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〈無人〉の風景──建築が見る〈不眠の夢〉 | 田中純
An "Unpopulated" Landscape : The Architect's "Insomniac Dream" | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) pp.46-60

1ベルリン──〈零年〉の都市

「場所の諸問題」をテーマとした一九九四年のAnyコンファレンス〈Anyplace〉において、イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオーは「テラン・ヴァーグ」という発表を行なっている★一。〈テラン・ヴァーグ〉とは都市内部における、空虚で占有されていない、不安定で曖昧な性格をもつ場所をさす。ソラ=モラレスはこのテラン・ヴァーグへの関心を、一九七〇年代以降の写真による都市表象のなかに徴候として読み取り、それをジュリア・クリスティヴァの考察と関係づけて、共同体に対する他者(外国人)の存在がもつ〈未知性〉のイメージと解釈している。すでに本誌上で論じた通り★二、このテラン・ヴァーグのさまざまな特性は、写真というメディアそのものの効果として考察しうるものだ。都市写真は都市の忠実な再現表象などではなく、それ自体が都市の〈他者〉を生み出している。事実としては効率的に利用可能な空き地にすぎない場所が、写真表象においてテラン・ヴァーグへと変容する。ソラ=モラレスが指摘するように、映画や写真、彫刻がこの〈他なる空間〉の保存のために、それを表現の主題とすることに熱心であるという現象が認められる一方で、建築、建築家がテラン・ヴァーグとの間にもつ結びつきは、それらと比較してはるかに問題をはらんだものとならざるをえない。なぜなら「建築の宿命はつねに植民地建設であり、境界、秩序、形態の強制、そして、未知の空間を馴染みあるもの、同一なもの、普遍的なものとするために必要な自己同一性の諸要素をその空間へと導入することだった」からだ。テラン・ヴァーグが語義通りに不安定で曖昧な場であるかぎり、そこは建築の確固たる基盤ではありえないだろう。そして、テラン・ヴァーグが都市にとって〈他〉なるものの場であるとすれば、建築はその〈未知性〉を無化するためにそこに介入することしかできないのかもしれない。テラン・ヴァーグに対する建築の介入のあり方を示す実例としてソラ=モラレスは、ベルリン・アレクサンダー広場の三つの異なるイメージをあげている。ソラ=モラレスはその際、意図的に反時系列的な(アナクロニックな)順序でイメージを提示している。第一のイメージは旧東独時代のアレクサンダー広場であり、その形態は〈普遍的で、徹底して特殊性を欠いた秩序の反復〉をなしている。第二のイメージは爆撃によって破壊された一九四五年の、いわゆる〈ドイツ零年〉の広場である。「都市空間は戦争の暴力によってテラン・ヴァーグと化す。戦争の否定性が未知性や表現不可能なもの、居住しえないものを明るみに出す」。そして、最も古い第三のイメージは、ミース・ファン・デル・ローエによる一九二八年の、アレクサンダー広場計画案のためのフォトモンタージュである[図1]。ソラ=モラレスはそこには「未知の領域において一つの出来事を生み出そう、既存のものに重ね合わせた独自な提案を無造作に提示しようとする身ぶり、都市の空虚の上に反復された空虚が存在している」と述べる。「この沈黙した人工的風景は都市の歴史的時間に触れているが、それを抹消することも模倣することもない」。
テラン・ヴァーグはこの三つのイメージのなかで、あるときは抹殺された状態で、あるときは都市の破壊の痕跡として裸形の姿で、またあるときは建築家の投企した映像として立ち現われている。ソラ=モラレスはそれらを遡行的に示すことにより、最後に位置するミースのプロジェクトに、建築がテラン・ヴァーグを保持しつつ、そこに介入する可能性の期待をかけているとみてよいだろう。ミースの計画案そのものにそのような希望が読みとれるかどうかは疑問であるにしても、〈都市の歴史的時間〉に対する建築の関わり方が、テラン・ヴァーグのもつ不確定性と曖昧さを存続させるための重要な契機であることは確かだ。
周知の通り、ここで取り上げられているベルリンという都市は、ナチス・ドイツおよび東ドイツ(ドイツ民主共和国)の社会主義体制それぞれの支配と崩壊が、第二次世界大戦という徹底的な破壊の経験をはさんで繰り返されてきた街である。ソラ=モラレスの論文にはベルリン・ポツダム広場の現況を撮影したパノラマ写真も添えられている[図2・3]。〈都市の歴史的時間〉と建築との対峙を探るためには、この写真に撮されたベルリン、ソラ=モラレスが触れていない〈新ドイツ零年〉以後の、つまり一九八九年のベルリンの壁崩壊とそれに続く東西ドイツ統一後の首都ベルリンこそがむしろ恰好の対象ではなかっただろうか。なぜならこの街はドイツ民主共和国の崩壊と消滅の過程において、少なくともつかの間は文字通りのテラン・ヴァーグと化していたからである。
西ドイツ(ドイツ連邦共和国)においては、ナチス・ドイツおよびそのユダヤ人をはじめとする大量虐殺という過去を検証し、その実態を反省する行為が〈過去の克服〉と呼ばれた。ドイツ統一後、〈過去の克服〉は二重化したといわれる。なぜなら統一の過程で旧東ドイツの社会主義体制がほとんど全面否定されてしまったために、このもうひとつの〈過去〉の〈克服〉もまた問題にならざるをえないからだ。ベルリンでは新ドイツ零年以後、都市計画においてこの後者の〈過去の克服〉が、西側への統合と再開発の名の下に、旧体制の痕跡の抹消として進行している(ベルリン市の建設局長ハンス・シュティンマンはそれを〈批判的再建〉と称した)。東ドイツの共和国宮殿の敷地に、社会主義体制時代に完全に破壊されたかつての宮城を再建しようとした動きのように、そこでは近過去の歴史の消去がそれ以前の過去を亡霊のように呼びさますという現象も見られた。〈ドイツ〉、〈ドイツ人〉の、過去数十年間にわたって分裂してきた〈アイデンティティ〉回復を象徴する都市であるからこそ、ベルリンでは〈他〉なる場の存在は脅威と感じられかねず、そこには同質化の力が強く作用することになる。
ポツダム広場改造計画の設計競技審査委員を務めながら、自らの少数意見が記録から抹消されたことを理由として、レム・コールハースはあるインタビューであえてこの設計競技に対する批判を公にしている。コールハースはそこで、九〇年代のベルリン改造計画において──あからさまにであれ、暗黙のうちにであれ──進行しているこのアイデンティティ回復と同質化の動きに、冷戦の終了とともに過去四〇〜五〇年間の空白を一挙に埋め、ベルリンを再びメトロポリスにしようとする衝動を見出している。しかし、それはもはや通用しないモデルに回帰することでしかない。むしろベルリンはすでにきわめてメトロポリス的なのである。アレクサンダー広場の空虚さには、たとえそれが歴史の悲劇を刻印されているとしても、やはり何らかの美的性質は存在するのであり、そこにたたずんだときの当惑を覚えるような、複雑なこの美的感覚をやみくもに排除してしまうことは犯罪的でさえある。「私たちはアレクサンダー広場の美しさ、それが今日そうであるような姿のままにおける美しさを描写する、一人のあらたなヴァルター・ベンヤミンを必要としています」★三。それを〈美しさ〉と呼ぶことにはためらいが残るとはいえ、ベンヤミンの『世紀転換期のベルリンの幼年時代』におけるように、アレクサンダー広場という都市空間を、悲劇的でありながら美しいという複雑で両義的な(〈襞〉をなした)〈イメージ〉の場として経験すること、そしてそれを物語ることが、このテラン・ヴァーグの〈未知性〉を展開する一つの方法であることは間違いない。しかし、では建築家はこの広場に対してどのようにアプローチすればよいのだろうか。建築にそのような〈物語〉は可能だろうか。
例えばこのアレクサンダー広場の設計競技に一票差で敗れたダニエル・リベスキンドの案は、すべてを白紙状態に戻して出直そうとする〈全体主義的ユートピア主義〉による、都市の歴史の抹殺に対する抵抗として構想されていた[図4]。しかし、同時にそれはコンテクスト主義という名の〈回顧趣味的歴史主義〉にも与しない。つまりそれは、ソラ=モラレスがミースのプロジェクトについて語ったように、「都市の歴史的時間に触れているが、それを抹消することも模倣することもない」。この二重の拒否の代わりに、リベスキンドは既存の都市構造の部分的な作り替えのプロセスを提案する。このプロセスはアレクサンダー広場が完璧なものとなるような未来の一時点を想定しない。そこではあくまでも徐々になされる絶えざる改良が可能であり、既存の条件は障害や一種の病理ではなく、新たな経験への手がかりとなる。「ベルリンの現在の政治状況を考慮したこの計画案のラジカルなところは、ほぼ五〇年にわたる都市建設を象徴するドイツ民主共和国(旧東独)の存在を許容している点である。建築的にほとんど無価値の、東独時代に建てられた、芳しからぬコンセプトに基づくプレハブ式建築でさえも単純に取り壊しの対象としてリストアップすべきでなく、むしろエコロジー的な配慮のもとに全体へ組み入れるべきなのである」★四。
リベスキンドがここで、ベルリンにおける建築行政という政治のみならず、その背後にあるより広範な、統一ドイツのアイデンティティをめぐる〈記憶の政治〉を念頭に置いていることは明らかだ。ほかでもないアレクサンダー広場やポツダム広場を取り上げながら、あえてその現状について言及しないソラ=モラレスのあの反時系列的な回顧的パースペクティヴにもまた、ベルリンをめぐるこのような〈政治〉状況に対する批判的なまなざしを認められないわけではない。テラン・ヴァーグという対象そのものが、都市のアイデンティティを危うくする亀裂、その空無の〈場所ならざる場所〉ではなかっただろうか。そこは根拠=土地(ground)としての場所にはなりえない。リベスキンドは磯崎新との対談でこう語っている。「僕の経験でも、例えば最近やった〈アレクサンダー広場〉の都市計画プロジェクトなんかも、現実には一票差で負けたが、そこを特定の場所にするための根拠グラウンドなんてないんだということを言っておいた。あそこは場所プレイスにはなりえない、また、そうしてはいけないとね。だって、過去にもそうだったことはないわけだから」★五。
過去においても、そしておそらく未来においても、そこは場所ではない。場所ではありえない。ゲニウス・ロキは死んだのではなく、つねにすでに不在なのである。そして、〈そこ〉ではないどこかが場所であるわけでもない。不動産としての土地は存在しても、そこに根拠は不在だ。非場所の、空虚の遍在。テラン・ヴァーグはどこにでもある。それは絶えず作り変えられうる過去、未決定な過去として、都市の任意の地点に拡散している。リベスキンドはアレクサンダー広場がつねにすでにテラン・ヴァーグであることを、建築を通じて認識させようとするのだ。建築はテラン・ヴァーグを根拠=基礎とすることによって結果的にその未知性を抹消してしまうのではなく、逆に根拠の不在こそをそこで可視化するのである。
リベスキンドのユダヤ博物館を貫く〈空洞ヴオイド〉も、こうした空虚の断片化した遍在性においてとらえられる必要がある[図5]。さもなければそれは、ベルリンにおけるユダヤ人の追放と虐殺の〈象徴〉として、この博物館においてのみ、そして自らが〈さまよえるユダヤ人〉であるリベスキンドのみに可能な特殊な表現という、ジャーナリズムで流通している解釈に押し込められてしまうだろう。これはあるシンポジウムでデリダがリベスキンドに疑義を示しながら触れたような★六、ベルリンやユダヤ人を特殊な〈見本・模範〉として、何ものかを表象=代表する存在として特異化してしまう、〈見本・模範の論理〉の陥穽にほかならない。〈空洞ヴオイド〉が単なる特殊解でないことはリベスキンド自身が指摘している。それはむしろ将来の建築全体に関わっている。「建築もしくは都市の中心が到達不能、居住不能といった不可能性で埋められていることは、おそらく、反=意識を生み出すことになろう」★七。この事態は〈中心〉そのものの喪失でもあるのだから、〈空洞ヴオイド〉はいわばそこで一挙に裏返され、その到達不能性、居住不能性は建築全体、都市全体のものとなるのである。〈空洞ヴオイド〉は望めば利用可能な空き地などではなく、構造的に抹消できない異物にとどまり続ける。〈空洞ヴオイド〉のなかにベルリンという都市やユダヤ人の歴史の特殊性のみを見ることはできない。むしろ、この〈空洞ヴオイド〉に投射される〈ベルリン〉や〈ユダヤ人〉のイメージを〈症候〉として、〈われわれ〉自身にとってごく間近の都市・建築の中心喪失こそがそこに読み取られなければならない。〈いまここ〉がすでに分裂した都市〈ベルリン〉であり、〈われわれ〉は誰もが〈ユダヤ人〉なのだ。〈空洞ヴオイド〉はつねにすでにここに〈ある〉。

1──ミース・ファン・デル・ローエ「アレクサンダー広場計画案」1928年

1──ミース・ファン・デル・ローエ「アレクサンダー広場計画案」1928年

2──ポツダム広場、1945年

2──ポツダム広場、1945年


3──同上、1992年

3──同上、1992年

4──ダニエル・リベスキンド「アレクサンダー広場計画案」1993年

4──ダニエル・リベスキンド「アレクサンダー広場計画案」1993年

5──ダニエル・リベスキンド「ユダヤ博物館」〈空洞〉模型

5──ダニエル・リベスキンド「ユダヤ博物館」〈空洞〉模型

2空隙都市──空間の〈消尽〉

遍在する空虚としてのテラン・ヴァーグは、日常的に遭遇するごく世俗的なものでありうる。例えば展覧会《空地・空洞・空隙》で鈴木了二が展示した一六枚の写真に撮された、都心の密集する建物と建物との間の空隙もまた、テラン・ヴァーグにほかならないのではないだろうか[図6]。「切れ切れに裁断され打ち捨てられた〈空間〉なき空間、〈光〉と〈闇〉とを縫い合わせる〈縁〉、または東京唯一の誰のものでもない開放ネットワーク、そして来るべき〈都市〉の一六のタイプ」★八。コーリン・ロウが図と地の区別によって分析した西欧の都市とは異なり、東京はジャクソン・ポロックのドリッピング絵画のように建築物で埋め尽くされ、その狭間に空隙が畳み込まれている状態にあると鈴木はいう。そして、自らの建築の実作のなかに事後的に発見された〈空隙〉、それが都市の二次元平面に作り出す〈空隙モデル〉を手がかりに、東京という都市は、〈空隙モデル〉が無限に何重にも降り積もり、その痕跡すら失われた世界ではないか、と推測する[図7]。「限りなく均質に近いひび割れに覆われた〈空隙都市〉の中に、建築の〈局所〉的表現としてうっすらと固有の軌道を記録する〈空隙モデル〉とは、言葉にならない記憶、沈黙の脳波なのかもしれない」★九。従って、この〈空隙〉もまた、共通の場をもたない任意の断片として、都市のそこここに遍在していることになろう。建築はこの〈大域〉的な記憶を時折想起するかのように〈局所〉的に空隙を浮かび上がらせる。このような〈空隙〉は〈空間〉ではない。言ってみれば〈空間〉の残滓であり、鈴木が引用するドゥルーズの言葉によれば〈消尽した空間〉である。〈消尽したもの〉とは潜在的な可能性のすべてを網羅的に尽くしきってしまったもの、枯渇し減衰したもの、そして散逸したものである。「空間を尽くすことは、あらゆる出会いを不可能にしてその潜在性を減衰させることである」★一〇。ドゥルーズが取り上げるベケットの作品『クワッド』で四人の登場人物は、正方形の上をそれぞれに与えられた一定の流れと方向に従って歩き回るが、決してこの正方形の中心で出会うことはない。彼らは互いを避けて体をひねり、とりわけ絶対に中心を避ける。正方形のこの中心における身体の衝突だけがここで起こりうる唯一の事件なのだが、それは四人のこうした〈運動的なリトルネロ〉によって〈消尽〉されてしまう。事件の生起可能性という〈潜在性〉を奪われた空間は「幾何学的には完全に限定されていながら、いつも任意の、廃れた、無用の空間である」★一一。〈空間〉を〈空隙〉へと消尽すること──鈴木がフラ・アンジェリコの宗教画「最後の審判」に描かれた奇妙な墓地を模型化した〈家具〉で試みているのは、そのプロセスであるといえるかもしれない[図8]。この消尽の過程において鈴木はまず、同時に〈世界モデル〉、〈都市モデル〉、〈建築モデル〉でもあるこの〈家具〉を、外側をとぎれなく覆っている閉曲面F1と内側を同様に連続的に覆っている閉曲面F2が、〈墓地〉の墓穴である上部の二八個の穴を〈へり〉として張り合わされたものと見なしている[図9]。模型の側面には断面形状の異なるさまざまな穴が開いており、二つの閉曲面をトポロジー的に見れば、それぞれの穴の数に応じて、種数ジーナス五二および八の〈トーラス(輪環面)〉を形成していることになる[図10]。〈形〉や〈比例〉、〈部位〉、〈材料〉の差異を還元して、〈曲面〉という〈場〉の滑らかなつながりのみを問題とするこのトポロジーの視線によってながめるとき、〈空隙〉部分とはこの滑らかな場の〈穴〉を意味し、この場合、閉曲面の中身が充実ソリツドであっても、空洞ヴオイドであっても差異はない。つまり、「〈空隙〉はなにかの〈充実〉を貫通してくり抜かれた開口であろうと、なにもない〈空洞〉の中を横切る梁やダクトであろうと同相なのだ」★一二。そこでは〈空隙〉が、容易に形而上学的解釈に誘惑されてしまう〈空虚〉/〈充実〉の二項対立図式を逃れて、きわめて世俗的、〈物質〉的に取り出されている。それは〈空間〉と〈閉曲面〉との〈次元差〉において〈空隙〉をとらえることである。「滑らかな〈場〉に在ること、それは〈表面〉そのものの上で考えることだ。つまり観測者は隔りの次元を欠いており、あるのはどこまでも目の眩む圧倒的な〈間近さ〉だけである。したがって識別できるのは〈表面〉が連続か不連続かであって〈表面〉が作りだす全体を、高みから神のように観察することはできない」★一三。この手探りの〈盲目的次元〉における疾走する移動によって経験されるものは、もはや〈空間〉ではない。それは〈空間〉から一次元が引かれて生じた〈表面〉であり、この表面は絶えざる〈運動〉によってとらえられるしかない。〈空間〉はいわばこの〈マイナス1〉の操作によって消尽される。〈空間〉という〈全体〉はもはやない。〈表面〉という滑らかな場の〈穴〉となった〈空隙〉は、そんな〈全体〉を知らない。一見したところ宇宙空間に散逸した幾何学断片のように見えながら、実はそれぞれの断片が互いに表と裏、内部と外部を複雑に接合させて循環しているリベスキンドの建築ドローイング「ミクロメガス」がまさに、〈表面〉上の狂った運動としてのこの〈空間〉の消尽を示していないだろうか[図11]。そして、ユダヤ博物館もまた、このような〈穴〉を抱えた、決して出会うことない閉曲面の組み合わせとして世俗的に分析可能ではないだろうか。地階とその他とではまったく異なる展示回廊の関係性から見ても、それは単に〈空洞ヴオイド〉というドライ・エリアを建物の中心にもってきただけの構造ではない。ベルリンにおける政治的な戦略としてリベスキンドが展開した〈ユダヤ人〉をめぐる言説には、確かに〈空洞ヴオイド〉を先の二項対立図式へと回収する危険が絶えずつきまとっている。しかし、彼にとって〈ユダヤ人〉とは、幾重にも折り畳まれた襞空間のなかをさまよう〈表面〉の経験にほかならなかったことが思い返されてよいだろう。磯崎新との対談でリベスキンドは『タルムード』の頁の余白に書き込まれた注釈について触れ、ヒエラルキーなしにさまざまなテクストがクラスターのように圧縮されたその〈余白〉を〈どこから決定していいか手がかりのない敷地図〉にたとえている。そこでまなざしは〈中心的主題も見出せないままに頁の上をさまよう〉。「この『タルムード』の頁は、君が語ろうとした定義されることのない何ものかの、周辺の、矛盾し逆説にみちた場に似ていると思わないか。僕はこの状態がすなわちユダヤ人なんだと思う」★一四。
鈴木は〈空間〉という概念はバロックに起源をもち、〈人間〉という概念とともにあった双対概念であるとする。現代とは空間がもはやそのような〈空間〉ではなくなった時代である。それはすでに建築が〈建築〉ではなくなった時代であるともいえる。〈空隙〉とは〈空間〉の、〈建築〉の死後の生の姿なのだ。一方、鈴木はこれとは逆の〈空間〉と〈建築〉の未生の生をフラ・アンジェリコの「最後の審判」に見出している。建築をモチーフに取り入れたルネサンスの画家は多いが、そのなかで唯一ロマネスクに執着し続けたアンジェリコの建築は、いまだ〈空間〉の立ち現われてこない時代、「未だ建築が〈建築〉になっていない歴史なき時間」に所属している★一五。〈建築〉と〈空間〉の〈いまだ〜なく〉、〈すでに〜ない〉、この不在において、アンジェリコと現代が共振する。
「ある充実を、建築において命名できないという点で絶対に虚ろなこの時間圏域は、世界を隅々まで刻み込まずにはおかない垂直と水平のあの時間軸の中にあって、しかし、どこまでも空白であり続けるだろう。無数の建築の基底に流れる歴史性という時間と、一個の建築が遭遇する生と死の運命性という時間の空白として」★一六。都市と建築に遍在し、それを貫き、それをすでに凌駕しているかもしれぬ〈空隙〉とはすなわち、歴史の〈余白〉である。ただし、鈴木は〈日付を欠いた無償のこの時間〉が、時間を超越した永遠ではなく、端的に〈日常性〉にほかならないと指摘することを忘れない。日常性とは何か。それは「〈空虚〉に向けて、日々なにごとかを送り返そうと試みる営為」である★一七。リベスキンドであればこれを、「経験の無根拠性を経験の場所として明確に表現すること」と言うだろう★一八。なぜなら、この無根拠性こそが、経験の逆説的根拠であり、他者とのコミュニケーションをもたらすものだからである。事件の可能性を保証する、出来事の舞台としての空間ではなく、そんな可能性が消尽された任意の場所(Anyplace)においてこそ、ありえない、予測不能の出会いが起こるのだ。

6──鈴木了二「16の空隙都市」《空地・空洞・空隙》より

6──鈴木了二「16の空隙都市」《空地・空洞・空隙》より

7──鈴木了二「空隙モデル」(同上)

7──鈴木了二「空隙モデル」(同上)


8──フラ・アンジェリコ「最後の審判」

8──フラ・アンジェリコ「最後の審判」

9──鈴木了二、家具〈アンジェリコ〉

9──鈴木了二、家具〈アンジェリコ〉

10──家具〈アンジェリコ〉の解析図

10──家具〈アンジェリコ〉の解析図

11──ダニエル・リベスキンド「ミクロメガス」より

11──ダニエル・リベスキンド「ミクロメガス」より

3映画=建築──場なき場

鈴木は〈建築〉と〈建築ならざるもの〉とが交錯するこの歴史の〈余白〉を〈建築ゼロ年〉と呼ぶ★一九。この〈零年〉とは水平に流れてきた時間が突如として垂直になる瞬間であり、時間が単線進行的なものであることをやめて、限りなく散逸しうる〈広がり〉に置き換わる臨界点であるという。それは〈建築〉が予測不能の不確かなものになる時空であり、われわれの言葉でいいかえれば、建築そのものがテラン・ヴァーグと化す点である。そして、このように不確かな〈建築〉とは、無数の人々とものとが無数の出来事に巻き込まれ、さらに無数の出来事を誘発しながら予測不可能な展開を続ける〈経験の場所〉(リベスキンド)にほかならない。ここで〈零年〉という表現はロッセリーニの『ドイツ零年』からとられている。敗戦直後の瓦礫ばかりの廃墟となったベルリン、その移動撮影にはしっかりとそんな〈建築〉が撮し取られている。「ここに〈建築〉が鮮明に映っている。それは沸き立つように、泡立つように、動き、回転し、流れていく。なんの見境もなく破壊し尽くされた瓦礫の山とはいえ、そこには〈感傷〉をいささかも受け付けずに、動じることなく立ち尽くす〈建築〉が映像となって明らかに存在している。というより、すでにこの映像そのものが〈建築〉ではないか」★二〇。
建築零年〉では〈建築〉と〈映画〉が出会うのかもしれない、と鈴木は書く。しかし、なぜ〈映画〉なのか。鈴木が〈映画〉を〈建築〉と等号で結ぼうとするとき、そこであげられる固有名が〈ロッセリーニ〉であることを無視することはできない。例えばドゥルーズの『映画』でイタリア・ネオリアリスモ、なかでもロッセリーニは、第二次世界大戦までの〈運動─映像〉から〈時間─映像〉への映画史の転換点として召還されている。ある確定された感覚─運動状況のなかで行動する行為者という古典的映画のシステムは、〈映画作家ヒトラー〉(ハンス・ユルゲン・ジーバーベルク)の〈作品〉としての〈戦争=映画〉の破局的帰結において壊滅する。それに代わって現われる純粋に視覚─音響的な映像において感覚──運動的なつながりは弛緩し、この流動化した状況のうちを人々はあてどなくさまよう──『ドイツ零年』におけるベルリンの廃墟のなかのエドムント少年のように。ネオリアリスモにあって、日常という現実は視覚─音響的に裸形で残酷な、野生の状態で開示され、耐え難い悪夢のような代物となる。
「ネオリアリスモの視覚的・音響的状況と、伝統的リアリズムの表現性の強い感覚─運動状況とは対立している。感覚─運動状況は確定された環境の空間を占有しており、そこで示される一つの行為を前提としているか、あるいはこの状況に適合したり、それを変える反応を引き起こすことになる。それに対して純粋に視覚的あるいは音響的な状況は〈任意の空間〉で生じ、それが分割されていたり、空虚にされていようが関係ない」★二一。
ロッセリーニの『ドイツ零年』にも、あるいはその〈反復〉ともいえるゴダールの、音と映像の絶妙なモンタージュによる『新ドイツ零年』にも、〈確定された環境〉という統一的な全体性の空間はもはや存在しない。[図12・13]これらの映像において〈空間〉はずたずたに断片化され、空虚にされた〈任意〉なものでしかない。ドゥルーズはロベール・ブレッソンがクローズ・アップによって生みだす〈断片からなる任意の空間〉に触れて、「断片化は、局部的な経路によって空間を非潜在化するための第一歩である」と述べている★二二。ネオリアリスモ以後の〈時間─映像〉の空間とは、このような意味において非潜在化された、〈消尽した空間〉であるといえるだろう。鈴木にとって〈零年〉が〈映画=建築〉という等式によって徴づけられる時点であることの、少なくとも一つの理由はそこにあるように思われる。そして、そのとき〈建築〉とは、消尽され枯渇し散逸した〈無用の空間〉にほかならず、もはやいわゆる建築からは実は最も遠い存在と化しているのかもしれない。鈴木が触れている『複製技術時代の芸術作品』でベンヤミンは、〈気の散った状態(Zerstreuung)での受容〉が映画と建築に共通していることを指摘した。Zerstreuung とは〈気晴らし〉、〈娯楽〉であると同時に、〈散漫さ〉あるいは〈放心状態〉を意味する。この状態にあっては、一貫した目覚めた意識による(映像)空間の知覚ではなく、断片化した映像(空間)のランダムで受動的な受容が行なわれる。ベンヤミンが考察の対象としたのは、例えばチャップリンをはじめとする一九二〇〜三〇年代の映画だった。だが、Zerstreuung をめぐる章に続けて戦争の美学に代表されるファシズムの〈政治の審美化〉を指摘する議論の流れを踏まえれば、ここではヒトラーの〈戦争=映画〉へと収斂することのない、時間─映像の知覚経験が先駆的に分析されていたと見なすことが可能かもしれない。いずれにせよ、ベンヤミンが映像の受容経験を、目覚めた意識による統御を受けつけない次元に位置づけていることだけは確かだ。
映画という〈近代〉的な〈イメージ〉の魅惑とは、それが自己意識を備えた主体としての〈私〉によって統御されえないものであり、むしろ逆に〈イメージ〉こそが〈私〉を統御し、スクリーンを見つめるという行為がそこで〈私〉の心理など逸脱して、非人称的な営みと化してしまう点にあるのだ、と松浦寿輝は指摘している★二三。〈イメージ〉こそが〈私〉を凝視している。その〈耐えがたさ〉こそが〈私〉を魅惑するのだ。そのような〈イメージ〉とは何ものかの〈イメージ〉ではなく、何にも似ていない〈ただ単に、イメージ〉(ゴダール)という、〈意味〉よりも〈無意味〉に近い何かである。そして、「〈近代〉的な〈イメージ〉とはまさしく、それがその上で戯れている〈平面〉それ自体の現前と、切っても切り離せない関係においてしか成立しがたい種類の〈イメージ〉」であるとすれば★二四、映画とは〈自意識〉を発生させたこの〈平面〉という〈場なき場〉との遭遇の経験なのであり、〈零年〉における〈消尽された空間〉の〈映画=建築〉は、このような〈場なき場〉としてのテラン・ヴァーグに変容しようとしているのではないだろうか。建築が〈建築〉ではなくなり、空間が〈空間〉ではなくなったこの現代という〈建築〉と〈空間〉の死後の時間において、建築も空間も人間主体を非人称化してしまう、恐怖と魅惑の〈イメージ〉の場(〈場なき場〉)と化しているのではないだろうか。〈空間〉という概念が〈人間〉という概念と双対概念であったとするならば、〈空間〉の消尽とともに〈人間〉もまたそこで消尽されるのである。丹生谷貴志は鈴木了二の建築が与える〈慰め〉について、〈人間のいない午後の慰め〉と語っていた★二五。それは〈映画〉の〈慰め〉に似ているだろう。なぜなら映画とは〈人類の宴の後〉の風景であり、「〈世界の終わり〉のその後に用意された〈亡霊〉たちの場所」にほかならないのだから★二六。

12──J・L・ゴダール『新ドイツ零年』に引用されたロッセリーニの『ドイツ零年』

12──J・L・ゴダール『新ドイツ零年』に引用されたロッセリーニの『ドイツ零年』

13──J・L・ゴダール『新ドイツ零年』より

13──J・L・ゴダール『新ドイツ零年』より

4空間の午後──非  都  市テラン・ヴアーグの唯物論

ではそこは何か〈大いなる自然〉めいた別の秩序の場なのだろうか。そうではあるまい。それはおそらく〈人間〉と〈自然〉の間にあって、その双方の秩序が弛緩し、破綻してしまうような、奇妙な錯乱の場所であるだろう。丹生谷は午後の造成居住区という、きわめて凡庸な場所がそれだという。「例えば、郊外の造成地を歩いていると、街の区画が途絶え、荒く削られた未整理の造成地帯に出ることがある。居住地区の区画はそこで曖昧に途絶え、造成地区から続いてきた道路は未整理地区へ数メートルばかり走り込んでいるが、その周囲に白いビニールや半ば土に溶け込んだハトロン紙のゴミ袋、千切られたグラビア写真、空き缶を縁飾りにしながら、削られた石やアスファルト層、黄土色の土ぼこりなどにまぶされて途切れてしまう。たとえば午後の二時頃から三時、或いは四時から五時頃にかけて、その時間に無為の散歩を許される者なら誰でもが知るように、造成居住区にはただでさえ人影がなくなるのだが(とりわけ男たちの姿は……)、その曖昧な、街路が途絶えようとする境界区域にはさらに人間の気配がない」★二七。そこは単純に非人間的な時間─場所なのではない。そこでは〈人間〉的秩序と〈自然〉的秩序とが互いに弛緩、崩壊し、その雪崩のなかで出会っている。丹生谷が引いているドゥルーズの言葉を用いれば、それは〈場所化しえぬ干渉地帯〉である。〈人間〉の秩序が綻び、緊密さを失っていく一方で、〈宇宙〉もまた自失する。あらゆる秩序が〈消尽〉されてしまうこの造成居住区の、毎日規則的に訪れる〈無人〉の午後には、途方もない〈狂気〉と〈錯乱〉が広がっている。アリストテレスのいう〈マテリアル〉が〈組織化される以前の事物の状態〉を意味するとしたら、この時間─場所は〈マテリアル〉がその愚鈍さのままに露呈されている領域であることになろう、と丹生谷は書く。このような〈マテリアル〉とは、対象を形成する〈純粋物質〉などではなく、〈人間〉的(〈主観〉的)秩序と〈自然〉的(〈客体〉的)秩序とが、ともに脱力した弛緩状態において相互浸透する〈非秩序〉状態、二つの秩序の〈間〉に現われる混成領域カオスモーズにほかならない。そして、ドゥルーズによればこの時間─場所こそが〈生〉なのだ。「何故なら、その失効と弛緩の領域は、強大なものから微細なものにいたるあらゆる組織化が自らの支えを失うと同時にその生成の秘密(秘密!)を確認しもする逆説的な場所であるはずだからである」★二八。この時間─場所の様態はドゥルーズによって〈知覚対象(percept)〉とも呼ばれている。それは知覚主体にも、知覚されるものにも属さない、その間の〈中有〉の場所であり、そこでは知覚主体の統覚的組織性も、知覚されるものの物性も綻んでしまっている。〈知覚対象〉とは無人称の知覚の〈マテリアル〉そのものなのだ。「知覚対象は人間以前の風景であり、人間の不在における風景である」(ドゥルーズ)★二九。それはセザンヌが言うこんな〈風景〉であるだろう──「人間は不在である、そしてしかし、その時、風景のなかにすべてがある」。知覚主体に先立って、知覚し、見る風景が現存するのであり、その風景のなかに知覚し見る無数の誰かはあらかじめ内包されている。この風景は誰のものでもない知覚において誰かの知覚を待機している。逆に言えば、知覚主体は知覚対象という無人の風景のなかに巻き込まれ、その〈無人の知覚〉の〈結果〉として与えられるのである。〈造成居住区の午後〉とはそんな、誰のものであってもよいが誰のものでもない知覚によって知覚された〈風景〉=〈知覚対象〉であり、〈生〉であり、〈マテリアル〉である。そして、われわれが魅せられてきたテラン・ヴァーグの曖昧さとは、この〈無人〉の場所、〈われわれが怯えにおいて抑圧し、隠蔽し、汚辱のなかに遺棄し続けてきたものたちの場所〉における、秩序の弛緩状態にほかならなかったのではないだろうか。テラン・ヴァーグはすぐ手の届く凡庸な場所でしかない〈造成居住区の午後〉として、ごく単純に可視的に広がっている。それは非秩序的な混成領域の〈マテリアル〉として、魯鈍な表情を呈しながらつねにすでに現存している。非都市の存在論とはそんな〈マテリアル〉を対象とする限りで、純粋な唯物論マテリアリスムなのである。
セザンヌが言う、そのなかに〈すべてがある〉〈風景〉を、ベルクソンは〈イマージュ(イメージ)〉と呼んだ(『物質と記憶』)。ベルクソンの哲学において、〈イメージ〉とは〈物質〉の異名である。知覚主体による知覚とは身体による、この〈イメージ〉=〈物質〉の〈縮減〉にほかならない。身体は知覚刺激に応じた行動の中心となるため、人間の知覚には〈中枢性〉が存在している。丹生谷は〈風景〉における無人称的な知覚をカメラに類比しているが、まさしく写真や映画のカメラにはこの〈中枢性〉が存在しえない。映画のこうした〈非中枢的な知覚〉ゆえに、「映画がもたらすイマージュの全体は、観客の知覚とは無関係に、ただそれ自体において存在する」と前田英樹は述べている★三〇。それはつまり映画があの〈風景〉にほかならないということだ。前田が言うように〈空虚対充実の関係で世界を縮減するやり方は中枢的な本性に属している〉とするならば、カメラによる知覚が引き出すイメージはそれとは異なる関係を含んでいるはずである。
「ここ[映画]では、人間を含めたさまざまな事物は、未決定な行動の中心を通して一定の空虚のなかに引き離され、区分され、配置されている対象ではない。貫徹されたキャメラの知覚においては、そうした空虚は中枢の消滅とともに消滅するのであり、事物はただ事物どうしの縮減された性質の差異によって輪郭を持ち、色づき、浸透しあう」★三一。
そこではイメージはあくまで多層性のなかにあり、〈空虚な背景〉は消滅する。これはすなわち、行為の舞台をなす〈全体〉としての〈空間〉は映画のイメージのなかにはない、ということを意味していよう。前田は小津安二郎の映画を論じる過程でこのように述べるのだが、そこで触れられているように、「小津の日本家屋は、空虚を抹消した多元的フレーム、多層化された存在の閾として水平のロー・ポジションと一体的に機能する」★三二。小津がカメラの〈非中枢的知覚〉を純粋に定立することが可能だったのは、日本家屋固有の性質を基礎としてであった、と前田は指摘している。不動のドアと壁に閉ざされた洋室の空間が、〈中心〉を形成するテーブルやベッドをもち、そのすべてが予想される人物の活動に従属しつつ、それを限定しているのに対して、小津が映画のために作り上げたセットは、固定され閉鎖された空間や出入口をもたず、視線を集中させるいかなる中心ももたない。小津の日本家屋は「どんな場合にも人物=活動の要求とは無関係にただそこに〈ある〉」★三三。それは〈世界を非中枢的なイマージュの浸透で満たす求心性のない核〉、〈予定された構成原理を持たない不可思議な、またいたるところにある源泉〉であり、人物がそこにいようがいまいが、〈無人〉の〈風景〉として、映画そのものに内在する非中枢的=無人称的な知覚のモデルをなしている[図14]。
映画を観るとき、非中枢的な知覚のイメージは、見えるものの向こう側からわれわれの眼球へと絶え間なく押し寄せてくる。〈誰であってもよい誰か〉としてそこに居合わせてしまったわれわれはそのイメージにただ茫然自失するばかりだ。めくるめく〈近さ〉の経験としてのイメージとの遭遇。鈴木了二による、〈表面〉における〈間近さ〉の経験へと向けた〈空間マイナス1〉の試行とは、いわば〈建築〉をまさに〈建築〉それ自体において〈映画〉化する営みであったといえるかもしれない。
「人間は不在である、そしてしかし、その時、映像のなかにすべてがある」──鈴木にとって〈建築〉とは、あの〈無人〉の〈風景〉としての〈映像〉にほかならなかったように思われる。映画の知覚主体は、つねにすでに現存している〈風景=映像〉が、無限でありえた〈誰か〉のうちの一つの〈結果〉として与える位置以上のものではない。それは事後的に生み出されている。そして、鈴木もまたこう書く。「〈建築〉とはすでにはじめから出来事そのものなのであって、まずなによりも早く〈建築〉が出来し、そのあとから〈ヒト〉も〈モノ〉も生まれ出てくるのではないか。そしてそのおのおのがその都度、〈建築〉という世界の〈最初の創始者〉として一回的に振る舞うのである」★三四。〈知覚対象〉であり、〈生〉であり、〈マテリアル〉であるような〈出来事〉としての〈建築〉。〈建築〉がもつ〈奇怪な特性〉とは、「〈人類〉外的な得体の知れなさ──人類が深くかかわっていることによってますます人類から逸脱する不可解さ」であると鈴木は言う★三五。さしあたり〈人間〉を必要としない〈建築〉という〈風景〉が先行し、それが〈結果〉として〈人間〉を要請し、〈人間〉を生み出すのである。
〈無人〉の場所における、というよりも、〈無人〉の場所としての〈建築〉──それはテラン・ヴァーグにおいて建てるのではなく、テラン・ヴァーグそのものを建てるという錯乱した営みだ。テラン・ヴァーグを抑圧・隠蔽するのではなく、テラン・ヴァーグに滞留し、その曖昧さや錯乱との間のゲームを表出すること、あるいは曖昧で錯乱したゲームを創造すること。〈建築〉を〈イメージ〉と化すこと、反復的に消滅へと失墜していく、自らを消尽する〈イメージ〉に。建築家はそのとき、〈人間の午後〉(丹生谷)とともに生じる〈空間の午後〉、〈建築の午後〉へと向けて、ありふれた日常性の〈生〉の場所、この〈無人〉の場所へと入り込んでいくことになるだろう。
映像イメージになること〉、〈表面になること〉、〈無人の風景になること〉……それがおのれの消尽を夢見る夢としての、〈建築〉の〈不眠の夢〉(ドゥルーズ)であるといえるだろうか。「不眠の夢においては、不可能なことを実現することではなく、可能なことを消尽することが問題である」★三六。都市の穴であり、亀裂であるテラン・ヴァーグは、そんな夢と交錯しながら、〈空間〉の限界に位置して、不安定に震えながら散逸していく。しかし、その散逸過程という〈終わり〉に〈終わり〉はないことを〈建築〉は知っている。それ自身を消尽する際限のない運動として〈建築〉は、あの残酷な〈午後〉を日々反復し続けているから。

14──小津安二郎『秋刀魚の味』より

14──小津安二郎『秋刀魚の味』より

15──山中貞夫『河内山宗俊』のラストシーン

15──山中貞夫『河内山宗俊』のラストシーン

(たなか  じゅん/ドイツ研究・表象文化論)
e-mail: tanajun@chora.c.u-tokyo.ac.jp


★一──イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオー(拙訳)「テラン・ヴァーグ」、磯崎新・浅田彰監修『Anyplace』(NTT出版、一九九六年)所収、一二八─一三四頁。ここからの引用は以後、出典を省略する。
★二──拙論「〈光の皮膚〉の肌理 都市写真という寓意」、『10+1』No・6(INAX出版、一九九六年)、一六─二七頁。
★三──Lettre International(Winter 1992)に掲載されたインタビューより。
★四──ダニエル・リベスキンド「ベルリン、アレクサンダー
広場設計競技 一九九三」、鈴木圭介訳『建築文化』第五九〇号(彰国社、一九九五年一二月)、九〇─九一頁。
★五──磯崎新『始源のもどき──ジャパネスキゼーション』
(鹿島出版会、一九九六年)、三一四頁。
★六──Jacques Derrida zu "Between the Lines": Anlässich der Tagung mit dem Titel "Das Unheimliche" an der St.-Paul-University, Chicago 1991. In: Alois Martin Müler (Hrsg.): Daniel Libeskind: Radix - Matrix. München 1994, S.115ff.
★七──磯崎、前掲書、二六一頁。
★八──鈴木了二「〈空洞幾何〉断章 展覧会〈空地・空洞・空隙〉前後」、『10+1』No.1(INAX出版、一九九四年)所収、二二頁。
★九──同右、二四頁。
★一〇──ジル・ドゥルーズ+サミュエル・ベケット『消尽したもの』(宇野邦一・高橋康也訳、白水社、一九九四年)、二七頁。
★一一──同右、二〇頁。
★一二──鈴木「〈空洞幾何〉断章」、三一頁。
★一三──同右。
★一四──磯崎、前掲書、二八九頁。
★一五──鈴木「〈空洞幾何〉断章」、二四頁。
★一六──鈴木了二「物質試行三五 空地 空洞 空隙」(ギャラリー間・パンフレット、一九九二年)。
★一七──同右。
★一八──磯崎、前掲書、三〇五頁。
★一九──鈴木了二「建築零年」、『建築文化』第五九五号(彰国社、一九九六年五月)、五四─五六頁。
★二〇──同右、五六頁。
★二一──Gilles Deleuze: Das Zeit-Bild.Kino 2, Frankfurt am  Main 1991, S. 17.
★二二──ドゥルーズ『消尽したもの』、二九─三〇頁。
★二三──松浦寿輝『平面論』(岩波書店、一九九四年)、一七四─一七五頁。
★二四──同右、二一二頁。
★二五──丹生谷貴志「海辺に立てられた物質変換機」、『建築文化』第五九五号(彰国社、一九九六年五月)、五二頁。
★二六──鈴木了二「山中貞雄の映画あるいは救済の空間」、『建築文化』第五八二号(彰国社、一九九五年四月)、三一頁。この映画論で鈴木は『河内山宗俊』[図15]のラスト・シーンに触れ、こう述べている。「そこにはもう水路はなく、バラックのような家々が逆光のシルエットで立ち並んでいる。しかし、その場所は、もはや山中のあの迷宮的な都市空間ではない。なぜなら、直侍が駆け抜けるこの道は、建物に遮られることなく、不思議にも一直線に〈空〉に向かって消えているのである。どこか砂漠のような、廃墟のような、死んでしまったような、きっとユートピアのようなその場所」(同右、三七頁)──消滅へと差し向けられた、救済のテラン・ヴァーグ。
★二七──丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』(河出書房新社、一九九六年)、一〇三─一〇四頁。
★二八──同右、一一二頁。
★二九──次のセザンヌの言葉とともに、引用は同右、一一四頁による。
★三〇──前田英樹『小津安二郎の家 持続と浸透』(書肆山田、一九九三年)、二三頁。
★三一──同右、五〇頁。
★三二──同右、一一四頁。
★三三──同右、一一七頁。
★三四──鈴木「建築零年」、五五頁。
★三五──鈴木「〈空洞幾何〉断章」、一八頁。
★三六──ドゥルーズ『消尽したもの』、三九頁。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市表象分析I』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.07

特集=アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>コーリン・ロウ

1920年 - 1999年
建築批評。コーネル大学教授。

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>建築零年

2001年

>複製技術時代の芸術

1965年11月1日

>松浦寿輝(マツウラ・ヒサキ)

1954年 -
フランス文学者/詩人/映画批評家/小説家。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論コース)・教養学部超域文化科学科教授。