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クリストファー・アレグザンダー再考 | 難波和彦
A Reconsideration of Christopher Alexander | Namba Kazuhiko
掲載『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) pp.213-222

最近、若い建築家や建築研究者がクリストファー・アレグザンダーのデザイン理論に注目している。大きな潮流になっているわけではないが、彼らの紹介を通じて、アレグザンダーのデザイン理論は再び見直されるような予感がする。彼らは現時点でのアレグザンダーのデザイン理論に注目しているが、それだけでは彼の理論の可能性を十分にくみ取ることはできない。僕の考えでは、現在の彼の理論よりも一九六〇年代の初期アレグザンダーの理論のほうに学ぶべき可能性がある。初期の理論はデザインのあり方を根本的に問い直しているからである。現在のアレグザンダーの理論は一九六〇年代から紆余曲折を経て辿り着いた、彼なりのひとつの終着点である。僕たちには彼とは異なる展開の選択肢があるのではないかと思う。
僕は一九六〇年代末にアレグザンダーに出会って以来、彼のデザイン理論に興味を持ち、彼の活動の展開をずっとフォローしてきた。その間、仲間と協力してアレグザンダーに関するゼミナールを開催し、彼の著作の翻訳出版も手がけた。一九八〇年代末に彼が日本でいくつかのプロジェクトを展開した際には、仲間の建築家たちと協力して彼の実務活動を支援したこともある。しかし彼がつくった建築があまりにもオリエンタリズムに侵されているように見えたので、一気に熱が冷めてしまった。多くの建築家が同じ印象を抱いたのではないかと思う。以来二〇年余りの間、僕は彼の活動からは遠ざかってきた。とはいえ僕はアレグザンダーのデザイン理論から多くのことを学んだ。例えば「箱の家シリーズ」はアレグザンダーの理論からかけ離れているように見えるかもしれないが、コンセプトや空間構成には初期アレグザンダーの思想が深く染み込んでいる。
アレグザンダーは否定するに違いないが、僕の考えでは、デザイン理論と実際のデザインとは分けて捉えるべきである。理論からデザインが自動的に出てくるわけではない。両者の間にはさまざまな媒介プロセスが存在する。結果として生み出されたデザインを否定したとしても、それを生み出した理論までも否定するのは合理的ではない。デザイン理論を実際のデザインに適用する場合、必ずしもそれを考案した建築家がもっともうまく適用できるとも限らない。他の建築家がその理論を自分の方法に採り入れ、もっと有効にデザインへと適用する可能性もある。そこで以下では、アレグザンダーのデザイン理論をもう一度辿り直し、彼の理論と実際のデザインとの関係を再検証することを通じて、両者を切り分け、彼のデザイン理論の可能性を明らかにすることを試みたい。

『形の合成に関するノート』

アレグザンダーは一九三六年にウィーンに生まれた。両親と英国に移住し、ケンブリッジ大学で数学の学士号を得た後、ハーヴァード大学の建築大学院に進んだ。彼の名前が日本で広く知られるようになったのは、ハーヴァード大学でまとめた博士論文「Notes on the Synthesis of Form」(一九六四)が出版されてからである(『形の合成に関するノート』稲葉武司訳、鹿島出版会、一九七八。以下『ノート』と略称)。『ノート』は翻訳出版される前から海賊版が出回り、建築家だけでなく建築計画や都市計画に関わる研究者に大きな影響を与えた。『ノート』においてアレグザンダーは、数学的な方法を建築に適用し、複雑な設計条件を合理的な手順によって形に結びつける方法を考案した。六〇年代から七〇年代にかけては、モダニズム建築への反省が叫ばれ、ポストモダニズムが勃興した時代である。モダニズムへの反省は、一方で機能主義の反動として記号主義あるいは歴史主義の勃興をもたらしたが、他方では個人としての建築家すなわち巨匠によるデザインからチームによる民主的・合理的デザインの追求へと展開していった。この動きは高度経済成長に伴ってますます複雑化・高度化する設計条件を、合理的な手続きによっていかにデザインに統合するかという設計方法の研究の興隆をもたらした。僕が大学院生だった一九七〇年代初期には、所属する池辺陽研究室でも設計方法の研究を展開していた。池辺は建築学会の設計方法小委員会委員長で指導的役割を担っていた。そのような時代状況のなかで、『ノート』は合理的な設計方法の極地を示す著作として注目を浴びたのである。
『ノート』は大きく二つの部分からなる。第一部ではデザインが問題解決の一種であることが明らかにされ、第二部ではデザインの問題の表示の仕方と解決の方法が提案されている。第一部でアレグザンダーは、現代においてはデザインの条件が個人の能力では捉えることができないほど多様化・複雑化していることを明らかにしたうえで、こう述べている。

デザインの最終の目的は形(form)である。(…中略…)デザイナーはまず第一に、与えられたデザインの問題のもっとも深いところまでたどり、何らかの型(pattern)を見つけることができねばならない。これがこれからの議論の基礎となる前提である。(…中略…)どのデザインの問題も、求められている形と、その形の全体との脈絡、すなわちコンテクストという二つの存在を適合(fit)させようとする努力で始まるという考え方にもとづいている。形は問題に対する解決であり、コンテクストはその問題を明確にする。


さらに続けて、こういっている。

形とは、我々がコントロールできる世界の一部分であって、その世界の他の部分をそのままにしておきながら、我々が姿を変えることのできる部分である。コンテクストとは、この世界の形に対して要求を提示する部分である。この世界で形に対する要求となるものはすべてコンテクストである。適合性とは形とコンテクストとが相互に受け入れ合う関係のことである。


『ノート』でアレグザンダーが提唱した方法の特異性は二つある。ひとつはデザインの最終目標を形とそれを取り囲むコンテクストとの間の不適合(misfit)を取り除く作業とし、両者の適合性を形の正しさの指標として捉えた点である。コンテクストが「形に対して要求を提示する部分」であるなら、それは広い意味での機能である。したがって『ノート』の方法は一種の機能主義だといってよい。ではモダニズムの機能主義に対する反省が唱えられている時代に、なぜアレグザンダーの方法が衝撃を与えたのだろうか。それは彼がコンテクスト、つまり機能の要素を可能な限りリストアップし、分析・細分化することによって、誰も否定ができないほどに客観化してみせたからである。言い換えれば、機能主義において取り上げられてきた機能の恣意性を徹底的に排除しようとしたのである。
もうひとつの特異性は、そのように細分化されたコンテクストの要素相互の適合・不適合の関係を、数学的方法によってグルーピングし、「何らかの型」に統合しようとした点である。機能の要素が一定数を越えると、個人の能力では相互の関係を捉えることはできない。アレグザンダーは多数の要素の関係を、相関分析の方法を用いてグループに分け、それぞれに型を与えることによって統合して見せた。彼が用いたのは量を扱う数学ではなく、関係や構造を扱う集合論である。これは六〇年代の構造主義の方法を踏襲している。彼が自らの研究設計組織を「環境構造センター」と名づけた点にも当時の思想潮流の反映を見ることができるだろう。
アレグザンダーはデザイン・プロセスにおける形とコンテクストの対応を三段階に分けた興味深い図式を示している[図1]。第一段階は「無自覚な状況」で、伝統的な職人のように経験を通じて形とコンテクストを対応させる段階である。第二段階は「自覚的な状況」で、近代的なデザイナーが形とコンテクストを心のなかで対応させる段階である。モダニズムの機能主義はこの段階にある。第三段階はアレグザンダーが提案した『ノート』の方法のように、形とコンテクストが完全に抽象化・記号化された「記号化の状況」である。彼は形とコンテクストをすべて記号化し、デザイナーの経験や勘に頼っているこれまでの曖昧なプロセスに代えて、デザイン・プロセスを誰もが理解できるようにグラスボックス化・民主化しようとした。その後アレグザンダーの方法は大きく転回するが、デザイン・プロセスのグラスボックス化・民主化をめざすという目標は現在に至るまで変わっていない。
アレグザンダーはこの図式にしたがって、記号化された形を形のダイアグラム(form diagram)、記号化されたコンテクストを要求のダイアグラム(requirement diagram)と名づけ、両者を結びつける建設的ダイアグラム(constructive diagram)を「合成する」ことがデザインの最終目的であると定義している。この前提のもとに、分析化・細分化されたコンテクストを相関分析によってグルーピングし、それに一定の型(pattern)を与えることによって建設的ダイアグラムを合成するという方法が考案されたのである[図2]。
現在から振り返ると、『ノート』の方法の限界は明らかである。第一に形とコンテクストの対応はコンテクストから形を引き出せるような一方的で静的な関係ではない。コンテクストは引き出された形の影響を受けて変化する。両者の関係は相互作用的である。第二に、上の問題に関連するが、現実のコンテクストは複雑に絡み合っているので、分析・細分化するとコンテクストの重要な特性が失われてしまう可能性がある。第三にコンテクストを分析・細分化することによって客観的な要求ダイアグラムに記号化できたとしても、それを建設的ダイアグラムに合成するプロセスからは恣意性を排除することはできない。要求のダイアグラムを形のダイアグラムに結びつけ建設的ダイアグラムに合成するには不連続な飛躍が必要である。これこそ機能主義の本質的な限界だといってよい。とはいえこれらは克服できる限界である。第一の限界は形とコンテクストの間にフィードバック・ループを組み込み、動的な関係に置くことによって解決できる。第二の限界は、後に述べるように、コンテクストの構造特性を明らかにすることによって、分析・細分化とは異なる方法へと展開できる。パタン・ランゲージはここから生うみ出された。第三の限界は統合プロセスの不連続性を明らかにし、建設的ダイアグラムが一種の仮説であることを示すことによって、機能主義とは異なる仮説的方法へと転換できる。何事においてもそうだが、ひとつの方法の限界を明らかにするには、それを徹底化する以外に方法はない。『ノート』において初めて、真の意味で機能主義の限界が明らかにされたのである。

1──デザイン・プロセスの3段階 引用出典=『形の合成に関するノート』

1──デザイン・プロセスの3段階
引用出典=『形の合成に関するノート』

2──インドの村のダイアグラム 引用出典=『形の合成に関するノート』

2──インドの村のダイアグラム
引用出典=『形の合成に関するノート』

「都市はツリーではない」

『ノート』の方法は、コンテクストを要素に細分化した後にグルーピングすることによって再構成するというものだった。グルーピングに用いられたのはコンピュータを用いた相関分析法だが、これは複雑に絡み合ったシステムを解きほぐし、要素をツリー構造に組み上げる数学的手法である。したがってこの手法を使えば、再構成された建設的ダイアグラムもツリー構造にならざるをえない。しかしコンテクストは単純なツリー構造には分解できない複雑さを備えている。アレグザンダーはこの点に気づき、コンテクストの構造特性を明らかにする研究へ向かう。その結果をまとめたのが「都市はツリーではない」(『デザイン』一九六六年七、八月号所収、押野見邦英訳。以下「ツリー」と略称)である。
この論文で彼は、歴史的な長い時間を経て自然発生的に生まれた「自然都市」と、建築家や都市計画家が短期間のうちに人工的につくり上げた「人工都市」との本質的な相違をツリーとセミラチスというシステムの構造特性の相違として捉えた[図3]。彼は自然都市の豊かさはシステムとしての複雑さ(セミラチス)によってもたらされる特性であり、人工都市の貧しさは単純なツリー構造に起因すると主張する。自然の構造はすべてセミラチスだが、人間はそれをツリー構造に還元して捉える傾向がある。アレグザンダーはこういっている。

ツリーは思考法として、秩序だっていて美しく、複雑な全体をユニットに分割するという単純で明解な方法をもたらしてくれるが、自然にできあがった都市の構造を正しくあらわさないし、われわれが必要な都市の構造もえがいてくれない。自然の構造は必ずセミラチスをなしているというのに、多くのデザイナーが、都市をツリーとして考えるのはなぜだろうか。ツリー構造が都市に住む人びとにほんとうに役に立つと信じて、わざとそうするのだろうか。それともツリー構造にせざるをえない理由があるのか。思考法の習慣、おそらく人間の頭の働きそのものの落とし穴だろうが、この落とし穴にかかっているのが原因だろう。デザイナーは、複雑なセミラチス構造を考えやすいかたちにおきかえることができないから、ツリーにみえるときはいつでもツリーにしてしまう傾向があり、どうしてもツリーの考え方を脱しきれないのだ。磯崎新『建築の解体』(鹿島出版会、一九七五)


「ツリー」については多くのことが語られてきた。建築や都市だけでなく、他のジャンルの人たちの興味を引いたのは、それが都市という外界の構造特性だけでなく、それを捉える人間の思考の構造特性を含めて問題にしていたからである。例えば柄谷行人は「ツリー」の背後に潜む思想について、次のような穿った見方を示している。

アレグザンダーは、より人間的で生きられる都市空間を作ろうとする他の多くのプランナー達と、ひとつの点において決定的にちがっている。それは、彼が自然都市という多様体を、数学的構造に、すなわち秩序に還元できると考えたことである。つまり、プランナーたちの建築的な企てを批判しているにもかかわらず、いわば「建築への意志」がもっとも徹底しているのは彼においてである。アレグザンダーの視点の新しさは、多くの点で構造主義と共通する──前者は集合の順序構造に注目し、後者は集合の代数的(群論的)構造に注目している──けれども、われわれの文脈でいえば、それは「自然が作ったもの」を「思考によって作りなおす」ことにほかならない。そしてそこには、多様なものをめざしているかにみえて、それに対する根本的な敵意がある。『隠喩としての建築』(『柄谷行人集』二、岩波書店、二〇〇四)


柄谷は、近代的思考にはすべて「形式化」へ向かう傾向があることを明らかにした。形式化とは対象を数学的構造へ還元することである。「自然が作ったもの」を「思考によって作りなおす」ことは対象を記号化することにほかならない。この意味で『ノート』における記号化の方法は形式化の一種だといってよい。柄谷はアレグザンダーのいうセミラチスはツリーの重ね合わせにすぎないと批判している。確かに自然都市のセミラチス性は長い時間をかけてツリーが重ね合わせられてきた結果だと考えることもできる。例えば建築史家の中谷礼仁は『セヴェラルネス──事物連鎖と人間』(鹿島出版会、二〇〇六)において、建築の転用をツリー構造の時間的な重合として捉えている。同じ対象であっても、異なる視点によって異なる構造を発見できるわけである。だとすれば構造は対象にではなく思考の側に存在するのだろうか。
ここからアレグザンダーの方法の以後の展開を決定づける二つの問題が生じる。ひとつはツリーであれセミラチスであれ、構造は一体どこに存在するのかという問題、つまり構造は外界に存在するのか、それを捉える人間の思考の内部に存在するのかという問題である。これは構造主義、とりわけクロード・レヴィ=ストロースの構造人類学に対する人口に膾炙した批判「主体なきカント主義」の建築版だといってよい。建築や都市は人間がつくるものである。この意味で建築や都市は思考が現実化された存在である。一般的に建築家や都市計画家は外界に存在する建築や都市、つまり対象そのものの構造を問題にする。これに対しアレグザンダーは、いきなり対象に向かうのではなく、対象を記号化し思考の対象へ還元したうえで、記号の構造を問題にした。『ノート』や「ツリー」の特異性は、建築や都市の構造が思考の構造に起因していることを明らかにした点にある。しかし一方で建築や都市が人間の思考や生活を左右することも確かである。では両者はどのような関係にあるのだろうか。確かに思考はツリー構造である。しかし対象からの働きかけがなければ構造は発見できない。両者は切り離されているのではなく互いに複雑に絡み合っている。ここから自然都市のようなセミラチス性を生み出す方法へ向けてのアレグザンダーの追求が始まる。
もうひとつは形式化や記号化はシステムや構造を取り扱うには好都合な方法ではあるが、具体的な内容を捨象するために、論理的な手続論に陥りやすいという問題である。『ノート』の方法はコンテクストの客観的分析や合理性において受け入れられ、「ツリー」はそれをさらに精細にした点が注目された。一九六〇年代に興隆した設計方法論も一九八〇年代以降になると、民主的デザイン・プロセスやコラボレーションといったデザイン手順に関する研究へと展開していく。現代においてはデザイン・プロセスの重要性を否定することはできない。デザインを社会に根づかせるにはデザイン・プロセスに参加する関係する人びとを巻き込むことが必要である。あるいは複雑な条件に対処するには専門家のネットワークが不可欠である。しかし「何をつくるか」という問題抜きに「いかにつくるか」を追求しても生産的な議論を展開することはできない。「ツリー」以降のアレグザンダーの活動は、具体的な内容を捨象することなく民主的なデザイン・プロセスを実現する方法へと向かうことになる。

3──ツリー(左)とセミラチス(右) 引用出典=「都市はツリーではない」

3──ツリー(左)とセミラチス(右)
引用出典=「都市はツリーではない」

4──「玄関室」のパタン 引用出典=『パタン・ランゲージ』

4──「玄関室」のパタン
引用出典=『パタン・ランゲージ』

『パタン・ランゲージ』と『タイムレス』

セミラチスがツリーの重ね合わせでしかないとすれば、セミラチスを人工的につくる方法は可能だろうか。時間をかけてツリーを重ね合わせていくのがひとつの方法である。自然都市はそのようにして形づくられてきたことはすでに述べたとおりである。しかしそれだけの時間をかける余裕がないとすると、セミラチスを人工的につくり出すことは不可能なのだろうか。あるいはいかにつくるかというデザイン・プロセスの問題の中に「何をつくるか」という問題を組み込むことはできるのだろうか。これは『ノート』で明らかになったフィードバック・ループをデザイン・プロセスの中に組み込む問題や、建設的ダイアグラムの仮説性の問題とも関係している。これらの問題の解決法についてさまざまな試行錯誤を繰り返した結果、アレグザンダーが到達したのがパタン・ランゲージという方法である。パタンは『ノート』における特定の建設的ダイアグラムをユニット化したものである。建設的ダイアグラムの中には、状況が変化してもくり返し現われるものがある。それをパタンとして抽出し、パタンのネットワークすなわちパタンによって綴られた言語としてセミラチスな環境をつくり出そうとするのがパタン・ランゲージである。
建設的ダイアグラムとパタンには明らかな類似性がある。両者はいずれも記号の一種であり『ノート』において示された「記号化の状況」にある。建設的ダイアグラムが形のダイアグラムと要求のダイアグラムを合成したダイアグラムであるように、パタンは空間の型(pattern)と出来事(event)のセットである。この点ではパタン・ランゲージは依然として機能主義の延長上にある。しかし両者の間には決定的な相違点が存在する。ダイアグラムは形式的な数学言語によって記述され、内部構造が明示されている。これに対しパタンは自然言語によって記述され、内部構造は曖昧なままである。ダイアグラムは内部構造が明示されているがゆえにツリー構造だが、パタンは自然言語の曖昧性によってセミラチス構造となりうる。つまりさまざまな解釈や連想の重ね合わせが可能なのである。しかもパタンには仮説的な形態が組み込まれている。パタンには具体的な空間の特性、すなわち「何をつくるか」が埋め込まれている[図4]。
パタン・ランゲージは一種の形態言語である。パタン・ランゲージによるデザイン・プロセスは一連のパタンを用いながら環境について語ることによって進められる。数学的言語や図面とは異なり、パタンは自然言語によって綴られているため、誰にでも理解でき、誰もがデザイン・プロセスに参加することができる。さらにパタン・ランゲージは具体的な内容を伴っているので、単なる手続きに陥ることのない民主的なデザイン・プロセスを可能にする。
パタン・ランゲージは三部作からなる。パタンを用いて環境をデザインする方法、すなわちパタン・ランゲージの文法について解説した『時を超えた建設の道』(平田翰那訳、鹿島出版会、一九九三。以下『タイムレス』と略称)、単語としての二五三のパタンについて詳細に解説した辞書である『パタン・ランゲージ』(平田翰那訳、鹿島出版会、一九八四)、そしてパタン・ランゲージを実施のデザインに適用したケーススタディ報告である『オレゴン大学の実験』(C・アレグザンダーほか著、宮本雅明訳、鹿島出版会、一九七七)である。出版の順序はこの逆に進められた。実験的な試みから出発し、そのなかで具体的な手法をまとめ、最後にそれを理論化するという順序をとるのはアレグザンダー独自のプロセスである。まず仮説を立て、具体的な検証を行なったうえで、徐々に理論を体系化していくのである。僕は前二冊を読んでしばらくの後、一九七九年に出版直後の『タイムレス』を手に入れ、その日のうちに巻頭の「詳細な目次」を読んだ。その時に抱いた不思議な感情は今でもはっきりと憶えている。それは強い力によって引き込まれながらも、何かが違うという印象だった。そして次に訪れたのはアレグザンダーは『ノート』や『ツリー』から何と遠くまで転回したことかという感慨だった。『パタン・ランゲージ』は環境について語る言語なので、まだしも連続性が感じられた。しかし『タイムレス』で語られている世界観に対しては戸惑いを感じるしかなかった。もっとも理解に苦しんだのは「無名の質」と名づけられた空間の特性である。アレグザンダーは『タイムレス』の第二章「無名の質」の冒頭にこう書いている。

ある中心的な質が存在する。それは人、町、建物、荒野などの生命や精神の根源的な規範である。この質は客観的かつ正確ではあるが、名づけることはできない。


さらに最終章「道の核心」にはこう書かれている。

つまるところ、この不滅の特性は、実はランゲージとは何の関係もない。ランゲージとそこから生じるプロセスは、わたしたちが生来持っている根源的な秩序を開放してくれるにすぎない。ランゲージは何も教えてくれない。私たちがすでに知っていることや、何度もくり返し出会う問題を思い出させてくれるだけである。しかもそれは、自分の意図や見解を捨て去り、自分の内なる声に耳を傾けてはじめて可能になる。


この文章を読んで、僕は直ちにヴィトゲンシュタインを連想した。ヴィトゲンシュタインは初期の『論理哲学論考』においては外界を言語によって写し取る方法について厳密な考察を展開し論理哲学の基礎を築いたが、晩年の『哲学探究』においては初期の思想を完全に否定し、言語は外界とは無関係な一種のゲームであるという「言語ゲーム論」へと転回した。初期の論理主義から後期の現実主義への転回がアレグザンダーの転回にオーヴァーラップして見えたのである。ちなみに二人ともウィーン生まれのユダヤ人であり、ケンブリッジ大学で数学や論理学を学んだという経歴も類似している。とはいえヴィトゲンシュタインは「語りえるもの」については明確に語ったが、彼の思想の核心である倫理的・宗教的信条については「語りえないもの」として沈黙した。これに対しアレグザンダーはパタン・ランゲージが生み出す空間に潜む「無名の質」だけでなく、デザイン主体の内面や生活にまで踏み込み、ひいては世界観や社会のあり方についてまでをも語り尽くそうとする。僕は、それがきわめて説得的である点に引かれつつも、あまりに現実からかけ離れユートピア的である点に反発を感じたのである。

《盈進学園東野高校キャンパス》

一九八〇年代後半にアレグザンダーは日本での活動を開始する。《盈進学園東野高校キャンパス》のプロジェクトである。アレグザンダーは環境構造センター日本支部を設立し、僕の教え子や仲間の多くが計画に参加した。プロジェクトはパタン・ランゲージを用いてキャンパスを記述することから始まった。教員や生徒たちは環境構造センターの指導の下にパタン・ランゲージを学び、話し合いを繰り返しながら、自分たちのキャンパスがどのような空間になるのかについて文章にまとめた。つまり文章によってキャンパスの基本計画を行なったのである。この文章には学校のプログラムは採り入れられていたが、敷地条件はまだ考慮されていなかった。文章によるキャンパスの基本計画がまとまると、アレグザンダーと環境構造センターのメンバーは、それにもとづいてキャンパス全体の空間構成を示すダイアグラム・プランのスタディを行ない、さらにダイアグラム・プランと敷地形状との机上での調整をくり返した。この作業を終えた後、初めて現実の敷地に向かい、敷地の上に建物配置を示す杭を立てていった。最終的なデザインを現実の敷地上で行なったわけである。パタン・ランゲージ以降のアレグザンダーの方法の特徴は、このような徹底した現場主義にある。新しい構造や設備を試みる場合、デザインの客観性を検証するために徹底した記号化・形式化の方法をとる場合はあるが、最終的な決定は必ず現場で行なうのがアレグザンダーの方法である。《盈進学園東野高校キャンパス》においても、図面や模型は現場のデザインで決めた杭の位置を測量し、それを図面化・模型化するという手順がとられた。
当時、アレグザンダーはパタン・ランゲージの方法に限界を感じ始めていた。パタン・ランゲージによってデザインされた建築は至るところにアルコブが散在する加算的な建築になったからである。こうした傾向を修正するため、彼の興味は形とプロセスの問題へと移行していった。そこから生み出されたのが「一二の幾何学的特性」と「センタリング・プロセス」(中心化プロセス)である。「一二の幾何学的特性」はパタンと幾何学を結びつけ、パタンをリストアップしなくてもパタン・ランゲージを生成するはたらきを持っている。センタリング・プロセスは一二の幾何学的特性を生み出すプロセスの提案である。それは既存の構造のなかに全体性を備えた潜在的な中心を見出し、それを強化するような新たな中心を加えていくプロセスである。センタリング・プロセスは図面上だけでなく敷地への建物配置や施工方法にまで適用される。アレグザンダーはセンタリング・プロセスを盈進学園キャンパスのプロジェクト全体に適用した。このため工事を請け負ったゼネコンとの間で工事の進め方についての確執が絶えなかった。通常の工事では図面、模型、見本によって最終的な確認を行なった後に実際の施工に着手する。しかしアレグザンダーはすべてを現場で決めようとした。例えば敷地造成にもセンタリング・プロセスを適用し、現場でブルドーザーの動きを指示し高低差を決めた。このため前もって工程を予測することが難しく絶えず変更や手戻り工事が生じ、工事費は膨らんでいった。プロジェクトの開始時は、多くの建築家がアレグザンダーの思想に同調して参加したが、繰り返されるトラブルに耐えきれずほとんどの人が脱落していった。彼らの多くはその反動で後にアレグザンダーの方法に対して対立的な立場をとるようになる。僕はプロジェクトから一定の距離を保っていたため、確認申請手続きは最終的に僕の事務所が担当することになった。
一九八九年にキャンパスは完成した。それまで理論的・方法的な面でしか知られることになかったアレグザンダーが、彼の方法を適用したプロジェクトを完成させたわけである。キャンパスのデザインは彼の理論を実証する事例として受けとめられた。しかし評価は両義的だった。完成したキャンパスの配置計画はすばらしかった。緩やかな角度と高低差のついた外部空間は、まるで中世の集落のような穏やかな雰囲気を漂わせていた。しかし建物の形態には誰もが首を傾げざるをえなかった。当時はポストモダン歴史主義の最盛期だったが、キャンパスの建物のファサードは国籍不明のオリエンタルな表情を湛え、舞台の書き割りのような印象を与えた[図5─8]。キャンパスに関してアレグザンダーにインタヴューする機会があり、その点を問うたところ「君の見方は間違っている。私はそんなデザインをしたつもりはない」という答が返ってきた。おそらく彼自身も同様な感想を抱いていたのだろう。デザイナーの立場としては僕の問いかけは悪意のこもった質問としか受けとめられなかったのだと思う。さらにキャンパスの建物には、構造や構法など技術的な面でも不完全な点が多く見受けられた。それは紆余曲折した施工プロセスに起因するところが大きかった。こうして日本では「アレグザンダーはプランナーでありデザイナーではない」という評価が大勢を占めることになったのである。

5──盈進学園東野高校キャンパス、全景 筆者撮影

5──盈進学園東野高校キャンパス、全景
筆者撮影

6──同、クラスルーム通り 筆者撮影

6──同、クラスルーム通り
筆者撮影

7──同、大講堂と門 筆者撮影

7──同、大講堂と門
筆者撮影

8──同、大講堂内部 筆者撮影

8──同、大講堂内部
筆者撮影

『The Nature of Order』

一九九〇年代になるとアレグザンダーの存在は徐々に忘れ去られていく。九〇年代初頭のバブルの崩壊とともにポストモダニズム・デザインは霧消し、代わってモダニズムの再評価が行なわれるようになる。この間もアレグザンダーは日本での設計活動を続けていたが、九〇年代半ばにカリフォルニア大学バークレー校の教授を退職してからは、チャールズ皇太子のアドヴァイザーとして拠点をロンドンに移し、コミュニティ・アーキテクトとしての活動を展開するようになる。
アレグザンダーは二〇〇二年から二〇〇四年にかけて全四巻からなる『The Nature of Order(秩序の本質)』を発表している。これは『タイムレス』を第一巻とするシリーズの第九巻から第一二巻に位置づけられている。このシリーズには初期の『ノート』や「ツリー」は含まれていない。『The Nature of Order』には《盈進学園東野高校キャンパス》を含め、ほとんどのプロジェクトの報告が収められている。各巻が五〇〇ページを越える大著であり、とても全貌を紹介することはできない。しかしひとつだけはっきり指摘できることがある。アレグザンダーは今や現代建築の潮流とは完全に袂を分かっていることである。各巻の副題「The Phenomenon of Life(現象としての生)」「The Process of Creative Life(生を生み出すプロセス)」 「A Vision of a Living World(生きた世界のヴィジョン)」「The Luminous Ground(輝く大地)」を見てもわかるように、アレグザンダーは現代の都市や建築のなかに根本的な問題を見出し、それに代わる代替的な都市や建築のあり方を提案しようとしている。彼は『The Nature of Order』に続いてシリーズの第一三巻『Battle: The Story of a Historic Crash(闘い──ある歴史的衝突の物語)』の出版を予告している。これはまさに一九六〇年代に科学哲学者トーマス・クーンが提唱したパラダイム・シフト(世界観の転換)にほかならない。社会制度や世界観の転換なしに、アレグザンダーが提案するような都市や建築を実現することはできない。とすればアレグザンダーのデザイン理論に対してはall or nothingの態度しかありえないのだろうか。理論に関する限り彼はそう主張しているように思える。しかし実践においては、アレグザンダーは不連続な変革ではなく漸進的な改良をめざしている。環境構造センターはインターネットを通じてパタン・ランゲージの普及をはかりながら、さまざまな立場の人びとに、それぞれの立場から彼らの活動に参加するように呼びかけている。
とはいえ最後まで残る疑問は、彼のつくり出す建築や都市の空間の質であり表現である。彼の建築はどことなく既視感があり懐かしい印象を与える。彼が紹介する「生きた建築」は確かに否定できない優しさを湛えている。しかしドキドキするような刺激や興奮は感じられない。はじめて『タイムレス』を読んだとき、僕はそこに「畏れ」や「悲しみ」が存在しないことに気がついた。アレグザンダーは誰もが生きたパタンを生み出す能力を持っていると主張する。生きたパタンを感じ取る力は人間に生まれつき備わっている生得的な能力だという。だとすれば人間には恐怖や悲しみのパタンを感取する能力も備わっているはずではないか。でなければ進化のプロセスのなかで人間は生き延びることはできなかっただろう。あるいは訳もわからず闇雲に新しいことに挑戦しようとする欲求がなければ、今日までのテクノロジーの進展もありえなかったろう。新しさを求める欲求はさまざまな問題を引き起こしながらも既存の状況を打破し時代を切り開いてきた。マルクスやフロイトを持ち出すまでもなく、人間のなかには不合理な感情が渦巻いている。「畏れ」や「悲しみ」は積極的に追求する目標ではない。しかしそれらが存在するからこそ「生」が浮かび上がるのではないか。さらに文化人類学者たちは、歴史的な都市には「悪場所」や「アジール」が不可欠であったことを発見した。それは今日の都市においても同じではないだろうか。「悪場所」や「アジール」は都市計画の対象にはなりえない。しかしそれらは誰かによって確実に計画され実現されてきた。
アレグザンダーの現代建築批判には傾聴すべき点が多い。現代において彼のような広大な視野はそれ自体が消費的なポストモダニズムに対する批評的な存在だといっても過言ではない。彼の批判を共有しながら、彼の思想と方法に「毒」を注入することは可能だろうか。あるいはユートピア的な彼の思想と方法にリアリズムと「新しさ」の価値を持ち込むことは可能だろうか。僕の考えでは、それには『ノート』や「ツリー」まで遡り、その徹底した論理を現在のアレグザンダーの理論に差し向けるのがひとつの方法ではないか。それによってアレグザンダーの理論に自己言及を持ち込み、刺激的でダイナミックなデザイン理論へと展開させることができるのではないか。それ以外に彼の思想と方法を僕たちに引き寄せる術はないように思える。

アレグザンダーと環境構造センターのHP
●http://www.natureoforder.com/
●http://patternlanguage.com/
●http://www.livingneighborhoods.org/ht-0/bln-exp.htm

*この原稿は加筆訂正を施し、『建築の四層構造──サステイナブル・デザインをめぐる思考』として単行本化されています。

>難波和彦(ナンバ・カズヒコ)

1947年生
東京大学名誉教授。(株)難波和彦・界工作舍主宰。建築家。

>『10+1』 No.47

特集=東京をどのように記述するか?

>クリストファー・アレグザンダー

1936年 -
都市計画家、建築家。環境構造センター主宰。

>池辺陽(イケベ・キヨシ)

1920年 - 1979年
建築家。

>パタン・ランゲージ

クリストファー・アレグザンダーが提唱した建築・都市計画にかかわる理論。単語が集ま...

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>隠喩としての建築

1983年3月1日

>中谷礼仁(ナカタニ・ノリヒト)

1965年 -
歴史工学家。早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。