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潜在性/アーカイヴ | 土屋誠一
Potential and Archive | Tsuchiya Seiichi
掲載『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) pp.35-36

先に考察した問題を補足しつつ、論を展開してみたい。前回、アブグレイブ刑務所での拷問事件を例に挙げ、デジタル・イメージが発動させる、無際限な欲望の噴出について述べた。今日いかなる場合であれ、デジタル・イメージを生成する行為は、その結果を公共圏へ露わにすることとまったく同義である。さらにこのことは、次のように言い換えるべきかもしれない。すべてを露わにするインターネットというネットワークの形式が、そこで公開されるべきイメージを欲望するのである、と。この点をまず原則として考えるべきである。ネットワーク上に公にされることを──たとえ無意識にであっても──前提として、アブグレイブの拷問が行なわれたように、行為と結果の因果関係は完全に逆転し、イメージの過剰露出という与件が、いかなる倫理的範疇を超えたものであれ、欲望された行為を導き出すのである。
具体的な例を挙げてみよう。数年前に行なわれた、各種メディアにおける世界中の情報量を計量し、比較するという調査★一によると、ウェブにおけるコンテンツに関しては、「表層」と「深層」のウェブという二つのグループに弁別することができるという。ここで呼ばれている「表層」とは、ウェブサーバにアップロードされた情報を指し、一方の「深層」とはwwwに接続された各種データベースやイントラネットを含む、wwwとは独立したカテゴライズが可能な情報を指す。この統計が興味深いのは、「表層」のウェブと「深層」のウェブとを比較すると、後者の情報量は前者に比べて数十倍の量にあたるという点である。つまり、このことが示しているのは、表面上に表われている情報量よりも、潜在的な情報量のほうが圧倒的に勝っているという、日常的にはほとんど意識しないが、極めて当然である事実だ。
しかしここでは、単に情報量の差を認識することや、この統計がいかなる統計学上の手続きを経て導き出されたのかということではなく、この「表層」と「深層」という弁別と、先の「過剰露出」されるイメージの存在様式に関連して、そこにいかなる問題が潜んでいるかということに、注意を向けておきたい。ここでの「深層」とは、この調査が定義した先の限定的な範囲に収められるべきではなく、すべてのデジタル・データは、ネットワークに接続されていようがいまいが、「深層」の潜在性において、常に「表層」に現われる可能性を与件としていると理解すべきである。つまり、この弁別を、われわれの精神を構成する形式として、すなわち精神分析的に構造を把握しなければ、このグローバルなネットワークを理解したことにならないであろう。アブグレイブのアメリカ兵に話を戻せば、次のように言える。デジタル・カメラで撮影された虐待の現場の記念写真は、当初は人生における想い出として、自身が利用するコンピュータのハードディスク上に、私的な郷愁を満たすため、記録しておくことを目的としていただけかもしれない。しかし、「深層」にある無意識は、常に「表層」へとその姿を現わすことを欲求する。私的な記念写真がグローバルなネットワーク上にアップロードされ、連鎖的に同様のイメージが蔓延したことは、デジタル・イメージそのものの無意識の欲動が為し得た帰結である。そしてまた、一時の流行が過ぎ去り、インターネット上からその姿を消したとしても、どこかのローカルな端末のハードディスク上に保存され、次なる出現の機会を窺っているのだ。

前回指摘したように、デジタル・イメージのイメージとその指示対象との距離は、隔たりをまったく欠くものである。過剰露出への欲望と無距離化は、世界からその都度のトピックを抽出するという今までの記述様式とは異なり、すべての事象をくまなく記述するという、一見メガロマニアックな事態を引き起こすことに帰結するように思われる。そしてそれは、超越的な一者によってなされるのではなく、離散的なネットワークの中に諸々のデータが遍在することによって現実化し、その結果、全世界を記述することになりうるかもしれない。物理的な支持体に定着されていたイメージは、現在では非物質的なデジタル・データとして存在の様態を変え、ネットワーク上に遍在しつつ、亡霊のように再帰する★二。またそれは、物理的な実体を持たないため、保存される特定の場所も必要としない。デジタル・イメージと従来の物理的な支持体に依拠したイメージとのこの相異は、「場所」の問題を考えることによって、より明確になるであろう。
世界の数多の事象を記録=記憶するための複製技術は、その複製性にもかかわらず、それらがいまだ物理的な支持体を要請せざるを得ないがために、却って対象との隔たりを強化した。この隔たりが、写真のような複製メディアの特殊性を保証してきたはずである。そのため、写真は常にある特異点を記述することに、そのメディアの役割を割いてきたように思われる。生起する特異点が記されたイメージは、かつてそこにあったかけがえのない世界の断片として、恒久的にストックされるはずだ。それは例えば、身近なところでは家族の歴史を記すアルバムの中に、あるいはそれが美術作品として見なされるならば、貴重な「作品」として美術館に、各々収蔵されるだろう。その集合は、イメージのアーカイヴとして全体を形成し、時代精神を象徴する資料体として価値付けられる。そして、物としての資料体は、必ず特定の場所において集積される。それでは、アーカイヴという枠組において、デジタル・イメージはいかなる場所を要請する、あるいはしないのであろうか?
再び、具体例から考えてみたい。イメージのデータ・バンクとしては、商用ではあるが、ゲッティ・イメージズ★三やコービス★四のようなデジタル・イメージの販売業者が、膨大なイメージのストックを、オンラインで切り売りしている。一方で、インターネット上にあるすべてのウェブ・ページを記録する「インターネット・アーカイヴ」★五のようなプロジェクトが、実際に稼働している。しかし、これらの試みは充分に興味深い一方で、インターネットの、あるいはデジタル・データの本来的な性質を考慮に入れる限りにおいては、いささか本末転倒ではなかろうか。本質的に非場所的なネットワークであるインターネットにおいて、これらのような中央集権的なアーカイヴィングは、博物館や図書館のような、ローカリティに立脚したアーカイヴの形式を反復しているように思えてならない。このことは、「インターネット・アーカイヴ」の運営理念の背景に、「9・11」におけるデジタル・データの損失のような、経済的打撃を伴う突発的事故を未然に防ぐという意味が込められているように★六、主としてローカルなサーバのような、特定の場所をアーカイヴィングの拠点として想定していることが、これらのアーカイヴ様式の反動性を証明しているように思われる。また、中央集権的なアーカイヴィングにおいては、情報を集中すべき中心点を想定せざるを得ないということから連想するならば、無限に延長しつつ、垂直に屹立するバベルの塔のようなファロサントリックな形象を思い浮かべるかもしれない★七。デジタル・イメージもまた、記録=記憶の一形式として捉えるべきであるならば、そのアーカイヴィングの形式もまた、従来の中央集権型ではなく離散型の形式として考える必要がある。この問題に関しては、次回、新旧のアーカイヴの具体的な例を検討しつつ、考察を試みようと思う。

Internet Archiveのトップページ 出典=http://www.archive.org/

Internet Archiveのトップページ
出典=http://www.archive.org/


★一──この調査は、カリフォルニア大学バークレー校の情報管理・システム学部において行なわれたものである。この調査報告書は、以下のウェブサイトで邦訳されたものを閲覧できる。
URL=http://www.media.k.u-tokyo.ac.jp/ho
w-much-info/index.html
また、本論の全般的な枠組を構築するにあたって、以下の書物を基本的な参照資料とした。武邑光裕『記憶のゆくたて デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会、二〇〇三)。
★二──この点に関しては、言うまでもなく、フロイトによる「不気味なもの」の概念を念頭においている。フロイト「不気味なもの」(『砂男 不気味なもの』[種村季弘訳、河出文庫、一九九五]所収)。
★三──URL=http://creative.gettyimages.com/
★四──URL=http://corbis.com/
★五──URL=http://www.archive.org/
★六──武邑、前掲書
★七──この点を、今日の権力論において必ずといってよいほど参照される、規律型権力からコントロール型権力への変化という、ドゥルーズによる提言を重ねて考えると、より論点が明確になるかもしれない。ジル・ドゥルーズ「管理と生成変化」(『記号と事件 1972-1990年の対話』[宮林寛訳、河出書房新社、一九九二]、所収)。

>土屋誠一(ツチヤ・セイイチ)

1975年生
美術批評家。沖縄県立美術大学講師。http://stsuchiya.exblog.jp/。

>『10+1』 No.37

特集=先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法