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コミュニティ今昔物語 | 南明日香
Community Tales of Times Now Past | Minami Asuka
掲載『10+1』 No.34 (街路) pp.31-33

一月の末に話題のホテル《CLASKA》を取材した。フランスの建築雑誌の特集記事のためであったが、実際に担当者の説明を聞くうちにここが居住空間として面白いケーススタディになっていることがわかった。基本のコンセプトは、ここで「どう暮らすか」。これがそのままホテルの名称に繋がる。本来ごく短期間を過すホテルに向けて「暮らし」の概念を持ち出すのは、ここが築三四年のビジネスホテルの改装によってできたことと無関係ではない。リノベーションを請け負った会社が、コーポラティヴ・ハウスの企画・運営を専門のひとつにしていた。その経験が生かされて、《CLASKA》はほかに例をみない住居のビルディングタイプになったのだ。
八階建ての建物のうち一階は犬の美容院、ラウンジ部分にはDJパーティを開くこともできるカフェと洋書店がある。壁には空間を台無しにするポスターなど貼られておらず、色調を押さえた特注の家具類とあいまって無名性を保ち、結果としてこの空間に集う人を多様にしている。近所のご婦人の昼下がりのお茶会から、デザイナーの打合せの場にまで利用可能なのである。二階以上にはギャラリーとロフト風のワークスペースがあり、後者は三つのモード系のアトリエが共有している。六─八階には長期滞在型の二七部屋がある。この部分はいわゆる家具つきではない。床材から家具、日用品に至るまで選択は借り手にゆだねられている。それでホテル部分はというと四、五階の九部屋のみになる。そのうちの一二三平米の一室のしつらえ方が、問いかけられた「暮らし方」のひとつの解になっている。つまり特注の六脚の椅子を備えた食卓タイプの机と低い座卓タイプの大机(二メートル×二メートル)とが、この部屋を集いの場所と暗示している。気軽に仕事の打合せも、洒落たホームパーティもできる空間なのだ。
一言で言えば、利用者がそれぞれの業種のノウハウを生かしつつ、ほかの利用者と共同で新しい生活のスタイル、企画、遊びを作り出すことが暗に求められているのだ。《CLASKA》のシンプルで、それ自体は自己主張をしないがよく考えられた雰囲気のよいインテリアには、くつろぎの場としてという以上に文化的・経済的な発想を促す器としての期待がこめられている。無論ロビーのカフェで観客として刺激を受けるのもよい。ただ見るほうも見られるほうも、このインテリアを舞台とするにふさわしい人物であったほうがよい。コンセプトのひとつに「コミュニティ」があるが、遊びにおいても仕事においてもセンスよく楽しめるような共同体が求められているのは、明らかである。
 《CLASKA》の例は、単身生活者の多い都会(東京で約四一パーセント、大阪と京都では約三〇パーセント)での、新しい居住パターンの需要とも不可分ではないだろう。核家族のためのnLDKタイプも、黒沢隆の「個室群住居」の考え方も見直されて久しい。伊東豊雄の《東京遊牧少女の包》は、イメージとしては魅力的だが、消費依存型であり、今日ではユートピックに過ぎるといえよう。なによりも従来の集合住宅は、外装も内装も、センスの点で問題が多かったのである。
コミュニティという発想それ自体は新しいものではない。生活改良運動に沸いた一九二〇年前後には、芸術家や文化人を中心にシンプルで創造的な生活を求めて住民の積極的運営を前提とした住宅地の開発が試みられていたのだ。一九〇七年に内務省の有志が、ハワードの田園都市に想を得て地域の開発を検討したのに比して、この時期はより具体的な暮らしの近代化を目指している。これらは職住分離の核家族世帯のための間取り、台所の近代化と床坐、寝食分離の生活を基本に、従来のしきたりにとらわれない合理的な生活を目指したもので、「都市研究会」(一九一五)や「住宅改善調査会」(一九二〇)等の中核にあった佐野利器のケーススタディである駒込の住宅地「大和郷」(一九二二)や、民間でも桜新地(一九一三)や渡辺町(一九一六)等の小規模の郊外田園都市が生まれつつあった。これと並行してより創造性の高い生活を送るためのコミュニティ(コロニー)も提案された。たとえば作家の武者小路実篤が開いた日向の「新しき村」(一九一八年末より居住開始)や、建築家の西村伊作が構想した小田原の芸術家村(一九一九年夏より計画)がある。西村はその著書で自分の理想とするコミュニティを次のように語っている。

各自、生活の改善を望む人達が集つて、或は集めて、小さくとも、美しい村を建てたいと思ひます。
「理想村」(『楽しき住家』警醒社 、一九一九)


農民風に、我々の新らしい文化生活を営まうとするのが私の望みなのです。
「農民風の文化生活」
(『装飾の遠慮』文化生活研究会、 一九二二)


西村の考え方は、大正期初めから日本の文化人の間で広まったウィリアム・モリスやラスキンの生活を芸術に高めるためのコミュニティ案の流れを汲んでいる。美しさ、簡素、快適、文化がキーワードになる。ほかにもトルストイが考案した自給自足の共同体事業の影響を受けたものがある。武者小路による運動はトルストイのタイプで、「自己を生かす」ことを主義としていた彼の理想の生活は「一言で云へば皆が協力して共産的に生活し、そして各自の天職をまつとうしやうと云ふのだ。皆がつまり兄弟のやうになつてお互いに助けあつて、自己を完成するやうにつとめやうと云ふのだ」(「新しき村の小問答」 [『新しき村』一九一八年七月])といったものであった。これは核家族を単位とせず、個人の個性を発揮するという点で現代的である。共同作業のほかに教養を高めるための余暇の時間も重視されている。
このようなコミュニティはけっして快適さのみを目指しているわけではなく、文化レヴェルでの貢献も期待されている一方で、理念的な面も強いために一般には理解されにくく、したがってビジネス・モデルにはなりにくい。事実西村は計画を変更して、美術教育も盛んな文化学院で実現を果たした。思想の実践を積極的に打ち出した「新しき村」のほうは、賛同者を得て今日まで活動を続けている。とはいえ美しい町づくり、ことに創造的な生活にふさわしい町並みを考えるに際してはあまり役立たないと思われる。現存する西村のシンプルでこなれた洋風の住宅のデザインを見ると、つくづくと小田原での計画の中止が悔やまれる。
ドイツの芸術家コロニー、ヴォルプスヴェーデに憧れた立原道造の卒業制作「浅間山麓に位する芸術家コロニーの建築群」(一九三七年三月、東京大学建築学科提出)は、発想としては西村のものと同工異曲である。が、思想の実現や町づくりよりも個人の創造的な活動を可能にする暮らしを基本構想に据えている点で、むしろ《CLASKA》に近いところがある。全体のプランは商店街を駅前広場と中心部に設け、「住宅群を三つの区域に分ち、美術館の近くには美術家を、図書館の近くには文学家を、音楽堂の近くには音楽家を、大体割りあてる」というもので、小住宅は基本部分の「居間・寝室・便所・洗面所・小厨房」と可変部分の仕事場という構成になっている。ただし各コテージの内部は「住むものの気分的個性に従つて」デザインが決定する。そしてそれが乱雑なものにならないように、「優れた趣味と気分感情とよき個性とを持つ」ことが前提となっている。そして居住者間には「共感と友情」とが育つことが期待されている。とはいえここに環境の美しさ、センスのよい空間の創造といった目標やそれに必然的にともなう住民の選別を要件としたとき、採算性とも合わせて実現には困難がともなうだろう。
このほかにも大正期には、積極的に芸術家コロニーを目指したわけではなくとも、西洋文化がもたらす刺激の受け皿にもなる場でもあったホテルが、新たに都会の文化的活動をする単身者の住まいになったことがある。本郷の菊富士ホテルでは、ロシアの亡命貴族にして日本学者のセルゲイ・エリセイエフ、谷崎潤一郎、坂口安吾、竹久夢二らが長期滞在した。だがここでは美的なセンスは求められない。昔ながらの梁山泊である。
佐藤春夫の小説「美しき町──画家E氏が私に語つた話」(『改造』一九一九年八、九、一二月号)が、センスのよいコミュニティでの創造的な暮らしをデザインしているのは見過ごせない。佐藤春夫は数少ない「新しき村」の賛同者であった。また西村伊作とは同郷の友人で、彼の住宅建築好きは西村に負うところが大きい。佐藤は自邸を西村の末弟大石七分と共同設計している(一九二七年竣工。現・新宮市立佐藤春夫記念館)。「美しき町」は、現在の東京都中央区の箱崎インターチェンジ付近にあたる中洲の西半分に町をつくろうとする物語である。土地利用の規制、郊外住宅地の開発を盛り込んだ「都市計画法」、建築線・建物の高さ・面積制限などを定めている「市街地建築物法」を踏まえているようで、土地区画、すなわち溝渠と石垣ないし胸壁とで仕切られ環状道路を内側に巡らす中洲での、商業地と厳密に分けられた住宅地の計画案になっている。そしてそれぞれの住まいについては、ディヴェロッパーである登場人物に次のように語らせている。

大きさから言つて一軒に就いて多分二三十坪ぐらゐの二階家でいい。さうして私はそれを百欲しいのである。それらの家は一切の無用を去つて、然も善美を尽してゐなければいけない。眞のいい装飾といふものは、恒にそれが一面では抜き差しのならない、必要を兼ねた部分でなければならない。
              「美しき町──画家E氏が私に語つた話」


この町の計画では外観の美しさがとても重要視されている。都会の川に浮かぶ美しい町は、まずもって外部から見られ憧れられるべきモデル・タウンとして構想されている。夜には灯が川面に反射して、作中の言葉でいうとメルヒェンのような雰囲気をかもし出し、子供たちがそれを見て美しさに感動し作り手に驚嘆をするようないわば教育的効果も(作者は明言していないが)想定されている。この美しい町の演出をする住民は、芸術家であることは求められていないけれど、条件は細かく定められている。美的センスに関していえば、ディヴェロッパーの愛読書であるウィリアム・モリスの『ユートピアだより』(News from Nowhere, 1890、邦訳一九二〇)に描かれた、簡素であることがそのまま美になるようなものづくりをベースにする暮らし方を、理解できる人たちである。
佐藤の物語では町づくりは計画倒れに終わる。だが興味深いのは実現よりもむしろそのプロセスにある。この計画に参加した若いディヴェロッパー、その友人でデザイン担当の画家、構造と実務担当の建築家の三人の仕事ぶりがそのまま「美しき町」という 場 での生活を先取りしてみせている。彼らは築地の外国人用のホテル(ヤン・レツル設計の精養軒ホテルが想定されている)のスイートをアトリエにして、夜遅く働く。三人がランプに照らされて静かに動く姿は、映画のワンシーンにも見えると書かれている。創造的でセンスのよい生活計画にふさわしい、視覚的にも美しく精神的にも満たされた仕事ぶりなのだ。
 《CLASKA》の場合偶然ではあるが、実際にリノベーションを担当したのがディヴェロッパーとなる会社の若手社員に建築家と家具デザイン・プロデューサーという取り合わせで、小説での「美しき町」計画の構成員と似ていなくもない。構成員のひとりがそのままレジデンス部分の一室をオフィスとして利用し、また関係者や有名ファッション・デザイナーが借り受けることで、自ずと居住者、利用者の選別はなされているようである。また今後も部分的改修やイヴェント計画に合わせた変更などによって竣工、劣化、補修という従来の建築の公式とは異なる、クリエイティヴな管理の可能性がある。
単身生活の居住スペースを商品であふれかえらせる消費中心の生活から、限られた数のよいデザインのものできれいな空間を作り出し、そしてその中で仕事においても遊びにおいても何かしらポジティヴなものを着想する。お気に入りの品物に囲まれることでアイデンティティを見出すのではなく、複数の人が気に入るようなものを作ること。思えば無印良品をプロデュースした田中一光の目指した生活も、このようであったかもしれない。この発想は一歩進んで町並みという景観レヴェルで実現されないものか。これを検討するためには、実在する「美しき町」、ことに都市の住宅区を語る語彙と文法とが必要になってくる。これが次回のテーマになる。

>南明日香(ミナミ・アスカ)

1961年生
比較文学・比較文化。相模原女子大学教授。

>『10+1』 No.34

特集=街路

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。