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06:アトリエ・ファン・リースハウト:「良い、悪い、醜い」 | 吉村靖孝
Atelier van Lieshout: Good, Bad, Ugly | Yoshimura Yasutaka
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション, 2000年12月発行) pp.94-95

ヨープ・ファン・リースハウト Joep van Lieshout:1963年生まれ。
主な作品=《本棚ユニット》(1989)、《「天窓」ダッチ・ハウス》(OMAと協働)(1993)、《「ラージ・バー」リール》(OMAと協働、1994)、《主人と奴隷のユニット》(1995)、《良い、悪い、醜い》(1998)など。

「アトリエ・ファン・リースハウト」

 
「アトリエ・ファン・リースハウト」とは、ファン・リースハウト率いるアーティストの集団である。と説明をして事実に相違はないのだが、作品クレジットを眺めてみると、彼自身の名はリストの中段に位置していることが多い。この細工によって「ファン・リースハウト」というアルファベットの連なりがファン・リースハウト本人から亡霊のように遊離しはじめる。つまり「ファン・リースハウト」とは、ヨープ・ファン・リースハウトそのひとの姓であること以上に、この集団の呼称なのである。それはちょうど、とある企業が有名になるにつれて、もともとその名の由来であった個人(創業者等)の名との接点を失い、まったく別の文脈へとシフトしてしまうような現象を、強制的に再現している。アートの範疇にありながらインダストリアル・プロダクトに限りなく接近する彼のスタイルは、この仕掛けによって少なからず援護されていると言えるだろう。
彼がこの「アトリエ・ファン・リースハウト」として活動を開始したのは九五年のことである。しかし彼自身は、ロッテルダムの港湾地区を拠点に八〇年代初頭から活動を続けており、この街の建築家たちにとってはすでに精神的なグルとも言える存在である。八〇年代後半には、アートとマーケティングの関係にヒントを得た椅子、机、シェルフのサイズ違い、色違いのシリーズを発表し、九〇年代に入ってからは、豚を殺して食肉にしたり、あるいは武器を製造してみたりと、つねに「製品」と「作品」のボーダーを戦場としてきた。そしてその間には、やはりロッテルダムにアトリエを構える建築家レム・コールハースとのコラボレーションでも知られるようになる。建築家とアーティストによるコラボレーションには違いないが、この二人に限っては、レリーフが壁面に彩りを添えるとか、庭に彫刻が置かれるといった類の「マナー」は野暮というものである。リースハウトの作品は、あるときは天窓、またあるときはトイレ、あるいはベンチとして実際に使用されているものばかりだ。

「水」と「防水」

 
表面をFRPで完全にコーティングされた家具のシリーズ[図1]は、カラフルではあるが、飾り気がなく、使用に困難を感じさせるような特別な意匠はなにもない。その単純さゆえミニマル・アートのようでさえあり、バート・ローツマはこれを「積極的無関心」、アーロン・ベッキィは「おどろくほど完全な普通」とも評している。
しかしそのシンプルなかたちにもかかわらず、その素材FRPが、彼の作品を十分特徴あるものとしている。FRP、すなわちファイバー・リインフォースト・ポリエステルは、建材としても知られているが、その用途はひろく、イームズ・チェアの座面やボートの船体などにも使用されている。つまりそのチープな見た目とは裏腹に、防水性能にかけては折り紙付きと言ってよい。そしてこの素材がわれわれを魅了してやまないのは、「水」に強い一方で、作家によってかたちを与えられるその瞬間まで「液体」である点だろう。この両義的な性質は当然リースハウトの作品にも織り込まれている。例えば、《エデュカトリアム》(OMA、一九九七)のエントランスに据えられたベンチ[図2]は、初期の模型では「岩」であったが、現在われわれが目にするのは、スロープを滴り落ちる「滴」である。ダリへの接続をも想起させるこの液体的な形状は、FRPの製造工程と深く結びついている。これに限らず、シンク、天窓、トイレ、屋外家具など、彼の作品は、水を制御するよう定められているものばかりで、しかもFRPの性質に従い均質で角の取れたどこか液体的なイメージを備えている。つまりみな水のかたちをした防水器具なのである。この「防水」というコンセプトをオランダの地勢と結ぶのは安易な付会かもしれないが、「水」と「防水」は背中合わせで彼の作品に繰り返し現われる重要なモチーフである。

1──《バスルーム・ファニチャー》1990 出典=A Manual, NAi publishers, 1997.

1──《バスルーム・ファニチャー》1990
出典=A Manual, NAi publishers, 1997.

2──《エデュカトリウム》ユトレヒト、1997  筆者撮影

2──《エデュカトリウム》ユトレヒト、1997 
筆者撮影

「良い、悪い、醜い」

 
芸術家マルセル・デュシャンは便器に「泉」と命名し、作品とした。およそ七〇年ののち芸術家ファン・リースハウトはやはり便器を作品と呼ぶ。両者のあいだに唯一しかし決定的な違いがあるとすれば、それはリースハウトのトイレが使用可能な点であろう。使用可能というよりはむしろ、通常のトイレに限りなく近い使われ方をしており、仮にこれをリースハウトの作品と気づかない来館者がいたとしてもおかしくないほどである。しかしこれをひとたび「作品」と知れば、その事実が掘り起こす疑問の根は深い。彼の便器はロッテルダムのボイマンス美術館、ユトレヒトのセントラル・ミュージアムなどに常設展示されており[図3]、来館者は、FRP製の巨大な男性器《バイオプリック》など彫刻然とした彼の作品を鑑賞したその美術館の館内で、同じ作家の手がけたトイレを利用することになる。
また、この彼の「トイレ」を普通のトイレではないと言う理由がどこにもないのと同様、それを「建築」と呼ばざるをえない作品もある。《主人と奴隷のユニット》(一九九五)[図4]などにはじまり、最近では《良い、悪い、醜い》(一九九八)[図5・6]という、その規模、利用法、恒久性、あらゆる意味において建築でしかない「作品」が竣工している。クリント・イーストウッドの西部劇にその名の由来をもつこの作品は、「大草原の小さな家」部分と、それぞれアルミ製、FRP製の移動装置からなる。通常ミネアポリスのウォーカー彫刻公園に設置されているが、移動可能な部分は文字通り市内を移動し、イヴェントなどに合わせて利用されるという。良さ、悪さ、醜さの三つの要素が拮抗し、付き、離れ、ばらばらで同時にひとつのものでもあるような様態の可能性が提示されている。

3──「アトリエ ユ63」展、ブリュッセル、1995 出典=A Manual, NAi publishers, 1997.

3──「アトリエ ユ63」展、ブリュッセル、1995
出典=A Manual, NAi publishers, 1997.

4──《主人と奴隷のユニット》オッテルロ、1995 出典=A Manual, NAi publishers, 1997.

4──《主人と奴隷のユニット》オッテルロ、1995
出典=A Manual, NAi publishers, 1997.

5、6──《良い、悪い、醜い》外観/内観、ミネソタ、1998 出典=The Good, The Bad+The Ugly, NAi publishers, 1998.

5、6──《良い、悪い、醜い》外観/内観、ミネソタ、1998
出典=The Good, The Bad+The Ugly, NAi publishers, 1998.

ふたたび「ファン・リースハウト」

 
さて、彼自身の名であることを超え、音の戯れへと身をやつしたこの名、「Lieshout」を蘭英辞書で引いてみると、liesはgroin、houtはtimberとある。groinとは海岸突堤、つまり波/水を防御するためのランドスケープであるが、その形状から男性器の婉曲表現でもある。timberとは木材である。「防水」が彼のモチーフであることはここで述べたとおりであるが、男性器、木材いずれも彼の作品で多用される重要な要素である。これが、果てしなくつづく彼一流のジョークの所産だとしても、看過できる水準はとうに超えてしまっている。またたとえそれが愛憎の捻れた反応を呼び起こすとしても、彼はいっこうにお構いなく、良い/悪い/醜い作品を製造し続けることだろう。

>吉村靖孝(ヨシムラ・ヤスタカ)

1972年生
吉村靖孝建築設計事務所主宰。早稲田大学芸術学校非常勤講師、関東学院大学非常勤講師。建築家。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。