけ触覚性はこの両者の緊張を通じて立ち現われる「メディアの魔術的側面」であり、メディアが初期段階においてのみ持つ性質と見なされていることを指摘している。
★五──ヴァルター・ベンヤミン「シュルレアリスム」(『ベンヤミン・コレクション1  近代の意味』五一七頁)。
★六──同、五一七──五一八頁。
★七──モーリス・メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』(滝浦静雄+木田元訳、みすず書房、一九八九)。
★八──同、三八八頁。
★九──ベンヤミン「シュルレアリスム」(同、五一八頁)。
★一〇──同、五〇二頁。
★一一──次を参照。Sigrid Weigel: Entstellte Ähnlichkeit. Walter Benjamins theoretische Schreibweise. Frankfurt am Main: Fischer, 1997, S.118-119.
★一二──以下、『パサージュ論』からの引用は、次に挙げる翻訳に基づき、断片番号を本文中に記す。ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』第一巻──第五巻(今村仁司+三島憲一ほか訳、岩波現代文庫、二〇〇三)。
★一三──以下、この主題についての記述は、デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー──フランス世紀末と「装飾芸術」の思想』(天野知香+松岡新一郎訳、青土社、一九九九)、第五章「新しい心理学」に依拠している。
★ 一四──弟子であるアンリ・メイジュの回想。引用はシルヴァーマン、同、一六〇──一六一頁より。
★一五──エミール・ガレ『ガレの芸術ノート』(由水常雄編訳、瑠璃書房、一九八〇)四五頁。
★一六──アール・ヌーヴォーの特性に関する論述としては、谷川渥「世紀末ウィーンの美術──あるいはクリムトの蛇」(木村直司編『ウィーン世紀末の文化』東洋出版、一九九〇、一二七──一五一頁)を参考にした。
★一七──広場恐怖に関しては、本号所収のアンソニー・ヴィドラーの論考「広場恐怖症アゴラフォビア──都市空間の精神病理学」を参照。
★一八──次を参照。Jörg H. Gleiter: Rückkehr des Verdrängten. Zur kritischen Theorie des Ornaments in der architektonischen Moderne. Universitätsverlag der Bauhaus-Universität Weimar: Weimar, 2002, S.62.
★一九──「神経系美学」、「神経系イメージ論」の論者にはスタフ ォードのほか、『神経系美術史』と題した著書もあるカール・クラウスベルクらがいる。これは美術史学にとってはある意味で伝統的な感覚・知覚生理学との結合の延長線上で、脳科学の著しい発展による成果に基づき、イメージ現象の本質を探ろうとする試みである。スタフォードが「神経系美学──認知的イメージの歴史へ向けて」と題する論文で述べているように、このあらたな美学ないしイメージ学の課題とは、生命科学の成果を文化的実践に導入するとともに、歴史的認識をめぐる人文学の知を現代の認知科学に関係づけることである。次を参照。Barbara Maria Stafford: NeuronaleÄsthetik. Auf dem Weg zu einer kognitiven Bildgeschichte. In: Christa Maar und Hubert Burda (Hg.): Iconic Turn. Die neue Macht der Bilder. Köln: DuMont, 2004, S.103-125. 「神経系都市論」もまた、近代都市論のひとつの伝統をなす神経科学との関係に根ざしている。なお、本論で仔細に検討することはできなかったが、ジョナサン・クレーリー『知覚の宙吊り──注意、スペクタクル、近代文化』(岡田温司監訳、平凡社、二〇〇五)は、一九世紀末における知覚の様態変容をめぐる分析として、「神経系都市論」に関わる重要な研究である。都市論との関係の点ではとくに「エピローグ  一九〇七年──ローマの魔法」(三三九──三四九頁)参照。
★二〇──次を参照。クロード・ルフォール「民主主義という問題」(本郷均訳、『現代思想』第二三巻第一二号、青土社、一九九五、四〇──五一頁)。
★二一──エリアス・カネッティ『群衆と権力』(岩田行一訳、法政大学出版局、一九七一)四頁。
★二二──このイメージに関しては、拙論「レヴィヤタン解剖──イメージ・表象・身体」(臼井隆一郎編『カール・シュミットと現代』沖積舎、二〇〇五、三七──七四頁)参照。
★二三──港千尋『群衆論──二〇世紀ピクチャー・セオリー』(リブロポート、一九九一)三二八──三一九頁。なお、一九世紀末に最もよく知られた群集心理学の書であるギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』がすでに、群集を独自なイメージを生成させる知覚の特殊な様態として描いている点については、クレーリー、前掲書、二二九──二三一頁を参照。
★二四──ヴァルター・ベンヤミン『陶酔論』(飯吉光夫訳、晶文社、一九九二)七七頁。
★二五──同、七八頁。
★二六──港、前掲書、九二頁参照。
★二七──Henri Michaux: Emégences-Réurgences. Paris: Skira, 1972, p.83.  引用は、港、前掲書、九三頁による。
★二八──港、前掲書、九三頁。
★二九──同、九四頁。
★三〇──ヴァルター・ベンヤミン「フランツ・カフカ」(『ベンヤミン・コレクション2  エッセイの思想』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九六、一五〇頁)。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市の詩学──場所の記憶と徴候』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.40

特集=神経系都市論 身体・都市・クライシス

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>港千尋(ミナト・チヒロ)

1960年 -
評論家、写真家。多摩美術大学美術学部教授。

>松岡新一郎(マツオカ・シンイチロウ)

1964年 -
美術史、表象文化論。駿河台大学、放送大学非常勤講師。

>バウハウス

1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グ...