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住宅を構想することは可能か──近代における住宅の試み | 柏木博
Imagined Homes:Modern Experiments with Living Space | Kashiwagi Hiroshi
掲載『10+1』 No.05 (住居の現在形, 1996年05月10日発行) pp.146-153

日本の近代の「都市問題」は、集約してみればその中心にいつも「住宅問題」が位置していたといえる。日本では、たとえばアメリカなどとは異なって、宗教や民族あるいは言語の差異が都市の複雑な問題として顕在化することが少ない。したがって、日本の近代にかぎって言うなら、都市問題と住宅問題はほぼ重なりあっている。
都市化は人口過剰をともない、物理的に住空間を圧迫する。実際、近代の都市計画の基本にはこの人口問題が置かれてきた。整理してしまえば、都市における人口問題については、二つの考え方が基礎になっている。ひとつは、エベネザー・ハワードの「田園都市論」に代表されるように、人口を低密度に維持するという計画。そしてもうひとつは、ル・コルビュジエに代表されるように、反対に、人口集中に対応できる高密度都市の計画である。しかし、結論からさきに言えば、どちらの計画も二〇世紀において完全に成功したとは言いがたい。
また、近代の都市において圧迫される空間の問題は、土地利用の方法にかかわる問題だけではなく、土地という特殊な商品をめぐる問題として現われた。土地は住空間やものの生産空間としてだけではなく、近代においては「商品」とされてきた。しかも、その商品は骨董品や芸術作品と同様、通常の市場価格のシステムとは異なった曖昧な価格決定が行なわれる、きわめて特殊な商品として扱われていた。そうした不安定な土地の上に、わたしたちの住居は置かれてきた。住宅を生活するための装置として、それ自体を純粋に議論することも可能であるが、それが、特殊な商品の上に成り立っているという条件が、おそらく住宅問題をさらに決定的に複雑にしているといえるだろう。
経済のシステムは近代においては社会システムと深くかかわっている。経済は都市、そして住宅の問題と不可分の関係にある。したがって、たとえば、八〇年代の泡沫バブル経済の出現もまた、住宅問題と深くかかわっているし、泡沫経済崩壊後の金融機関の破綻もまた、住宅金融専門会社(住専)の抱える不良債権として現われてきていることからもわかるようにやはり住宅問題とかかわっていると言っていい。
資本主義の市場経済の無原則的な競争は結果として経済的な破綻を引き起こす。その典型が泡沫経済の破綻である。そして、経済の破綻は同時に都市の破綻と住空間の破綻を引き起こすことになる。
通常の市場のシステムにではなく、骨董品や芸術作品のように価格決定が曖昧な「土地」に経済の根拠を置いてきたことそれ自体が、泡沫経済の異常さを示している。言い換えれば、土地の価格は工業製品とは異なって、価格決定の約束事がほとんどない。それは何を意味するのか。何の約束事もない世界に全面的に依拠して、八〇年代のわたしたちの都市は変化してしまったということになる。そうだとすれば、都市は人工的に変革し構築できるものであるという近代が暗黙の前提にしていたその理念が崩壊していたということになりはしないか。この理念とは近代社会を成立させていた理念であり、それが近代の社会契約であったはずだ。
契約と近代社会ということに関連させて住宅を考えるとすれば、問題はさらに近代そのもの、あるいは近代の家族や家庭を成立させている基盤を問うことにむけられることになるだろう。
八〇年代の泡沫経済の破綻と都市の破綻という事例にもどってもう少し指摘しておこう。泡沫経済崩壊後の金融機関の破綻をいかに処理するかについて、現在はっきりとした処方箋をほとんど誰も持っていない。それ自体、大きな問題であるが、ことは都市そして住宅の荒廃に及んでいる。八九年に東京後楽園の北側の一帯を歩いてみたとき、すでに住宅街も商店街も崩壊していた。また、九三年に六本木の東側の一郭を歩いていたときに、ゴーストタウン化しているのを目にした。おそらく、同様の状況が東京のあちこちにあるはずだ。
いわゆる「地上げ屋」の攻勢で土地を売って街を出ていった人々が多かった場所は、現在、荒廃したゴーストタウンになっている。当初は、そうした土地にマンションや高層ビルの商業施設を建設する予定だったはずである。しかし、融資が止まったまま、街もまたそのままゴースト化しているのである。この都市と住宅の状況は、住専処理と同様に相当に深刻な問題なはずだ。
このように見てくると、一般的に都市は政治と経済のシステムを反映していることがわかる。そしてその都市の問題は、住宅の問題と不可分である。そうしたことを念頭におきつつ、ここではその複雑きわまりない住宅にかかわる問題のいくつかを議論しておきたい。

近代の住宅問題

無原則な市場経済活動の結果、都市が破綻をきたすという現象は八〇年代の泡沫経済がはじめて引き起こした現象ではもちろんない。都市の破綻はさまざまな結果として現われる。たとえば、そのひとつとして、スラム(不良住宅)が出現してくるということはすでに一九世紀に顕在化したことである。それが近代の住宅問題へとつながっていった。この現象は欧米においても日本においても共通していた。明治期に日本では都市の住宅問題が顕在化しはじめた。今日の住宅の問題を考えるためには、こうした近代の住宅問題のはじまりと、成功したとはいえないがその近代的処方を振り返って見ておく必要があるだろう。
日本のスラムの生活を目撃した横山源之助は一八九八年に『日本の下層社会』としてまとめている。横山は日本の不良住宅での生活を次のように報告している。

「広きは六畳、大抵四畳の小廓に、夫婦子供同居者を加へて五、六人の人数住めり、之を一つの家庭とし言へば一の家庭に相違なけれど、僅かに四畳六畳の間に二、三の家庭を含む、婆あり、血気盛りの若者あり、三十を出でたる女あり、寄留者多きは蓋し貧民窟の一現象なるべし。
而して一家一夫婦なりと称する者を見るに、正式に媒介者を得て夫婦となりたるは極めて少なし、実際を探れば一ッの路地数十軒、真実の夫婦は二、三に過ぎざらん」★一


横山源之助が描写しているような不良住宅とその住民である貧困な生活者を発見したことが、一九世紀以降、二〇世紀をとおしての住宅計画そして近代都市計画をおしすすめることの要因となった。一九世紀の欧米でも同じ事態が引き起こされていた。たとえば、フリードリッヒ・エンゲルスの『住宅論』(一八七二年)はまさに不良住宅の存在を前提にして書かれている。

「近代の自然科学の示すところによれば、労働者の集合する『不良地域』こそ、時々われわれの都市を襲うところのすべての伝染病の孵卵場である。コレラやチブスや腸チブス痘瘡その他の伝染病は、こういう労働者街の、病毒で一杯になっている空気と、腐った水との中に、その病菌を伝播する。(…中略…)こういうことが、一度学問的にはっきりとわかると、人道的なブルジョアは、労働者の健康について高貴なる熱心を示して来た。協会も出来、書物も書かれ、法案も提出され、法律も審議され公布され、以て、ひきつゞいて起こる流行病のもとを根絶しようとした。労働者の住宅状態が調査され、その最もおそるべき不幸を除こうとする試みがなされた」★二


エンゲルスは、不良住宅街を都市の病として人々が目をむけそれを議論の対象にしはじめた状況について語り、しかし、そこでの議論がしばしばことの本質を被い隠すものとして機能していると指摘している。その代表的な事例としてエミール・ザックスの「労働者階級の住宅状態とその改良」という論文をあげている。エンゲルスは都市の住宅問題をおおよそ次のようにまとめている。
「生存と繁殖とに必要な生活資料だけで生活しなければならない社会」「機械の新しい改良その他が絶えず労働者の大群を失業させる社会」そしてその失業者たちが大量に都市に集まり、その結果、住まいに「豚小屋でも借りるより外ないような社会」そして高い家賃が慢性化している環境、そうした「社会は、住宅難なしに存在しない」のだという。そして「そういう社会においては、住宅難は決して偶然のことではなくて、それは必然の制度(インスチチューション)である」のだと述べている。こうした状況は、その形式において現在のわたしたちの住宅環境とかわらない。ザックスに代表される住宅論に対するエンゲルスの批判は、こうした住宅難を社会関係によって説明しようとしないことにむけられている。そして、労働者が住宅(土地)を入手することによって、「資本家となる」というザックスの視点がいかに間違っているかを指摘している。
まず、第一に都市生活者は農民とは異なって土地に拘束されることなく移動する自由を持っているが、住宅を持つことによってしばしばその自由を奪われ、また住宅を手放すことになれば購入したときよりも条件が悪化する。第二に、自分が着ている衣服と同様、自ら生活する住宅は資本ではない。そして第三に、労働者は自己の家屋に対して家賃を払っているようなものだという。
ローンで住宅を購入して生活している今日のわたしたちもまた、同じようなものである。絶望的な不良住宅街の問題を解決するための処方はさまざまな形で考えられた。そのひとつは、すでにふれておいたように、エベネザー・ハワードの田園都市である。
ハワードの田園都市論、『明日──真の改善への平和な道』(後に一九〇二年『明日の田園都市』として再刊された)は一八九八年に出された。彼は都市が組織的なものであり、また構造的につくられ管理されるべきものであると考えていた。また、それまでの都市タウン田園カントリーとが持つ有効な面を併せ持った空間として「都市=田園タウンーカントリー」という概念を提案した。都市と農村のいわば結合態を田園都市ガーデン・シテイとハワードは呼んでいる。ハワードの田園都市論は、いかに組織的な都市を経営していくかについて論じている。

「街それ自体のなかには三〇〇〇人、さらに二〇〇〇人が農業用地の土地に住んでおり、また、町には平均二〇フィート×一三〇フィート──目的によっては最小二〇×一〇〇──の敷地が五五〇〇あるということを告げられる。多様な建築とデザインの住宅とグループになった住宅──いくつかは共通の庭と共同の台所を持っていること──に気づくなら、わたしたちは、そこからはじまる街路の流れや調和の総合的規則が住宅建築にとって主要な問題であり、衛生に関する取り決めがきびしく実施されるにしても、個人的趣味や好みは奨励されるので、自治体の権限がこれを管理していることに気づく」★三


ハワードは、田園都市の人口を、街の区域には三〇〇〇人、周辺の農業地区に二〇〇〇人という規模に限定している。この規模は都市の経済的、組織的効率の予測から出ている。したがって、田園都市という空間は、けして無限に広がる空間ではないということである。そして、新たな共同体の構築を前提にしている。
このハワードの住宅構想は、アメリカのSF作家のエドワード・ベラミーの『顧みれば』から多くの刺激を受けている。『顧みれば』は一九世紀の終わりに書かてれおり、二〇〇〇年のボストンの生活を描いている。未来都市ボストンでは、公共住宅が整備されているという状況をベラミーは書いている。ベラミーの小説では、労働が社会主義的システムによって配分されているところに特徴がある。
近代の共同住宅計画の多くはユートピア主義者シャルル・フーリエのファランステールの影響を受けている。フーリエのファランステールもまた人口を限定しており、一六〇〇人から一八〇〇人のあらゆる世代の住人たちを想定した共同生活空間である。つまり、フーリエにおいても新たな共同体の構築を前提に新しい共同住宅が構想されている。フーリエの影響はアメリカで共同住宅としてかなり強く現われた。
二〇世紀に出現することになる集合住宅(共同住宅)、あるいは団地は、ハワードの田園都市の考え方と、ル・コルビュジエによる高密度都市の考え方を混在させている。
しかし、ハワードの田園都市にしてもフーリエのファランステールにしても、またコルビュジエの高密度都市にしても、それらのアイデアは引用されつつも住宅問題は解決されなかった。それは、多くの場合、予測に反する人口の肥大化によっている。また、労働をふくめた「共同体」が実現しえなかったことにもよっている。この「共同体」はかつてのヴァナキュラーな共同体ではなく人工的な組織体であり、いわば理念的な社会である。それが構築できなかったということだ。
ハワードは共産主義あるいは社会主義を認めつつも、それは現実の社会組織としては成功しないだろうとする。彼はむしろ個人を核として、その結合と協同の団体(ボディ・オブ・コーポレーター)によって組織化することを提案している。新たな共同体は、バウハウスにおいても、あるいはハワードに影響を受けて一九〇二年に設立されたドイツ田園都市協会によるジードルンクにおいても前提にされていたことである。

共同体という前提

近代の住宅の提案の多くは、新たな共同体(社会)をいかに構築するかという問いを持っていた。近代の新たに構築されるべき共同体(社会)は、それまでの社会と異なって、誰からも強制を受けない人間関係によってかたちづくられなければならないと考えられた。それは、人々の関係が支配と従属の関係から解放されるということを意味する。
古い制度にかわって、新しい約束事を自ら決定し、それによって、新しい社会関係を生成するということを意味する。その共同体の統一の原理は民族や宗教や言語や地域に依拠することはできなかった。したがって、まったく新たに人工的に約束事つまり社会契約を構成する必要があった。社会契約=約束事によってあらたな共同体(社会)は具体性を与えられることになる。それが具体性を持つからこそ、その構成員が生活する住宅も都市も構築し変革が可能となるのである。また、住宅も都市も計画の対象となりうる。
ルソーが『社会契約論』を書いたのは、人権宣言がなされる二七年前の一七六二年のことである。『社会契約論』の「最初の社会について」という章は次のようにはじまる。

「あらゆる社会の中でもっとも古く、またただ一つの自然なものは家族という社会である。ところが、子供たちが父親に結びつけられているのは、自分たちを保存するのに父を必要とする間だけである。この必要がなくなるやいなや、この自然の結びつきは解ける。子供は父親に服従する義務をまぬがれ、父親は子供たちの世話をする義務をまぬがれて、両者ひとしく、ふたたび独立するようになる。もし、彼らが相変わらず結合しているとしても、それはもはや自然ではなく、意志にもとづいてである。だから、家族そのものも約束によってのみ維持される」★四


また、権力と権利の関係について、ルソーは「いかなる人間もその仲間にたいして自然な権威をもつものではなく、また、力はいかなる権利をも生みだすものでない以上、人間のあいだの正当なすべての権威の基礎としては、約束だけがのこることになる」と言い切っている。わたしたちの近代の共同体(社会)の構想、そしてその構成員が生活する住宅の構想もまた、そのような人工的な約束事を前提にしてきたのである。
共同体あるいは社会を成立させている約束事を「幻想」であるというなら、それはもちろんそのとおりである。家族も社会も国家も幻想だという指摘は、この間に繰り返し行なわれてきた。ポストモダンの議論は、近代という幻想、あるいは近代の神話を解体する議論でもあったといえるだろう。しかし、本来、幻想としての約束事の上に社会を構築しようとしてきたのであってみれば、幻想が解体したからといって、そこに生じたさまざまな問題が解決するわけでもない。
しかし、もし、二〇世紀の住宅構想が前提にしてきた社会契約そのものが、つまり新しい共同体の構想そのものが、現代において解体していたとしたらどうだろうか。
冒頭でもふれたが、八〇年代の日本では、価格決定の約束事がほとんどない不動産をかつての「金」と同様に価値の対象物としてしまった。何の約束事もない世界に全面的に依拠して、都市や住宅をデザインしようとしてきたのである。
日本の八〇年代においては、共同体(社会)そのものの必然性すらも、希薄なものになるような事態が進行していたのかもしれない。つまり、ルソーが言うところの「約束によってのみ維持される家族」すらも、人間は必要としなくなるような意識や感覚の変容が引き起こされているとしたらどうだろうか。
技術決定論に陥ることは慎重に回避しなければならないが、そうした意識や感覚は何がしかの道具や装置、そしてシステムの成立とかかわっているだろう。たとえば、少なくとも現在の市場では、ほとんどの家事労働の結果は商品化されている。衣食住のすべては商品として購入することが可能である。したがって、そうした状況の中では、親子の関係が「必要がなくなるやいなや、この自然の結びつき」が解消され、しかもその後に「相変わらず結合している」ことを欲望しないということが広がっているかもしれないのである。つまり、家族の必然性を感じなくなるような条件を市場が準備してきたと言えないだろうか。そうしたことの結果は、当然、市場経済の原則がすべての根拠になる。その市場の原則も繰り返すが土地という特殊な商品を中心にしていたということだ。
もし共同体への欲望とそれを成立させる約束事の存在そのものがあやしげなものだとすれば、近代が少なからず提案してきた共同住宅という構想そのものが成り立たないだろう。そして、もし、最終的にわたしたちは家族という最小限の共同体の単位そのものをも望まなくなっているとしたら、そのシェルターとしての住宅のあり方を根底から考え直さざるをえないだろう。

自立する住宅は可能か

では、社会に依存せず、かといって市場経済の支配からも逃れて自立できる住宅などというものは成立するだろうか。社会や共同体を前提にしない住宅の実験的な実践のひとつにバックミンスター・フラーの「ダイマクション・ハウス」がある。フラーは一九二七年、大量生産を前提とした住宅「4─D」(後にダイマクション・ハウスと呼ばれるようになる)を構想し、それに関する詳細なレポートを出版した。そして、それをヘンリー・フォードやバートランド・ラッセルたちに送った。
ダイマクション・ハウスは、住宅は軽量で、台座から取り外しが可能になっており、アルミニウムのマストを中心に置いて、透明ガラスとカゼインの壁、そして空気を入れたゴムの床をワイヤーで吊るした。それはちょうど遊牧民のパオと共通している。この住宅は移動が可能だった。この点において、住宅が土地にしばられるがゆえに移動が限定されるというかつてエンゲルスが指摘した問題も解決されるはずだった。フラーは、土地の問題に関しては、私有ということを排除しようとしていたのである。つまり、海に浮かんだ船が海の所有を前提にしないように、また飛行機のパイロットが空を所有したとは思わないように、大地に建てられた住宅も土地を所有する必要はないのだとフラーは考えていた。
ダイマクション・ハウスはまた、発電と水のリサイクリング・システムを持っていた。フラーは公共の設備にたよらない住宅にしようとしていたのである。単純な家事労働はなくなり、個人と家族の完全な個人主義が進展するだろうとフラーは考えたのである。
フラーはこの住宅を「無駄な手間、利己主義、搾取、政治、そして中央管理を排除」★五するものでなければならないと考えていた。それは、いわば、市場からも組織や国家からも離れて自立し自律できるものでなければならない。しかも、組織や国家を排除しても「洪水、火事、大旋風、雷、地震、そしてハリケーン」といった大自然の極限状況の中で生活できるものでなければならないとフラーは考えていた。
もう少し「4─D」の構成にふれておこう。「4─D」は中心にアルミニウムのマストがあり、このマストで金属製の住宅を吊る。このマストの中に機械コアを収納するようにデザインしていたのである。つまり、このコアを住宅の荷重を支える構造体であると同時に、設備の集中する場所にした。彼はバスルームや洗面室、暖房、配線、配管などの装置を住宅の機械コアとして一緒にデザインすべきだと考えていた。この機械コアはあらかじめ工場で生産され住宅現場に持ち込まれるようにしようとした。
フラーはまた、この中心のマストのコアに家事の施設を集めるように設計した。ふたつの風呂、ここには真空電気ヘヤー・クリッパー、真空歯ブラシ、懸垂棒などを完備していた。また、洗濯し三分で乾燥する自動洗濯機ユニット、汚水処理タンク、発電機、エア・コンプレッサー、湿度調整機、考えうる設備をすべて装備したキッチンがある。二つの寝室には空気ベッドがある。完全な室内温度調整が行なわれているので、ベッドにはシーツも毛布もない★六。
フラーは、このように家事にかかわる設備や機械を中心に集中させ、残りの空間を居住空間として自由に使えるようにしようとしたのである。ダイマクション・ハウスの機械コアは、いってみれば家事労働を肩代わりするロボットだった。そしてそのロボットが住宅の中央にあって住宅全体を支配している。
また、タイプライター、計算機、電話、書取機、テレビジョン、ラジオ、レコードプレイヤー、謄写版などの装備がひとつになったユニットが考えられていた。つまり、それまでの家事に加えて、フラーはメディア系の仕事を当然のごとく家庭の中に組み込もうとしていた。
戦後にいたるまでフラーは、こうしたローコスト住宅のアイデアの練り直しを何度か繰り返している。しかし、この画期的なデザインは結局、多くの人々には受け入れられなかった。こうした結果について、S・ギーディオンが興味深い分析を行なっている。

「フラーは、数十年間にわたって狂信的に自分の考えの完成に努力した。設備の生産と組立てを一つに結びつけることによって、機械的快適さを備えた今世紀の住宅を万人のものにすることができるという彼の主張は、たしかに時代の必然を表現したものである。建築の新しい世代がいかにこの問題を深く肝に銘じ、機械コアと住宅という広い概念との融合をはかる道を模索してきたか……。機械コアに対する要請は全面的機械化の象徴である」★七


だが、ギーディオンはフラーのダイマクション・ハウスを「グロテスクな先祖返り」のデザインであったと評している。規格化された量産住宅が都市に何百万戸も並んだ光景は悪夢のようでもあるとまでギーディオンはいう。実際、ギーディオンが指摘しているように、アメリカでは、結局、むきだしの機械の中で生活するという斬新なイメージはそのままでは受け入れられなかった。それはグロテスクな光景に見えたのだろう。
フラーの自立型の住宅は実現することはなかった。一方、わたしたちが依拠しているヘンリー・フォードの大量生産のシステムは、結果として人々の行動あるいは作業、そして時間を均質化した。また、誰もが同一の消費者として個体化していく傾向を生みだした。したがって、こうした生産システムは個人を共同体ではなく孤立してネットワークの上の存在にする傾向を準備したといえよう。
資本主義的な市場経済のシステムは、人間を生産と消費の装置にしてしまう。したがって、それは基本において共同体(社会)を必要としない。そうした中では、個々人が個体として全体的なシステムのネットワーク上に存在しさえすればいいという方向にむかいがちである。わたしたちの生活する環境は現在、共同体(社会)の約束事(社会契約)が崩壊しつつある。そうした中で、どのように住宅を構想すればいいのか。


★一──横山源之助『日本の下層社会』(岩波文庫)。
★二──エンゲルス『住宅論』大内兵衛訳、(岩波文庫)。
★三──E・ハワード『明日の田園都市』長素連訳、(鹿島研究所出版会、一九六八年)。
★四──ルソー『社会契約論』桑原武夫、前川貞次郎訳、(岩波文庫)。
★五──マーティン・ポーリー『バックミンスター・フラー』渡辺武信、相田武文訳、(鹿島出版会、一九九四年)。
★六──ブライアン・ホリガン「明日の住宅一九二七〜一九四五」『明日のイメージ』、MIT Press.一九八六年。
★七──S・ギーディオン『機械化の文化史』栄久庵祥二訳(鹿島出版会、一九七二年)。

>柏木博(カシワギ・ヒロシ)

1946年生
武蔵野美術大学教授。デザイン評論。

>『10+1』 No.05

特集=住居の現在形

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>バウハウス

1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グ...

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>バックミンスター・フラー

1895年 - 1983年
思想家、発明家。

>ジークフリート・ギーディオン

1888年 - 1968年
美術史。チューリッヒ大学教授。