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無印な風景──九〇年代、OMA/レム・コールハースのアーバニズム | 上原雄史
Generic Landscape: The Urbanism of OMA/Rem Koolhaas, 90s | Uehara Yushi
掲載『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000, 2000年03月発行) pp.165-172

OMA(Office for Metropolitan Architecture)は、著作・建築・都市などジャンルを超えた創造活動を行なう建築家組織だ。彼らは、一九七八年のデビュー以来、複数の建築家が対等な立場でプロジェクトを計画する都市的な新鮮さを持ち続けてきた。彼らの新しさは、都市的なパラダイムが原動力である。ここでは、彼らが進めた都市プロジェクトを見つめてみよう。そうすることで私たちの都市が呑み込まれている、大きな問題が明らかになるだろう。
ここでいう都市とは、パリやニューヨークなど既存の都市をひとまとめにした概念で、時事刻々と変貌しつつある現代社会を包む空間体系を指し、同時に対義語としての、田舎や村落などと異なる集住形態をもつ概念だ。都市とは、この様々な集住形態の中で最も高密度で、私たちの多様な行為や価値観を可能にする環境を指す、と私は考える。今回は、プログラム・残骸・ジェネリックシティという、三つの大きな思考がつくるネットワークに焦点を当てて、九〇年代のOMA/レム・コールハースの都市プロジェクトへの取り組みを見つめてみよう。

プログラム


建築活動とはプログラマティックな創造性を駆使し領域を征服する行為を意味する。そう考えれば、密度や技術そして決定的な社会の不安定性といった与条件を基盤にした文化のコンテンツの構成に、私たち建築家が直接参与できる★一[図1]。


OMA/コールハースが蒔いた最初の種がプログラムという概念、人間の行為を可能にするメディアとして建築・都市を定義してゆく思考だ。これは七八年にOMAがオランダ国会議事堂・ビンネンホフ計画でデビューした際に明確に打ち出された。

この計画は、民主主義の組織が封建的な中世の城塞を永久にじわじわと侵略占有してゆくプロセスの中にビンネンホフを置く、というものである。このビンネンホフの伝統を明確に保存し再組織し得るのは、自らの近代性に後ろめたさを感じていない建築のみである。中世の城壁に近代性の裂け目を入れ、そこに新しい国会議事堂を導入し、それによりビンネンホフの征服は最後のとどめをさされ、決定的となる★二[図2]。


1──制作過程のラ・ヴィレット公園の模型が物語るのは、領域を征服する行為のプレイバックであり、プログラマティック な思考過程のイラストレーションだ。加えられるプログラムは、分断されたプロットに収まるように、あるいはそれを横断するように計画されている。 出典=S,M,L,XL

1──制作過程のラ・ヴィレット公園の模型が物語るのは、領域を征服する行為のプレイバックであり、プログラマティック
な思考過程のイラストレーションだ。加えられるプログラムは、分断されたプロットに収まるように、あるいはそれを横断するように計画されている。
出典=S,M,L,XL

2──ビンネンホフ中央にあるリダーザール(騎士の広間)に直交配置された新しい議事堂施設は、社会がコンプレックスに打ち込んだ新しい楔だ。付属する複雑な諸室群とともに国会議事堂の中心施設を形成する。 出典=S,M,L,XL

2──ビンネンホフ中央にあるリダーザール(騎士の広間)に直交配置された新しい議事堂施設は、社会がコンプレックスに打ち込んだ新しい楔だ。付属する複雑な諸室群とともに国会議事堂の中心施設を形成する。
出典=S,M,L,XL

近代あるいは後近代としての現代を中世の城塞に追加する問題は、都市性のキー概念としてコンテクスチュアリズム(文脈主義)を重視した当時の建築界において、都市のカオスを通過した私たちの現在以上に重要でありえた。都市の属性としての都市性は、同時に混沌とした状況に都市を見出す手がかりでもある。
ビンネンホフ計画に付随した小論から、まずOMA/コールハースは、比較的小規模な国会議事堂コンプレックスに都市性を見出していたことが明らかになる[図3]。文脈主義との関連で重要なのは、文脈主義者達が都市性を歴史つまり静止した記念碑の集積、ユートピアの投影として生成された建築的断片が創りだす文脈に帰結したのに対し、OMA/コールハースは、それを現代社会が取り組んでいるゆっくりとした構造変動の過程と捉えたことだ。
さまざまなスタイルの建築を混成配置する建築的な操作は、建築的断片の収集活動という八〇年代に台頭するポストモダニズムの方法に先立ち新鮮だが、異なるのは新しく加えられる建築の近代性が強調される点だ。新しい建築と巨大な歴史との一体化は回避され、国会議事堂建築に加えられる近代建築は、ビンネンホフを閉じた系から開いた系にゆっくりと展開する決め手となる。
八二年のラ・ヴィレット公園のOMA/コールハース案は、既存の条件に新しいプログラムを加えることでプロジェクトのおかれた世界を拡張する思考の延長線上にある。

私たちはこのスキームを単なるデザインとしてではなく、敷地に数々のアクティビティを移植して最大限の効果を得るという、戦略的な提案として考えた★三[図4]。


3──さまざまな建築のアグロメレーション。それぞれの建築は政治的な意図の投影だ。さまざまな政治的意図が創りだすこの建築的な体系は、複合的で都市的な状況を形成する。プロジェクトはコンプレックスに新しいロジスティックと正面性を加える。 出典=S,M,L,XL

3──さまざまな建築のアグロメレーション。それぞれの建築は政治的な意図の投影だ。さまざまな政治的意図が創りだすこの建築的な体系は、複合的で都市的な状況を形成する。プロジェクトはコンプレックスに新しいロジスティックと正面性を加える。
出典=S,M,L,XL

4──OMAがポエジーに言及した、たったひとつの計画案。ラ・ヴィレット公園はシステマティックなコンセプトで公園の将来像をデザインせずに構造化する試み。風景の構造化、自動操縦装置としてのプログラミング試論だ。 出典=S,M,L,XL

4──OMAがポエジーに言及した、たったひとつの計画案。ラ・ヴィレット公園はシステマティックなコンセプトで公園の将来像をデザインせずに構造化する試み。風景の構造化、自動操縦装置としてのプログラミング試論だ。
出典=S,M,L,XL

ここで新しいアクティヴィティ、即ち文化という「質」を都市性に加えるプログラムは、計画の視野が都市的な規模に広げられたときに、ある変容を都市プロジェクトにもたらす。レム・コールハースは都市プロジェクトを頻繁に「アーバニズム」、つまり都市的な状況を重視する思考、と呼ぶ。都市計画は、たとえば英語ではデザインやプランニングといった言葉と組み合わせ、設計に焦点を当てたりプラノロジカルな面を強調する。ドイツ語やオランダ語では「シュテッテバウ」、「ステーデンバウ」となり、こちらは建設するという意味がある。アーバニズムという言葉は、ル・コルビュジエが近代精神に見合った都市空間の創造という意味で用いたフランス語の〈ユルバニスム〉を英語に翻訳した用語で、既成の都市計画の概念のシフトを意図する[図5]。

七二年「ヴォランタリー・プリズナーズ(志願した囚人達)」、八〇年「フリードリッヒ・コッホシュトラーセ」等の実験的な都市プロジェクト発表後、OMA/コールハースは、八七年フランスの小都市リールにおいてユーラリール計画を開始した[図6]。中世を基盤とするリールは、戦後の度重なる交通計画によってミニトンネルの迷路に変貌し、高速道路はペリフェリーを蛇行した。この小都市の知事に元フランス首相が着任、北海トンネルとTGVのオランダ乗り入れを契機に都市再開発が決定する。市の中心を掠めるペリフェリーを通過するTGVの直線性は、オスマンのブルヴァール、あるいはル・コルビュジエの高速道路の明瞭性(ヴォワザン計画を見よ)、即ち大都市の記号だ。

5──ピラネージとは、散逸と統辞の魔術師。デザインの問題を超えて、彼の都市的状況は現代都市の問題に連続する。(ローマ帝国の)時代精神のシュミラクル、断片化した都市的状況、全体構造のない幾何学組織の断片が形成するランダムな全体像……。 出典=S,M,L,XL

5──ピラネージとは、散逸と統辞の魔術師。デザインの問題を超えて、彼の都市的状況は現代都市の問題に連続する。(ローマ帝国の)時代精神のシュミラクル、断片化した都市的状況、全体構造のない幾何学組織の断片が形成するランダムな全体像……。
出典=S,M,L,XL

6──マンハッタンの42番街と、ユーラリール計画プログラムとの比較、一見シュールレアルな思考も直線性が鍵だ。こじれた問題の解決手段を視覚化した直線性は、実現過程において水平な建築や高層建築群に穿たれたヴォイド軸の発見により、さらにテーマ化した。 出典=S,M,L,XL

6──マンハッタンの42番街と、ユーラリール計画プログラムとの比較、一見シュールレアルな思考も直線性が鍵だ。こじれた問題の解決手段を視覚化した直線性は、実現過程において水平な建築や高層建築群に穿たれたヴォイド軸の発見により、さらにテーマ化した。
出典=S,M,L,XL

リールでのアーバニズムは野心的なプロジェクトとして出発しつつ、計画の進行に伴い経済が悪化し、計画の実施に支障を来した。今回のアルメラシティ計画は、逆に比較的謙虚な計画案を出発点としたが、計画の実施段階を向かえた今、経済活動が活発になっていて興味深い★四[図7]。


OMA/コールハースが現在実施中のアルメラシティ計画と過去のユーラリール計画の相違は形式のみではない。社会的な状況の比較が必要だ。舞台となるアルメラは七〇年代に大規模な干拓地に建設された「退屈な人工都市」、アムステルダムのベッドタウンだ。七〇年代に描かれた基本構想には「眠ること」以外のプログラムが希薄であったため、躍動する二一世紀の都市実現を目指した市中心部の再開発計画が机上に乗る訳だ[図8]。

アルメラのコンペ案(一九九四)のテーマは、水平なメガストラクチャーと地上との間に公私の融合を投影することだ。その後、新しい交通拠点を覆う人工地盤の上に、現代的な建築を中世都市の密度で実現する方針をとった。私たちのマスタープランは、現代のツアイトガイスト(時代精神)を反映し、出発点で意図した公私の融合も一部実現する★五[図9]。


アルメラシティ計画は、九二年に第一期の完了したユーラリール計画と、空港政策に関連して計画されたスキポール計画(一九九八)の間にある。いずれの計画も、OMAのシュールレアルな合理性が政治と合致して、社会の力のバランスの中に新しいプログラムを投入し、文化を創造し、建築を通して立ち現われる世界を拡張する意図が背後にある。アーバニズムとは、未だ抽象的な社会の力に導かれた新しいプログラムを、連続的に都市に翻訳構造化する行為だが、同時にその読解作業が重要な鍵を握る計画行為だ。

7──アルメラシティ計画の地上部分には、既存のグリッドシステムの中で各種建築を「乱雑に」配置する思考がある。スケッチはこの系内での様々な試行、都市的な直方形平面のエンヴェロープが乱雑に配列された建築の臨界を設定する最終案に至る試案を示す。 出典=Dutch Town

7──アルメラシティ計画の地上部分には、既存のグリッドシステムの中で各種建築を「乱雑に」配置する思考がある。スケッチはこの系内での様々な試行、都市的な直方形平面のエンヴェロープが乱雑に配列された建築の臨界を設定する最終案に至る試案を示す。
出典=Dutch Town

8──山手線がすっぽりとはいる位の規模の干拓地、フレヴォポルダーにアルメラ市は建設された。都市再開発は、再開発後の計画敷地内に更に空き地を残すようにプログラムが配分された。この空き地は未来の都市開発の可能性をつくるものだ。 出典=Dutch Town

8──山手線がすっぽりとはいる位の規模の干拓地、フレヴォポルダーにアルメラ市は建設された。都市再開発は、再開発後の計画敷地内に更に空き地を残すようにプログラムが配分された。この空き地は未来の都市開発の可能性をつくるものだ。
出典=Dutch Town

9──OMA/コールハースのアルメラ計画は、なだらかな山形を形成する人工地盤がほぼ5000m2の広いインフラ拠点、つまりパブリックとプライベートの交差点を覆う。このレベルには様々な商業施設やスポーツ施設が大胆に計画されている。 出典=Dutch Town

9──OMA/コールハースのアルメラ計画は、なだらかな山形を形成する人工地盤がほぼ5000m2の広いインフラ拠点、つまりパブリックとプライベートの交差点を覆う。このレベルには様々な商業施設やスポーツ施設が大胆に計画されている。
出典=Dutch Town

残骸

機械時代が、芸術の複製を大量生産しオリジナルを喪失、デブリ即ち残骸を生むと述べたのはヴァルター・ベンヤミンだ。同じ三〇年代にナチスドイツがナショナル・ソーシャリズムとして台頭し、フォルクスワーゲンを生産、ソーシャル・ハウジングを実現していった★六。また、現代のアメリカ郊外住宅地における、様々な社会的な現象は多くの社会学者の研究対象になっているが、これら様々な現象や思考は、いわばベンヤミンとの対話だといえる★七。レム・コールハースは、こういった世界の広がりを見せる「残骸」に関心を寄せている★八。八〇年代末、OMA/コールハースのアーバニズムにおいて、これらの思考がプログラムと興味深い連動を始めた。

建築はあるアクティヴィティを可能にする媒体として定義できた。世界がひとつ広がったわけだ。ところが数年前、私は建築家という「職能」がロボトミー手術をうけ、新しいアクティヴィティを加えることにだけ従事するようにその能力が分断されたと考え始め、懐疑した。逆に取り除くことこそが重要だと考えた。新しいコンテンツ(内容)を加える知性を、同様にこの世界に存在する残骸に向けるべきだと考えた。都市を古びてゆく物と考え、崩壊しそれ故修復しなければならない部分を発見し、あるいはそれを「歴史」と呼ぶことを非常に悲観的に考え始め、何かを取り除くことで新しさを作り出すことに力強い可能性を見出した★九[図10・11]。


10,11──ロンドンを横断する都市プロジェクトは、一方では古き都市に加えられた新しいプログラムを意味し、他方では既存の都市社会を取り除くことがテーマだ。この計画での魅力的でシュールレアルな両義性は、より注意深く2つの操作に切り分けられる。 出典=S,M,L,XL

10,11──ロンドンを横断する都市プロジェクトは、一方では古き都市に加えられた新しいプログラムを意味し、他方では既存の都市社会を取り除くことがテーマだ。この計画での魅力的でシュールレアルな両義性は、より注意深く2つの操作に切り分けられる。
出典=S,M,L,XL

八七年にOMAは、自然の美しさを保存し、都市のコントロールを意図した「ムラン・セナール」計画を発表する。要項によれば計画地域内のほとんどに郊外型住宅地が規格化、プログラムされている。OMA/コールハースの計画は、この郊外住宅プログラムを改善する方針をとらず、逆にエベネザー・ハワードの田園都市構想が産み出した現代的な郊外住宅地の全体像を既知の概念と考え、計画地にそれを投影し、風景と都市的な状況のインテグレーションを思考、住宅地に臨界を設定するアーバニズムのテーマを構想した。計画の一部は、この郊外住宅地の都市性をコントロールすることの放棄である。新しく加えられるプログラムを醜いものと定義したことが、この計画に矛盾をもたらす。重要な役割を演じるこの都市性は、ここでマスタープラン不在のまま無限に自己増殖可能な複製組織つまり残骸を意味する。大都市のキー概念として登場したのがクリティカルマッス(臨界自重)だが、ここではクリティカルマッスに満たない希薄な都市性が鍵だ。都市の代わりに都市的な状況が出現し、ランドスケープがアーバニズムのレトリックとして全面に押し出された[図12-14]。
つまり都市性の内容が非常に重い歴史の集積から、軽い記号の集合に移行した時に、アーバニズムは「加から、減へ」の転換を始めたわけだ。アーバニズムを、都市を計画する行為から、都市的な状況の臨界の分析と操作にシフトした時、世界に意味を加えるはずの新しい建築のアグロメレーション(集積)の意義が、複製の集合・何の新しき価値も加えない無為な状況へ退行・メタモルフォーゼしたことに気付かれただろうか。

12-14──ムラン・セナール計画における自然と都市の臨界線を設定するヴォイドの帯の中には、ひとつだけポジティヴなプログラマティック・ストリップがある。3つの既存村落をつなぐ都市中心帯は、キャンパスと名付けられ人口都市と自然風景の融合をはかる手段となる。 出典=S,M,L,XL

12-14──ムラン・セナール計画における自然と都市の臨界線を設定するヴォイドの帯の中には、ひとつだけポジティヴなプログラマティック・ストリップがある。3つの既存村落をつなぐ都市中心帯は、キャンパスと名付けられ人口都市と自然風景の融合をはかる手段となる。
出典=S,M,L,XL

九〇年代

サスキア・サッセンは、九〇年代の社会の核はグローバリゼーションだと主張する★一〇。九〇年代OMA/コールハースのアーバニズムの文脈はこういった社会的な傾向を踏まえていると言える。

七〇年代、八〇年代を通して私たちの住む世界が拡張してゆく過程で、建築は世界を細分化していた★一一。


九〇年代の都市は、美あるいは社会的経験の集中する舞台ではない。九〇年代とは、望む望まぬにかかわらず、地球上の人間がすべてこの都市的な状況に居住する時代、あるいはそれに酷似した状況だ★一二[図15]。


15──舞台背景の都市は20世紀の都市ではない。背景はアメリカ都市のシミュラクル、都市的状況が深い自然と共存するイメージだ。そんな都市建設が現実に重ねられ、都市は特別な場所から何の変哲もない世界に変貌した。世界にはもう一種類の建築しかない。 出典=S,M,L,XL

15──舞台背景の都市は20世紀の都市ではない。背景はアメリカ都市のシミュラクル、都市的状況が深い自然と共存するイメージだ。そんな都市建設が現実に重ねられ、都市は特別な場所から何の変哲もない世界に変貌した。世界にはもう一種類の建築しかない。
出典=S,M,L,XL

建築は拡張する世界に孤立する。建築を都市に開くはずのアクティヴィティは消費され、その結果「都市の類似品」即ち都市的な状況のみが生産されてゆく。意味を失った膨大な量の記号の海、ハイブリッド・ワールド、それがレム・コールハースの発見した九〇年代だ。つまり都市的な状況とは、その対義語としての田舎や村落などといった他の集住形態を失ったもの、あるいはそういった対義語の意味をも呑み込んだ、比較的多様で高密度な新しい状況を意味している。過去に村落とよばれた地域に、新しく都市的な状況が現われ都市化され、したがって過去の集住形態の明らかなヒエラルキーが不明確になることは十分にありえる。こういった状況が積み重なり、集住形式が全て都市的な状況になってしまった、とするのがレム・コールハースの主張だ。
九一年パリ、ラ・デファンス以西への軸線の延長を題材にした「ミッション・グラン・アックス」は、まず計画規模を慎重に考慮することで始まった。軸上に既存の高速道路の断片を公園化するに止まる提案から、全域を変換する「新しき都市」までのさまざまな提案があった。パリ軸線の強度が問われ、計画地域の希薄な都市性を消去するタブラ・ラサの正当化が試された。築後二五年以上経ちコンテンツのない建築を段階的に壊し、新しき内容を挿入する。

計画は結論に至る部分で危機に直面した。さまざまな都市パターンを新旧を問わず検証し模索したがグリッドの質を凌ぐものはなかった。その時点でグリッドの質を巡る新しいマニフェストになった★一三[図16]。


恐るべき質問「この新しい領土をどうするか?」われわれは取り去った建物と新たに作る建物の容積を計算した。(マンハッタンの)グリッドをあてはめると、偶然にもその中の一本は敷地の軸線と一致した。そして、現代都市に必要な建築のタイプを厳密にリストし、都市計画者の復権を味わったわれわれは、一瞬恍惚とした気分になった★一四[図17]。


ここで消去された都市の残骸は、後近代社会が再生産したシミュラクル、グローバルな都市的な状況を指す。無限に変動を続ける都市的カオスにおいても記号は過飽和し、新しきコンテンツは欠如する。したがってコンテンツはシミュラクルを文脈から取り除くことで発見できると彼は考えた。グローバリズムは、資本がシミュラクルなローカリティを地域に挿入する戦略だとサッセンは主張する★一五。「ミッション・グラン・アックス」の孕む矛盾は、タブラ・ラサを肯定し新しき建築を投影した都市が、やはりシミュラクルとして私たちの前に現われた点にあるのかもしれない。以後「都市的な状況」がレム・コールハースのアーバニズムの問題となる。

16──ミッション・グラン・アックス計画のスケッチは『S,M,L,XL』に詳しく掲載されているが、ここでは2つ別のエスキスを紹介する。ひとつはル・コルビュジエのマルセイユ・ユニテを23個軸上に配列したもの、もうひとつは書籍のコラージュ。幾つかの異なるグリッド系を断片化して計画地域内に配置する試みも途中数多く行なわれている。 出典=S,M,L,XL

16──ミッション・グラン・アックス計画のスケッチは『S,M,L,XL』に詳しく掲載されているが、ここでは2つ別のエスキスを紹介する。ひとつはル・コルビュジエのマルセイユ・ユニテを23個軸上に配列したもの、もうひとつは書籍のコラージュ。幾つかの異なるグリッド系を断片化して計画地域内に配置する試みも途中数多く行なわれている。
出典=S,M,L,XL

17──タブラ・ラサに新しい都市を計画する。世界に散らばった様々な断片を、新しい都市として再組織する過程。都市的問題を読みこなし再編集してゆくことが可能ならば、そこには都市のテクストの統辞を自由にこなす快楽が待ち受けている。 出典=S,M,L,XL

17──タブラ・ラサに新しい都市を計画する。世界に散らばった様々な断片を、新しい都市として再組織する過程。都市的問題を読みこなし再編集してゆくことが可能ならば、そこには都市のテクストの統辞を自由にこなす快楽が待ち受けている。
出典=S,M,L,XL

矛盾

しかし都市的な状況は矛盾を孕む。例えば郊外住宅地は危険な都市生活からの隔離を意味し、現代人が好む場だ。アンニュイなパリを模倣し、気さくなニューヨークをきどった現代都市は若者の人気を集め、支持される。アヴァンギャルドなアーバニストは、この社会的な矛盾を黙殺し、大きな資本の力から逃走する。この矛盾の社会性を問うのがGSD(Graduate School of Design ハーヴァード大学の大学院)での研究「ショッピング」だ。

ショッピングは普遍的だ。私たちはショッピングに浸りきって生きる。ショッピングと共存するほかすべがない★一六。


私たち建築家だけがショピングセンターの空間を好きになれない★一七。


ニューヨークの新しいミニマリスト・エリアでは、感情的で余計な要素が全て剥ぎ取られている。コントロール獲得のため、過去の記号が全て除去されたのは特筆すべきだ★一八。


六〇年代にジェーン・ジェイコブスが都市を再発見し、七〇年代に聡明な専門家達がこれを制度化した。八〇年と九〇年代にはディズニーが(四二番街で)その都市モデルを引き継ぎ、これを新戦略として都市をテーマパーク化している。この彼女の真剣な意図に始まる三段階の展開は、現実が瞬く間に退化したプロセスだ。彼女は媒介手段である「ショッピング」の真実性を論じ、資本はこの特異な媒介を均質性に転換した★一九。


OMA/コールハースは資本をわれわれと不可分な力と考える。ニューヨーク市四二番街に寄せたエッセイ「regret?」では、複雑なプログラムのアグロメレーションとしての都市性を肯定し、ディズニーの再開発への批判をノスタルジーと差異化している。ここで引用した、資本が社会学者ジェーン・ジェイコブスの研究を消費解体したとするコメントは、少なくとも四二番街でアーバニズムが消費の風景の構成にまで後退し、解体されたとみることを意味する。
ショッピングは、同時に後近代の消費のパラダイムだ。私はコールハースが、ベンヤミン的残骸を後近代的な都市風景に見出し、ボードリヤールのシミュラクルと等価であると結論したと考える。そこでショッピングがもたらすのは、知の消費であり、アーバニズム全体が残骸と化し、シミュラクルが都市性の不可避な属性となりつつも、私たちはショッピングを好み続けるという矛盾する結論だ。ショッピングをミニマリズムにつながるツアイトガイスト(時代精神)と考え、建築・都市・自然を統合するランドスケープの根幹に据えるシニカルな消費の体系は、現実的ではあるが残骸を巡る思考とは非整合だ。建築家の構想する理想と現実の間に広がる亀裂は、これまで塞がることなく近代以降継続的に存在してきたと考えるのは私だけだろうか。この矛盾を扱う構図がOMA/コールハースの九〇年代だ。「アルメラ計画」では、膨張する世界と共に、アーバニズムに結びつくことなく都市を浮浪していたショッピングの「力」の係留を試みる。

アルメラでショッピングが果たすべき役割。「消費」が「数量」を刺激し、「数量」が新しい意味を解き放つ。都市計画を実施する各団体が、「消費」、「数量」、「美」が作り出す三角形の一部を占めつつ計画を進める★二〇。


ここで公共空間は単一の空間ではない。広場や、道、建築などが作り出す各々の公共空間は、曖昧な独立性を持ったエピソードの収集だ★二一。


新しい消費都市のヴィトルヴィウスとも呼べるこの宣言で、建築が新しい公共空間を形成するとみる思考は、『錯乱のニューヨーク』において大都市に孤立する摩天楼、ジェネリックシティでのアーバニズムの終焉に連続している。彼はこれを中国の深にも発見し、「公私」の過去が無効になったと主張する。

中国の深の一村落に住む農民が養魚池を土地開発者に売る。その池は土地開発され、高層ビルが建ち周辺の農民たちが引っ越す。例えば四二階には農民が住みそこで鶏と山羊を飼い、ビルの周辺には田園が広がる。今まで別々だった風景が一気に接近し、まるでフォトショップでコラージュしたかのように合成されている。そこでは、公と公共空間の伝統的な意味合いが非常に疑わしくなっている★二二[図18]。


過去にオランダ構造主義者が行なった「公私」の構造分析は、それを場所に固有な属性と考え、都市を「公私」の価値を固定してゆく場として考えた。また私たちになじみの深い都市論は記号論的構造分析であり、あるいは歴史的に堆積した都市論の知識を展開したものだ。ここで都市における「公私」の概念はそれぞれ記号学的、ゲシュタルト的「地と図」の分析の対象となり、現実の都市の物理的な属性へと回帰され検証された。しかしOMA/コールハースのアーバニズムは都市を現象と考え、計画を仮説的な読解に基づき進める。

一日の残りの時間帯をプログラムしなければならないのは明
らかだった。そうすることで既存のインフラを最大限に使え
る★二三[図19]。


「公私」の関係はアクティヴィティとともに漸次的に変動し、場所に固有な問題から、時間に固有な問題になる。過去に「公私」の空間の定義として発達した「都市デザイン手法」は、新しい体系においてアーバニズムから剥離する。多木浩二は八〇年代後半、日本の高度に発達した資本主義社会において、私の力が公の力と拮抗を開始したと述べた★二四。コールハースは現在のオランダに類似した状況を見出す。

八〇年代末、公の力は都市計画において拡張したが、九〇年代に入りこの力の有様が変容し、公私共同で都市開発事業を行なうようになった。これは予算問題の解決策かもしれないが、重要な事実だ。これまで知られていない「公私」の共同による都市計画の実現は、アーバニズムをめぐる非常にラディカルな状況だ★二五。


これは、私も計画したアムステルダムのボルネオ・スポーレンブルグ東部港湾再開発計画などにも共通だ。市・住宅公社・私立開発団体・施工会社などが共同設立する都市開発会社が、アーバニストや建築家と共に計画を実現する。一般的に都市計画は国土計画、地域計画に続く計画行為で、下位の空間計画が抽象的な上位の計画をより具体化する構造だ。レム・コールハースのアーバニズムは、都市計画における「私」の参入を、抽象性のヒエラルキーを巡る空間計画体系の全体像の反転を可能にする条件と読み、大きな世界と小さな世界の拮抗を意図する。

18──90年代とは、居住可能な地域が全て「都市的な状況」となった時代だ。小さな村落は新しく建設されず、ただ類似した都市的な状況のみが新しく建設されてゆく。既知の都市構造を持たない巨大な都市的な状況は、人工の自然を統合し新しい風景を形成する。 出典=S,M,L,XL

18──90年代とは、居住可能な地域が全て「都市的な状況」となった時代だ。小さな村落は新しく建設されず、ただ類似した都市的な状況のみが新しく建設されてゆく。既知の都市構造を持たない巨大な都市的な状況は、人工の自然を統合し新しい風景を形成する。
出典=S,M,L,XL

19──空間に固有な公私の属性を、人間に固有な属性と考えること。この視線が仮説的に創りだした都市構想がこの時間軸上に構成されたプログラムだ。ここでプログラムは明らかに加えられ重ね合わせられ、都市内の様子を記述してゆく。 出典=S,M,L,XL

19──空間に固有な公私の属性を、人間に固有な属性と考えること。この視線が仮説的に創りだした都市構想がこの時間軸上に構成されたプログラムだ。ここでプログラムは明らかに加えられ重ね合わせられ、都市内の様子を記述してゆく。
出典=S,M,L,XL

無印都市ジェネリック・シティ

これまで述べてきた、「ムラン・セナール」におけるシミュラクルな都市的状況の臨界の設定、「リール」で混沌に付加された線形性、「ミッション・グラン・アックス」での残骸とグリッドの置換、「アルメラ」における公私の融合など、アーバニズムは都市的状況の矛盾とその不可能性を置き換える方法として現われる。しかし、その置換は、

「文化」に不可能ならば、「建築」にも不可能である★二六。


そして、

私たちは「全体」ではありえないとデリダは言い、「現実」ではありえないとボードリヤールは言い、そこに「いる」ことはできないとヴィリリオは言う。都市が拡張した今、アーバニズムはもう決して「新しさ」を問うことはない。「量」と「修正されたコンテンツ」のみが問題となるのだ★二七。


グローバルな都市的な状況が抱えた矛盾は、いかに整合できるのか。この矛盾を問い返し、もとより新しい都市的な状況に矛盾などはないと仮説論考する小論が「ジェネリック・シティ」だ。

気になるのは支配的な都市的状況だ。つまり都市の中心ではなく、近年形成された私たち大多数が住む都市的な状況を、私たちは常にアイデンティティの欠如と呼ぶ義務があることだ。同時にこの支配的な状況は、アイデンティティとしてのパリやベルリンなど、よく知られた都市の中心部に比較され続ける宿命だ。この状況を逆転し「ジェネリック・シティ」と呼び、無性格で無特質、アイデンティティもない、単に現代的な都市的状況を仮想した。するとこの新しいアイデンティティ不在の価値が、とりあえず自分自身に明らかになった。ジェネリック・シティつまりアイデンティティのない都市は、都市が備えなければならない素性や都市を巡る思いこみ、都市にあてはめられてきたモデルから一気に解放される★二八[図20]。


20──アメリカ人が戸外でバーベキューを盛んに行ない、厳しくしつけられたヨーロッパの食生活を解放した……、と同じようにジェネリック・シティは細かくドグマ化されてきた私たちの都市への欲求を解放する……。 出典=S,M,L,XL

20──アメリカ人が戸外でバーベキューを盛んに行ない、厳しくしつけられたヨーロッパの食生活を解放した……、と同じようにジェネリック・シティは細かくドグマ化されてきた私たちの都市への欲求を解放する……。
出典=S,M,L,XL

ジェネリック・シティは言語活動により都市的状況を理解する試みであり、私たちが理解した時、都市的な状況の孕む矛盾は解消する。ドグマが消え、モデルから解放された都市は、デザインを不問にする。さまざまな都市デザインは、言語的に優位性を証しうる論理の明快さの前に極小な問題となり、デザインを第二次的な問題とする変容を都市プロジェクトにもたらす。ジェネリック・シティは、矛盾する都市的状況の残骸を解体し新しい都市性を還元する方法論だ。そしてアーバニズムは段階を追いひとつの線形な論理として進行する。

一度抽出すれば、形態はその分析過程・診断の一部として自動的に描きうる。私たちの方法で新しいのは形態を意味に発見することだ★二九。


散乱する意味の断片群から、プログラムの体系を構築すること、アーバニズムにおける言語活動の役割は、抽象的で断片的な都市の問題を整合、共有、構造化し、社会・経済的なプログラムを世界に伝え体系化することだ。コミュニケーションの体系、それがアーバニズムの重要な方法論だ。

すべて言語的な想像力や分析・問題提起を用いたほうが、私たちの案をよりよく正当化できる。新しい状況を本当に提案できる場合だけ具体的な方法論を図式的に提案することが必要だ。したがって言語的な活動は、デザインや都市デザインといったレヴェルよりも重要だ。都市計画の八〇パーセントは言語活動で、残りの二〇パーセントがデザインの占める割合だ。言語活動は都市計画そのものだ★三〇。


アーバニズムとは、意図する都市的状況を実現するためのコミュニケーション、社会経済活動としての建築が都市的に統合可能なシステム、その実現を目的としたコミュニケーションの研究だ。言語活動はちょうどこのパラダイムに浮上する。

二一世紀の文化はディスエミネーションと、ディスパーザルだ★三一。


ディスエミネーションは事物の散布、普及を意味し、ディスパーザルは物事の散乱した状態を指し、新しい都市的な状況が普及と散乱を鍵に展開することを宣言する。ここで現われる散布・普及とは論頭で述べた「種蒔き」である。アーバニズムは、都市をメディアにして社会に蒔かれる問題系、いわば「社会学者あるいは経済学者の前に現象する都市の、建築家の手による説明・イラストレーション、その実現に向けた言語活動」だ。
スキポール計画は、ここで扱った都市性をひとまとめにする。既に『錯乱のニューヨーク』で確信していた都市の終焉、プログラムの概念、シミュラクルな都市的状況、矛盾の解消がひとつのアーバニズムを組織する。

国土比人口密度の最も高い国オランダは、大都市圏の人口密度が最も低い。かつて点在した大都市、望ましき都市は今や限りなき郊外だ。「臨界自重」のポテンシャルが公の力によって体系的に解体されたわけだ。ここでは小都市群は散在し過剰だ。そんな小都市に固有のペリフェリーなど存在するのか。そこはバラバラの公共交通体系が存在する唯一の大都市圏だ。空港移転は、環状都市部にその影響圏を含め六二五平方キロメートルの土地を解放する。これは高度に発展した先進国に到来したまたとない機会だ。二〇一五年をめざし、既存都市の拡張を基本にした環状都市部の土地利用が予定されているが、分散ではなく、集中を目指すべきだ! 利用可能なインフラを用いれば、コンパクトな新都市が生まれる。スキポールを中心とした環状都市とグリーンハートは、独立した組織として完成し、統合する★三二[図21─24]。


レム・コールハースが扱うのは、一〇〇万戸の住宅を臨界自重に満たない小都市群を起点に配置した結果、小都市群は自律性を失い点在しえず、大都市全体を構造化するはじめの目的は小都市の一体化に終わり自己矛盾する問題だ。小自治体それぞれの公益享受を目的とした、社会主義的都市政策が司る大都市圏構想が、散在する各自治体の求心構造を保持集積しつつ、環状都市全体の体系構成を実現する能力を問い、新しい都市社会を提案する。ここで「公私の融合」を軸に展開するスキポール空港計画における「アーバニズム」は、さもなければ「シミュラクル」と化す「プログラム」を環状都市に付加集中し、「時代精神」を反映する「無印」をアイデンティティにかかげ、「言語活動」によりさまざまな団体と実現を目指しコミュニケーションを行なう、OMA/コールハースの現在だ。

21──空港移転。新しい空港建築を構想せず、逆に空港の将来跡地に大きな現代都市を構想する。その構想に具体的な新しい都市像は登場せず、都市を見つめる問題が論理的に展開される。新しい都市構造化の試みは、まず架空の都市を共有する試みに始まる。 出典=『a+u』

21──空港移転。新しい空港建築を構想せず、逆に空港の将来跡地に大きな現代都市を構想する。その構想に具体的な新しい都市像は登場せず、都市を見つめる問題が論理的に展開される。新しい都市構造化の試みは、まず架空の都市を共有する試みに始まる。
出典=『a+u』

22──既存の都市をつなぎ、大都市圏を構想する試みと実施はこれまでも行なわれてきた。オランダの環状都市構想は背景にヨーロッパの物流、第一次産業政策などEC統合が背景。空港跡地の問題を大きな問題に連続して考えるコールハースの視野がここでは鍵だ。 出典=『a+u』

22──既存の都市をつなぎ、大都市圏を構想する試みと実施はこれまでも行なわれてきた。オランダの環状都市構想は背景にヨーロッパの物流、第一次産業政策などEC統合が背景。空港跡地の問題を大きな問題に連続して考えるコールハースの視野がここでは鍵だ。
出典=『a+u』

23──ここで取り上げられた都市的操作「集中」は、「散逸」する都市を否定するのか。この計画への将来的な関心は、更に精密な都市的スタディを経て結論されるであろう、そこに新しく投影される都市像だ。 出典=『a+u』

23──ここで取り上げられた都市的操作「集中」は、「散逸」する都市を否定するのか。この計画への将来的な関心は、更に精密な都市的スタディを経て結論されるであろう、そこに新しく投影される都市像だ。
出典=『a+u』

24──新しい大都市圏のロゴはパテントである。ここではCI(コーポレイト・アイデンティティ)が築き上げたコミュニケーション戦略が OMA/コールハースの方法に連続している。新しい大都市圏の構造化の試みは、その将来像を誰の目にも一目瞭然にすることで始まる。 出典=『a+u』

24──新しい大都市圏のロゴはパテントである。ここではCI(コーポレイト・アイデンティティ)が築き上げたコミュニケーション戦略が OMA/コールハースの方法に連続している。新しい大都市圏の構造化の試みは、その将来像を誰の目にも一目瞭然にすることで始まる。
出典=『a+u』


『S,M,X,XL』からの引用は、日本語版監修者太田加代子さんの翻訳を参考に著者が再編集したもの。
★一──“Our New Sobriety” in La Biennale, Catalog, First International Exhibition of Architecture, 1980.
★二──O.M.A./Rem Koolhaas and Bruce Mau, “Final Push (Extension of the Dutch Parliament, The Hague, Netherlands Competition, 1978)”, S,M,L,XL, 010 Publishers, 1995, p.287.
★三──O.M.A./Rem Koolhaas and Bruce Mau, “Congestion Without Matter (Parc de la Villette, Paris, France Competition, 1982)”, op. cit., p.921.
★四──一九九九月一二日 NAiでのエキジビション OMA/コールハースのアルメラ市中心部都市計画再開蓮計画を巡るインタヴュー。
★五──★四と同じ。
★六──多木浩二「フランクフルトの台所──二〇世紀のイデオロギーとしての機能主義」(『それぞれのユートピア──危機の時代と芸術』、青土社、一九八九)。
★七──ジャン・ボードリヤール『シミュラクルとシミュレーション』(竹原あき子訳、法政大学出版局、一九八四)。Fredric Jameson, Signature of the Visible, Routledge, London, 1992.
★八──上原雄史「残骸と脱構築の交差点」(『READINGS:1──建築の書物/都市の書物』、INAX出版、一九九九)。
★九──“From Bauhaus to Rem Koolhaas”, interviewer Katrina Heron, WIRED 7,1996.
★一〇──サスキア・サッセン『グローバリゼーションの時代──国家主権のゆくえ』(伊豫谷登士翁訳、平凡社、一九九九)、第二章参照。
★一一──★九と同じ。
★一二──“A Interview with Rem Koolhaas”, interviewer Tom Fecht, 100days/100 guests program at Documenta, Documenta X, Kassel, Germany.
★一三──「激変する現代都市の作家性と自身の社会性──一個人としてのレム・コールハースに聞く」(『SD』一九九二年二月号、インタヴュアー=上原雄史、鹿島出版会)。
★一四──O.M.A./Rem Koolhaas and Bruce Mau, “Tabula Rasa Revisited (Mission Grand Axe, La D伺ense, Paris, France Competition, 1991-1993)”, op. cit., pp.1113‐1131.
★一五──★一〇と同じ。
★一六──Rem Koolhaas, “Shopping”, Presentation Harvard University, 1995.
★一七──★一六と同じ。
★一八──★一六と同じ。
★一九──★一三と同じ。
★二〇──★四と同じ。
★二一──★四と同じ。
★二二──★一二と同じ。
★二三──O.M.A./Rem Koolhaas and Bruce Mau, “Programmatic Lava (Urban Design Forum Yokohama, Japan Project, 1992)”, op. cit., p.1221.
★二四──一九八九年東京工業大学での連続講義にて。
★二五──★四と同じ。
★二六──★九と同じ。
★二七──O.M.A./Rem Koolhaas and Bruce Mau, “What Ever Happened to Urbanism? (Text, 1994)”, op. cit., pp.967‐969.
★二八──★一二と同じ。
★二九──★一三と同じ。
★三──★一三と同じ。
★三一──★九と同じ。
★三二──一九九八年一二月 スキポール空港計画 OMA/レム・コールハース。

>上原雄史(ウエハラ・ユウシ)

1964年生
zerodegree architecture主宰。建築家。

>『10+1』 No.19

特集=都市/建築クロニクル 1990-2000

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...

>ミニマリズム

1960年代のアメリカで主流を占めた美術運動。美術・建築などの芸術分野において必...

>錯乱のニューヨーク

1995年10月1日