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Morphology | 池上高志
Morphology | Ikegam Takashi
掲載『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?, 2007年06月発行) pp.43-45

1 物理と化学における形

同じように見える砂粒も、一つひとつとってみるとそれぞれに異なる形をしている。貝もまたそうである。しかしそれがたくさん集まった時に起きることは、一つひとつの形とは関係ないだろう。そうでないと少なくとも自然科学の問題としてはやっかいなことになる。なぜなら要素の形を考慮に入れるのは一般に難しく、アルゴリズム的に計算が面倒だからだ。したがって、とりあえず形は無視して、質量はあるが大きさを持たない点(質点)として扱うか、流体システムとして扱ってしまうことが多い。
しかし粒々がある大きさをもつことや、すべすべしているとかザラザラしていることが原因で面白いパターンをつくり出すことがある。例えば、二種類の異なる粉をシリンダー状の筒に入れてグルグルと回転させるとしよう。すると二種類の粉は徐々に分離してくる。はじめは鉛筆の芯のように回転軸に近いところと、その周りの部分に分離する。ところがさらに回転すると、床屋の看板のように二種類の粉が分かれてグルグル回る縞状のパターンができ上がる。最初のパターンのできる理由ならば単に比重の違いから説明がつくが、後者のパターンは粉の他の性質に関係していそうである。
ミクロの粒子の形状に対してマクロに縞ができる、という程度であればちょっと複雑な物理の問題ということだけではないか、と思うかもしれない。そこで、もうちょっと複雑なミクロな粒子を考えてみよう。その筆頭がDNA分子。生命の遺伝をつかさどるDNA分子は、特定の相手としか「手」を結ばない塩基どうしの連なりである(アデニンはチトシンと、グアニンはチミンと)。これを使って生物は複製という機能を実現しているが、最近この塩基を自由に張り合わせてパターンをつくる技術が開発され、ナノスケールのジグソーパズルをつくったりできる。こうした技術はDNAを使ったコンピュータの基礎技術として開発が進んでいる。ミクロな形状を使ったマクロな計算/情報の出現である。
生命現象に分子の形が重要な要素として働いていることは、本当に注目に値する。例えば身体を守る免疫機構はその典型例である。免疫系における最初の認識プロセスは、Y字型のミクロな抗体分子が抗原の表面の分子の形とうまく合致するかどうかである。その結果として出現するマクロな意味での敵か味方か(自己か非自己か)の判断は、抗体と抗体の形の複雑なネットワークで決まっているという理論がある。これをN. K. Jerneのネットワーク仮説という。Jerneはこの抗体どうしの形の相互作用を「言語の文法規則」になぞらえて議論している。文法には名詞や動詞があり、文法的に間違った文と正しい文があるが、それを免疫の形の反応に持ち込もうという試みである。
ミクロの世界に入ると化学反応は形の相互作用である。それがマクロには反応スピードや濃度による反応に化けてしまう。例外的には、炭化水素系の分子の沸点が、その個々の分子の形の指数で決定されるという研究が報告なされている。化学的性質の多様性が形の多様性に反映するという点で興味深い。しかしこうした研究は例外的で、物理化学の世界には、分子の形は明示的には出現しない。

2 コンピュータの中の形

形を無視する状況が変化してきたのは、コンピュータが進化したおかげかもしれない。例えば化学反応を扱う場合に、連続な濃度のマクロな反応方程式が先にあり、それをコンピュータでは「連続を離散的に扱うという意味で近似的に」表現して、計算していた。しかしもともとの方程式も現実の現象の近似であるのだから、近似に近似を重ねたことになる。一方コンピュータによるモデルは、最初からコンピュータの中にあるので近似という概念そのものがない。
連続に変化する形はコンピュータ由来ではない。コンピュータにある形とは、ビット空間を明滅しながら移動するパターンである。ライフゲームというビット空間のパターンの力学を示すシミュレーションがある。このライフゲームにおける形は、コンピュータの中にある形の自然なメタファーであろう。例えばグライダーを生成する巨大な船のようなパターン、自己エミュレート可能なパターン、自己複製するパターンが出現する。出現するパターン同士の相互作用は、この形の組み合わせ方にきわめて鋭敏であり、そのビット単位の精密な設計が巨大な構築物を可能とする。
この形の相互作用を制御するためには、「形の文法」に関する理論が必要である。形に頓着しない物理学の手法をライフゲームに持ちこんでも、面白いものはでき上がらない。かといって形にこだわるだけの理論は、博物学になってしまう。膨大な形の図鑑か巨大なカタログをつくることになる。ライフゲームの研究はまさにそちらの道を歩んでいる。博物学は形の学問であるが、そこに普遍的な構造を見つけるのは困難である。スティーヴン・ジェイ・グールドに『ワンダフル・ライフ』(ハヤカワ文庫、二〇〇〇)という本があるが、これはカナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるバージェス頁岩から大量に見つかった化石発掘に関する話である。その化石の多様で奇妙な形こそ、カンブリアン大爆発(カンブリア紀に突然多細胞生物が爆発的に増えたこと)の証拠である動物群であった。
もしライフゲームでも進化がシミュレートできるのであれば、ライフゲームのカンブリアン爆発なんていうものが期待できるかもしれない。ある形から次々と形をつくり出し、あるときに爆発する。数論の世界に潜む多種多様な不思議な数の集合、あるいは抽象的な数学ゲームの世界にも通じる数秘的な世界がそこには見え隠れする。形の世界も、やはり数学のように普遍性よりも特殊性と相性がよいように思う。
またコンピュータのビット空間の形を、音色へと変換して経験することができる。この連載の一回目の《FILMACHINE》はそのような、形の音への翻訳であった(参照していただければ幸いである)。

1──ライフゲーム 筆者作成

1──ライフゲーム
筆者作成

2──三葉虫の化石 筆者撮影

2──三葉虫の化石
筆者撮影

3 形の実験

博物学は悪くはないが、それとは別な方向が複雑系の考える構成論的な、SYNTHETICな科学である。つまり形を使って、いままでにない機械や構造をつくっていこうとする分野である。最近、スイスのチューリッヒ大学のRolf Pfeiferたちが行なった、水面に浮かべた「プラスチック片」の実験が面白い。この研究室のPh.Dの学生の宮下修平君は、たくさんの四角い小さなプラスチック片の裏側に携帯のバイブレーターをつけて水に浮かべる実験を行なっている。そのプラスチック片はほっておくと、がちゃがちゃと水面上で集まってくる。やがてそれがひとつの大きな形をつくって回り始める。中心で制御するエンジンを用意するのではなくて、形をつくって自己集積してつくり出す「エンジン」は、形の妙である。この実験をやっている宮下君と話して興味深かったのは、最初は大きな回転をつくる形にならなかったが、プラスチック片の四角を切り取ることでうまく集まれるようになったという話だ。四角を切り取るという発想は、形に注目してはじめて出てくる問題で、コンピュータの中の形の実験にはまずない。こうした生成へのアプローチは、今後もっと進んでほしい。
最近開発が盛んな物理シミュレータを使って、コンピュータの中に自然現象の物理を持ち込むこともさかんである。これは先にもいったように近似をするし、コンピュータに方程式を解かせる形で自然現象を持ち込むのは無理が多い。しかし、大きなメリットがあって、不思議な形を扱えることである。
これに関してはカール・シムズの先駆的な仕事を挙げないわけにはいかない。カール・シムズは、人工生命の分野で早い時期に身体性をもった生命体の重要性を明らかにした研究者で、メディア・アートの世界でも彼のソフトウェアを使っている作品をしばしば目にする。いろいろな形をした板片をつなぎ合わせてつくった個体が、内部に仕込まれたランダムな論理サーキット(遺伝的アルゴリズムが適用されている)でコントロールされてバタバタと動きまわる。形によって動きが制約を受けて様々な運動のスタイルが生まれる。例えば海の中のヒラメやマグロや小魚やそれぞれに対応した動きが、遺伝的なアルゴリズムを使って出現する。運動と形の関係は明白で、運動の多様性が形の多様性とともに現われることが面白い。しかしこれもまた博物学ではある。もっともここでコンピュータと計算されるものの倒立が起きている。コンピュータが計算するのではなくて、形の集合がつくり出すコンピュータ。前回扱ったNatural Computation〈自然計算〉とはそもそもそういうことであったのだ。分子や形には「ふさわしい」計算があり、いままでのコンピュータと同じ計算をさせても意味がない。形がつくり出す新しい計算のパラダイム。それを生命の知覚にひきよせて、アフォーダンスの普遍性を論じた。が、その議論は前回のものを参照していただきたい。

3──拡張可能な 自己凝集ロボット・プロジェクト 筆者撮影

3──拡張可能な
自己凝集ロボット・プロジェクト
筆者撮影

4──Evolved  Virtual Creatures,1994 URL=http://www.genarts.com/karl/evolved-virtual-creatures.html

4──Evolved  Virtual Creatures,1994
URL=http://www.genarts.com/karl/evolved-virtual-creatures.html

4 言語獲得としての建築

そもそも建築とは形の意匠である。空間をフォーマットしデザインするが、問題はそのプリンシプルである。この連載を通じて明らかだと思うが、私がやっている複雑系の科学は、構成論的なSYNTHETICな科学である。ミクロに組み合わせる形がマクロな建築という形に結実する。ミクロに与えるものは、ものの手触り、色、匂い、柔らかさ/堅さ、音、そうしたものの集積の上に立ち上がる建築というマクロな形。多くの場合、マクロな形をつくってそのうえで色を塗ったり、音をつけてみたり、芳香剤を置いてみたりする。しかしそれはマクロからミクロへと向かう建築である。ここでは、ミクロからマクロへと向かう建築を考えたい。例えば前回紹介した荒川修作の建築は、その場所に人がたった時の五感の揺らぎから全体への構造が立ち上がっているように思える。そうした全体の構築は、建築の内部の人へと循環し、ミクロの知覚を書き換える。
四月にウィリアム・フォーサイスの《additive inverse》というパフォーマンス型インスタレーションを東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTに見に行った。この美術館は並行な壁のないような建物で、そのなかの一部屋に二〇人くらいずつ通される。すると部屋の中心にはドライアイスが吹き出す円形の括りがあり、中には頭上から二つのプロジェクターが二つの光の輪を映し出している。微妙に形が変化しているそれを眺めていると、壁際で一人の男が唐突にダンスを始める。その身体の動きはきわめて幾何学的である。鉛直方向に垂れ下がる糸を巻き付けながら、壁際に書かれたこの美術館のデッサンにつかず離れずダンスが進んでいく。巻き付けた糸を切る。また巻き付け、身体が動き始める。
これは言語であり、ミニマルな建築の様式なんだな、とそのときに思ったのを覚えている。身体は自由すぎて何か外側に規則とか文法とか、そういう固いものにグラウンドすることで初めて志向性が形をとる。しかし初めに志向性なかりせば、そういう規則そのものもありえない。それはひとつのコインの両面である。形とは、そうしたミクロな束縛であると同時に、形によって囲われた空間を解放していく構造をつくることである。
子供が言語を習得するときには、文法を最初に習いはしない。日々いろいろな文章を聴いていくなかで、言葉がしゃべれるようになるのであり、文法はあくまで結果である。しかしその文法を知ることで、鏡を見るように人は言葉の使い方を変える。建築もこの言語獲得のような、ミクロとマクロの循環性の中でとらえられる必要がある。子供は生まれたときには共感覚的だと言われている。耳で光を見、目で音を聴く。子供にとって、空間は時間であり、上下は左右である。そこにヒントがあるように思う。そうしたデザインを半ばに放り出すような、形のオートノミーに任せた建築というのが、今私がたっている地点からのメッセージである。

>池上高志(イケガミ・タカシ)

1961年生
東京大学大学院総合文化研究科&情報学環教授。

>『10+1』 No.47

特集=東京をどのように記述するか?

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>アフォーダンス

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>荒川修作(アラカワ シュウサク)

1936年 -
美術家、建築家。