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帝国と都市──方法の問題 | 田中純
Empire and Cities: Problems of the Method | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) pp.2-11

1 都市の雛型

アントニオ・ネグリマイケル・ハートは、二〇世紀末に現われたグローバルな主権形態を〈帝国〉と定義している(『〈帝国〉』)。〈帝国〉は空間的にも時間的にも境界を欠いており、領土上の特定の地域に限定されない、歴史の外部ないし終わりに位置するような体制にほかならない。
このように脱中心的で脱領土的な支配装置こそが〈帝国〉と呼ばれるがゆえに、ネグリ/ハートは、序においてすでに、アメリカ合衆国を〈帝国〉と同一視することを戒めている。しかし、同時に彼らは〈帝国〉のなかで合衆国が特権的な位置を占めていることを認め、帝国主義から〈帝国〉への移行という系譜を分析するにあたって、まずヨーロッパ、次いで欧米を検討の対象にする。〈帝国〉の系譜学がこのようにヨーロッパ中心主義的なのは、それが事実として支配的な地理上の経路だったからだという★一。
トマス・ジェファソンをはじめとする合衆国の建国者たちは、自分たちが絶えず拡大し続ける開かれたフロンティアをもち、ネットワークによって権力が効果的に配分される新しい〈帝国〉を創造しつつあると信じていた、とネグリ/ハートは述べる。そして、この〈帝国〉という観念は、かつてのヨーロッパにおける帝国主義に由来するものではなく、古代の帝国のモデルから着想を得ていたと言う。さらに、帝国のモデルが、一方にはローマ帝国、他方には中国、アラブ、メソアメリカその他の帝国と大きく二つに分けられるとすれば、〈帝国〉の分析が基本的にローマの側に関わっていることも著者たちは認めている★二。
とするならば、著者たちが『〈帝国〉』という書物のなかでは〈帝国〉が比喩としてではなく、あくまで理論的な概念として用いられているといくら弁明するにせよ、ローマ帝国における「帝国」理念との異同が問題にならざるをえないだろう。マッシモ・カッチャーリが『〈帝国〉』の議論に対する遠回しな批評として衝くのはこの点にほかならない★三。
グローバル化を「帝国」のローマ的表象と結びつける隠喩の襞をカッチャーリは丹念に展開しているが、そのなかでもとくに強調されるのは、ローマという都市キヴイタスがその起源神話からして、出自や血あるいは宗教によるのではなく、政治的な掟のもとにおける多種多様な人々の統合の産物として生み出され、事実、絶えず変化し、拡大しながら、さまざまな異民族という他者を取り込んで成長し続ける存在だった点である。その過程では、征服された都市の守護神たちもまた、「招神(evocatio)」された客として、ローマのこの絶え間ない刷新に参加してゆくことになった。ローマが「永遠の都」でありうるのは、それがこうした成長を強いられ、世界そのものとなること、つまり「帝国」化する運動状態にある限りにおいてなのである。
ローマは動く。それは拡大するだけではなく、他の場所に移植=翻訳(translatio)される。ところが、この移植=翻訳によって、帝国の一体性は避けがたく危機にさらされることになる。コンスタンティノープルが「第二のローマ」として建設されたことは、やがて教会分裂シスマに帰結する。そして、十世紀末にキエフ大公国で東方正教会が国教とされたことによって、「ローマ」の表象もまたあらたな空間に移植=翻訳されてゆく。やがてコンスタンティノープルの陥落とビザンティン帝国の滅亡ののち、ロシアには「第三のローマ」という理念が生まれる。それはモスクワこそが「第三のローマ」であるという建国神話の誕生にほかならない。メシアニズム的・終末論的な歴史観のなかで、ロシアは第二のローマの単なる継承者ではなく、第一のローマという起源を反復的に再生する存在でなければならなかった。イワン三世はビザンティン帝国最後の皇帝コンスタンティノス一一世の姪を妃に迎えるとともに、あらたなカエサル(Caesar)、すなわちツァーリと称した。そして、そのほぼ百年後、イワン四世治下の恐怖政治において、ロシアに移植=翻訳されたローマは、徹底した専制政治の形態へと変質することになった。第三のローマは、起源を再演する最後のローマでなければならなかったわけだが、この最後のローマは、それが他の神々の存在を許容しない正教会というオーソドキシーと一体化した権力の場である点で、古代ローマ的な帝国理念からはすでに遠ざかってしまっている。しかし、このような帝国の硬直化そのものが、「ローマ」の可動性、つまり、移植=翻訳の可能性から生まれているのだ。
「帝国」の観念は、ここに挙げたものにとどまらない、重層化した歴史的意味の地層を孕んでいる。この言葉、この観念を用いることは、そこに隠れている過去の亡霊を呼び覚ますことを避けられない。その亡霊がたどることになる顛末は、イタリアの地を離れて空間的に、そしてはるかな時代を隔てて時間的にも彷徨った、「ローマ」という都市の名が示している通りだ。
ネグリ/ハートが、実際の論述においては、例えばアウグスティヌスを引いてマルチチュードという「新しい国(都市)の特異な力」について語るくだりのように★四、帝国理念のローマ的な由来に大きく依拠しながら、立論の口実としては、〈帝国〉をあくまで歴史的・地理的コンテクストを超越した(それらを越え出てゆく)理論的概念として位置づけるのに対して、カッチャーリは「帝国」に、歴史的であるとともにいわば地政学的な背景を与え返す。ハロルド・ブルームの言う「アメリカ的宗教」を代表とする世俗化された「市民宗教」という「異教」──しかし、それはローマがもっていた多神教的寛容を欠いている──をわれわれは生きている、というのがカッチャーリの現状認識であり、合衆国は実のところ帝国的な権力ではなく、ローマ的な「帝国」理念を革新することはできない、と彼は言う。それゆえにカッチャーリは、グローバル化が現在帯びている形態に、ローマの帝国理念を混交させ、グローバル化自体を変質させることのできる政治的主体は何かを自問することになる。
その答えはヨーロッパ、ただし、他なるものを受け入れて変容し、動き続けるヨーロッパ、つまり、ローマ的な「帝国」としてのヨーロッパだ。ソロヴィヨフに始まり、ベルジャーエフやブルガーコフへと流れる「ロシア的理念」をめぐる一九─二〇世紀の終末論的思想もまたそこでは、そんなヨーロッパにとって不可欠な、思想上の「ローマの遺産」と見なされている。ヨーロッパは、こうして西洋と東洋の境界地帯としてのロシアをその一部とするばかりではなく、トルコや地中海周辺地域全体にまで広がる、広大な「帝国」として、グローバル化の新しい形態を担う主体と名指されるのだが、そのためにヨーロッパはまず、ヨーロッパ自身の記憶を思い出さなければならない。すなわち、その歴史的な地層の底にまで達するという意味において、ヨーロッパは徹底的に没落しなければならない。
カッチャーリがネグリ/ハートの『〈帝国〉』に対置しているのは、政治的主体としてのヨーロッパが思い出さなければならないこうした「ヨーロッパ」という記憶、「ローマ」という遺産にほかならない。このような記憶の再活性化が〈帝国〉ないしグローバル化に対して本当に有効なものかどうかはここでは問わない。むしろ試みてみたいのは、「帝国」内部の多様性を異なる仕方で「思い出す」ことである。
カッチャーリは、つねに成長し運動状態にあることを強いられる近代都市(メトロポリス、メガロポリス)は、帝国への拡大を絶えず志向する「成長する都市」ローマに似ていると言う(ただし、その成長が一般には、都市それ自体からの内発的なものではなく、国家との葛藤のなかで強制されているために、こうしたローマ的性格は決して全面的に肯定されているわけではない)★五。ネグリ/ハートは、アウグスティヌスに倣って、〈帝国〉とマルチチュードを互いに折り合わされ混ざり合った二つの「都市シテイ」として描き出すのだが★六、南泰裕はこうした関係性に響き合うものを、中心性・連続性に依拠するメガロポリスとコンパクト性・離散性を潜在させた小都市との「ねじれた相補性」に認めている★七。
カッチャーリにとってこのような相補性は、近代的メガロポリスが複数化したローマにほかならない事態を示していることになろう。南は都市のそれぞれの多数性がいまだ見えてきていないことを理由として、マルチチュードのイメージを小都市に重ね合わせることについては慎重な姿勢をとっている。だが、それを複数のローマと呼ぶにせよ、帝国/マルチチュード、あるいはメガロポリス/小都市と呼ぶにせよ、こうした「都市の雛型」は、都市そのものの多数性、複数性をどこかで取り逃がしているように思われてならない。では、この多数性、複数性をどのようにして語ればよいのか。
ここで思い出したいのは「都市を語る」という営みをめぐる古典的なテクストであるとともに、ローマとは異なる「帝国」についての物語でもある、イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』だ。周知のように、この小説のなかでマルコ・ポーロはフビライ汗に、自分が派遣使として訪れた五五の都市について物語っている。「都市と記憶」「都市と欲望」などと題された物語は同じタイトルの下にいずれも五つずつあり、一一章のなかに精密な構造をなして配置されている。さらに、それぞれの章のはじめと終わりにはフビライとマルコの対話が置かれ、その章で語られる物語の枠をなしている★八。
この枠の部分で繰り返されるのは、マルコの語りに魅了される一方で、その物語に絶えず疑問を投げかける皇帝の問いである。そして、その背後に見え隠れするのが、自分の帝国をめぐるフビライの憂鬱と不安であり、この帝国を目に見える形で所有したいという彼の欲望にほかならない。しかし、フビライ汗にとって帝国の輪郭は、マルコが言葉やパントマイムで伝える奇妙な異形の都市の数々が織りなす「透かし模様細工フリグラーナ」を通してはじめて、朧気に浮かび上がるに過ぎないのだ。フビライは都市の秘密に魅せられている。「朕がその方の声を通じて耳傾けておるのは、都市が生存し続けて来た目に見えぬ理由、またそれゆえに恐らくは滅んでもなお再生するであろう理由なのだ」★九。
フビライはマルコに自分が考え出した都市の有様を語って聞かせ、そのような都市が存在するかどうか、旅をして確かめさせる。しかし、マルコの訪れた都市はいつも、皇帝の考えた都市とは違っていた。皇帝の考え出した都市は「そこから可能なかぎりのさまざまの都会を演繹できる都市の雛型」だった。フビライは言う。

それには基準に応じるいっさいのものが含まれているのだ。実在する都市が程度の差こそさまざまであれ、この基準から離れてゆくものである以上、朕にとってはその例外を予見し、そのもっとも蓋然性の高い組み合わせを計算するだけで十分なのだ★一〇。


これに応えてマルコは、自分が考えたものも同じく都市の雛型であり、そこから他のいっさいの都市を演繹しているのだと言う。ただし、それは「ただ例外、禁止事項、矛盾、撞着、非条理のみによってできあがった都市まち」だった。

それゆえ、私はこの雛型から例外的なものを取り去ってゆくだけで十分であり、どのような順序にしたがっておこなおうとも、やはり例外としてのみ存在する都市のいずれかに必ず到達することができるのでございます。しかし、一定の限界以上にこの操作を推し進めることはできません。なぜなら、その結果得るところは、真に実在する都市としてはあまりにもほんとうらし過ぎるものとなりましょうから★一一。


つまり、実在するのはいずれも「例外としてのみ存在する都市」ばかりなのである。例外的なものを過剰に取り去られた都市は「あまりにもほんとうらし過ぎる」がゆえに、実在しない。皇帝は理想的なモデルとしての雛型からの偏差によって実在の都市に近づこうとするが、マルコは都市の実在性、言い換えれば、都市の都市らしさが逆に、例外的な偏差にしか宿らないことを知っている。実在する都市は、あらゆる基準を満たすモデルによってではなく、「基準に先行する例外」というそれ自体矛盾した逆説の集積によってはじめて表わしうるのである。
皇帝の雛型とマルコの雛型の関係に対応する構図は、「都市と空  1」で語られるエウドッシアという都市をはじめとして、この物語の内部にも繰り返し登場している。エウドッシアそのものは曲がりくねった路地や袋小路、貧民街の拡がった都市なのだが、そこに保存された一枚の敷物のなかにこの都市の真の形状が眺められる。直線と円周からなる、シンメトリーで幾何学的な図柄のあらゆる点には必ず市中のひとつの場所が照応しており、その配置は現実の混乱したエウドッシアでは隠されている、この都市の真の全体像を与えているかのようだ。エウドッシアの住民はこの敷物の不動の秩序から自分の運命の転機を読むことさえできるという。
敷物と都市とのこの神秘的な関係について、これら二つのもののうちの一方は天空の星の秩序に神が与えた形を備えている、という神託が下された。陰陽師たちは敷物の調和ある図柄こそ宇宙の絵図面だと信じているのだが、マルコは、まったく反対の結論を引き出すことも可能だと言う。すなわち、真の宇宙図はあるがままのエウドッシアの都市にほかならず、「ジグザグばかりの道、土煙をあげてつぎつぎに崩れ落ちてゆく家々と火事、闇のなかにあがる悲鳴など、形もなく拡がってゆく巨大なしみ」★一二なのである、と。
あるいはまた、占星術師たちの計算に正確に従って建設された都市ペリンツィアでは、天空の調和を忠実に模したはずの都市から畸型ばかりが生み出され、神々の秩序とはこの怪物の都市に映し出されているものにほかならないと暗示されて物語が終わる(「都市と空  4」)。畸型的な例外の数々こそが宇宙を支配する秩序を映し出しているのである。そして、厳密な章構成をもつ『見えない都市』という小説それ自体が、ペリンツィアのように、その緻密な規則的構造によって魑魅魍魎めいた都市イメージを生み出す仕掛けであったに違いない。
フビライがやがて気づくように、マルコの語るすべての都市はいずれも似通っている。そして、マルコは皇帝に、どの都市の話を語るときにも何かしら、自分の故郷であるヴェネツィアのことを語っている、と告白している。例外、禁止事項、矛盾、撞着、非条理からなる都市がマルコの雛型であり、同時に彼がさまざまな都市のかたちを借りてつねに故郷のことばかりを語っていたのだとすれば、例外としてのみ存在する都市の極めつきとは、このヴェネツィアにほかなるまい。
他者への寛容や「ねじれた相補性」をたとえもったとしても、ローマはあくまで規範として作用する皇帝の雛型である。「天のシテイ」と「地のシテイ」が折り合わされた〈帝国〉/マルチチュードの二重都市にしても同じことだ。それは都市の実在性を逸してしまう。不可視な帝国の輪郭を透かし見るために必要なのは、基準からの逸脱としてしか実在をとらえられない理想的なモデルではなく、まったく逆に、例外や矛盾のみからなる雛型なのである。マルコにとっては、それがヴェネツィアという記憶にほかならない。グローバル化を錯乱させるのは、ローマ的な帝国理念であるよりもむしろ、この例外的な都市の畸型性ではないだろうか。カッチャーリがマルコ同様語らずにすませているのは、彼自身のこの故郷についてなのだ。
カルヴィーノは、ヨーロッパあるいは「ローマ」にとってまったく異質な、そして、最大の脅威だったモンゴル帝国の中枢で物語られた「半透明の虚構の厚み」★一三を通して、時代も場所ももはや特定できない、「都市」の原型的な面影を列挙してみせた。しかし、その原型はひとつに収斂してゆくどころか、まだ形も名もない都市の形態を網羅したフビライ汗の地図帖アトラスのように、あらゆる変化を試みつくそうと、計り知れない多様性へ向かってひたすら分岐してゆくばかりなのである。マルコはフビライを罠にかけたのかもしれない。気がつけば、帝国はすでにこれら夥しい見えない都市によって埋め尽くされている……。
〈帝国〉とマルチチュード、二つの都市ではいかにも足りない。ローマに似た複数の都市からなるヨーロッパでも不十分だ。グローバル化の帝国に侵入し、それを汚染して変質させうるのは恐らく、例外という雛型に基づく、畸型的な都市の増殖なのである。

1──古代ローマのカンプス・マルティウスにおけるイシス神殿(Iseum)とセラピス神殿(Serapeum) URL=http://www.skydance.pwp.blueyonder.co.uk/Iseum/ library/articles/iseum%20rome.htm

1──古代ローマのカンプス・マルティウスにおけるイシス神殿(Iseum)とセラピス神殿(Serapeum)
URL=http://www.skydance.pwp.blueyonder.co.uk/Iseum/ library/articles/iseum%20rome.htm

2──ピラネージ《ハドリアヌス帝のヴィラのセラピス神殿》、 『ローマ風景』より URL=http://sights.seindal.dk/photo/10080,s1250f.html

2──ピラネージ《ハドリアヌス帝のヴィラのセラピス神殿》、
『ローマ風景』より
URL=http://sights.seindal.dk/photo/10080,s1250f.html

2 日本という方法へ

先立つ世紀の前半においてひとつの「帝国」であった日本を、内田隆三の『国土論』は「天皇」という「場所」とそこに「資本」という力が加える変容を通じて描き出している。天皇が「場所」であるとは、それが対象化しうる主体ではなく(「主体」として探し求める限り、天皇はある種の空虚な形式にとどまる)、「人びとの存在を分節する言葉」として存在していることを謂う。内田は、天皇を主体の形式(主語)とし、二〇世紀を「天皇の世紀」として語る物語に距離を取り、あくまで「述語」である「場所」としての天皇を浮かび上がらせようとする。そのような「場所」は「国土」と呼ばれる抽象の水位と重なり合っていた。そこで測定されるのが、この国土に天皇という象徴が与えていた重心と曲率である★一四。
一方、「資本」は「人間とそれが運用する価値との関係の仕方」と定義される。価値増殖を求めて、この関係は調整され、変化させられ、あるいはあらたに創出される。資本は、商品/貨幣関係を通じ、さらにテクノロジーと結びついて働き、人間や記号や物を巻き込みながら、現実の布置を変えてゆく。資本の力は、ある程度まで商品/貨幣関係の外部にある習俗の秩序に依存するが、やがてそれを解体し始める。内田は、天皇という象徴のもとにある秩序やその「国土」という抽象が生成する場を、この依存/解体プロセスの均衡点に見いだしている。やがて、「天皇の国土」を成り立たせていた象徴の磁場もまた資本の力の増大に耐えきれなくなり、次第に相対化されてゆくことになる。資本の力とのこうした緊張関係に置かれているがゆえに、「国土」はつねに不安を孕まざるをえない。
ここで言う「国土」とは集団の夢であって、この幻覚を夢見る主体は社会そのものであるから、その社会に生きる人間が一人でそこから目覚めることはかなわない。個人がそこに向ける懐疑すらも、この幻覚がその実定性をより強固なものにするための土壌なのだ。権力が生ける空間で行使する力の関係と、内面を描くことで死を超えて持続する時間を紡ぎ出す物語の言葉は、次元の差異を内包しつつ交叉し、奥行きをもった「国土」という抽象的領域を形成してゆくと内田は言う。
だから、「国土」と名づけたところで、それが国境で画定された可視的な対象でないのはもちろんだ。大逆事件をめぐる永井荷風や佐藤春夫といった作家たちの反応を追跡することに始まる内田の分析は、権力と言葉が織りなす緊密な編み目を通して、「国土」として堆積してゆく「日本」という地層を探査してゆく。そこでは乃木希典の殉死と佐藤春夫の『殉情詩集』が対比され、春夫が国に殉ずる者ではなく、恋愛を通じて情に殉じることを歌っているにしても、「殉情」という形式にいたる限り、乃木の殉死に通じる地層へと身を滑り入らせていることになる、という指摘がなされている。死を孕んだこの形式によって、「不可視の国土」が遠望されてゆくのだ★一五。
見えない国土という社会的な〈場〉を唱歌や作家・思想家たちのテクストの丹念な読解から浮かび上がらせる内田の『国土論』は、分析の準拠点としての「国民国家」というイデオロギー的な枠組みを暗黙の前提として、そこへ予定調和的に議論を収束させてしまう歴史学的分析から、歴史の経験そのものを解放しようとする試みであると言ってよい。それはいわば「天皇」あるいは「国土」を「思い出す」営みなのだ。ここで内田の分析をたどっているのも、その方法論に注目するためである。
抽象化された次元で描き出される「国土」の大地が、とりわけ異様な曲率を帯びて湾曲しているように見えるのは、まさに「国土」そのものの核心をなす実体とされた「国体」をめぐる権力の動向においてである。なかでも、一九四五年八月にポツダム宣言受諾を決定した昭和天皇による「聖断」がそのグロテスクな論理を如実にあらわにしている。
この聖断は、戦争を続行すれば日本民族の滅亡が回避できないという認識を示す一方で、国体の護持のため、「三種の神器」の保持・伝承を他の何よりも重視している。天皇が講和を決意するのは、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢・熱田両神宮が直ちに制圧下に入り、神器の移動の余裕がないからであった。終戦の詔書が当初は「朕は常に……神器を奉じて爾臣民と共に在り」という文章であったのを、神器についての無益な詮索を招くとして、最終的には「朕は茲に国体を護持し得て……常に臣民と共に在り」という文言に変えられた経緯はよく知られている。国体を護持するとは、何よりもまず、神器を守ることにほかならなかった。
伊勢・熱田両神宮にある神器は皇祖神以来の皇統の連続性を表象し、皇位の正統な継承を証明するしるしである。近代の天皇制は後醍醐以来の天皇親政を擬態的に蘇らせようとする過程で、中世の王権をめぐる想像力──北畠親房の『神皇正統記』、慈遍の『豊葦原神風和記』、慈円の『慈鎮和尚夢想記』など──によって膨張させられ、コスモロジカルかつエロティックな意味をまとうことになった神器の呪力を吸収してゆく。
聖断の時点で明らかになったように、日本民族の生命と等しいほどの価値を与えられた神器は国体の象徴であり、「国土」がそこに凝縮されて物象化されたモノであった。近代天皇制があえてこのような呪術的形象を導入せざるをえなかった理由を、内田は「近代という本質的に不安な通時態のなかに、始元の無時間性あるいは永遠の共時態という幻影を補填する」ためであるとしているが★一六、それは「無時間性」と言うよりも、時代錯誤的な「古代」の現前がもたらす魅惑ととらえるべきだろう。近代はそれが「本質的に不安な通時態」であるがゆえに、近過去との連続性を次々と断ち切ってゆく。だからこそ、「古代」は「現在」と無媒介的に隣接してしまう。神器の呪力をめぐる中世以来の言説が近代天皇制における神器の神聖化に大きく寄与しているとしても、神器を異様なフェティッシュと化しているのは、近代の時間性そのものなのだ。
このようなフェティッシュの周りに築かれた神聖不可侵で超越的な権力のシステムに対して、原子爆弾がいかに破壊的に作用したかを内田は次のようにまとめている。

原子爆弾という力の効果は第一義的には物質性の水準にしかないはずである。しかしながら、国体を構成する祖先崇拝の系譜学やその系譜を担保する神器が、まさにそれらの人間性と物質性のゆえに、原子爆弾の威力に従属せざるをえず、そのことが原子爆弾というモノをメタ・フィジカルな何物かとして超越化してしまうのである。ここではそれ自身にまで溯る系譜学的構図のゆえに、アマテラスという根源の実体が屈伏を強いられている。原子爆弾が帯びることになる神秘的な超越性は、それが屈伏させた神話的な超越性を吸収するかたちで生成しており、やがて天皇が自らの神秘性を解除した「人間宣言」はこの吸収移転を裏書きすることになる。そしてこの超越性の転移の結果、日本の戦後社会は核兵器というモノを乗り越えがたい超越として、また至上の禁忌として眺めることに運命的な同一性を見いだすことになるだろう★一七。


ドラマティックな反転をとらえた、魅力的な仮説である。核兵器というモノとは、したがって、日本の戦後社会にとって、ひとつのフェティッシュなのである。戦後の「国土」はこのフェティッシュが入り込めない領域として境界設定されるのだ。
そこに戦後の日本社会は「運命的な同一性」を見いだすことになる、と内田は言う。運命とはこの著者にとって「ある共通の場の切実な仮想であると同時に、その場が如実に分解していくさまの赤裸々な実感」である★一八。そして、「国土」とは、さまざまな力が出会う場として形成されながら、同時にその基盤から崩壊し始めている大地にほかならない。
二〇世紀日本の「国土」の運命をたどる内田の分析は、天皇をめぐる国土の曲率、とくに大逆事件や戦争終結の「聖断」、三島由紀夫の自決、あるいは天皇を「言の葉の肉体」と見る中上健次の天皇観などといった、その特異点の数々を扱うにあたってはきわめて精緻でありながら、資本の力に対してはあまりに無抵抗に、それを一種の宿命として語るしかすべがないように見える。なるほどそれは、天皇という夢よりもはるかに強く日本の社会を呪縛し続けているのが、この資本をめぐる集団の夢であるからかもしれぬ。
しかし、近代的な資本とテクノロジーの力に対し、天皇を中心とした象徴的秩序に支えられることによってかろうじて存続してきた二〇世紀日本の習俗的な秩序が、ついにはもはや耐えきれずに衰弱し、象徴的な秩序もまた同じく相対化されてゆく、といった内田の歴史的展望は、分析の準拠点として「資本」をあらかじめ想定した、予定調和的な物語に見えないこともない。「無国籍な力の帝国」としての資本の領土に対して、「天皇の国土」は果たしてひたすらそれほど無力だったのか。少なくとも内田の分析が生彩を放っているのは、この「帝国」によって破壊/形成された風景としてのニュータウンにおける酒鬼薔薇事件や渋谷円山町のOL殺人事件をめぐる考察においてではなく、資本とテクノロジーがその「無国籍」な力を貫徹できず、異様な屈曲を見せてねじ曲げられた、「国土」の曲率を測定する局面においてであろう。
そして、例えば文部省唱歌『故郷』が、単に国民国家のイデオロギー装置としてではなく、経験したことのない「故郷」なるものを記憶させる仕掛けとして、一定の抽象的な社会的〈場〉、すなわち「国土」をリアルと感じる感受性の型へと向けて大衆を動員したという指摘は頷けるものであるとしても、そこには鈴木三重吉の雑誌『赤い鳥』を中心とする童謡運動のように、この力線に反発して逸れる動きもまた随伴していたことが忘れられるべきではない。「忘れがたき故郷」を風景の記憶としてかたちづくる歌と同じ時代に、「おうちが  だんだん 遠くなる  遠くなる」(野口雨情『あの町この町』)などと、子供を途方に暮れさせる歌が唱われていた。こうした細部がもつ歴史的意味は決して小さなものではない★一九。
国民国家といったイデオロギー的な収束点を前提としない地平で分析される微視的な政治技術は、大文字の権力によるものばかりではない、無数に拡散する力線を射程に収めなければならないはずである。「天皇」をめぐる三島や中上のテクストもまた、きわめて倒錯的な政治技術の実践にほかならなかった。そして、「天皇」や「国土」、あるいは「資本」の巨大な風景へと回収され、その「土壌」となることなく、局所領域で特異な歪みを形成した、童謡運動のような微視的な政治技術こそが、過去の地層から掘り起こされるに値するだろう。
そして、その政治技術を追跡する過程は二〇世紀日本にとどまることなく、はるかな深層に分け入ることを求めるに違いない。もはや「天皇」あるいは「国土」ではなく、カッチャーリが「ローマ」を思い出したように、「日本」を思い出すことが必要なのかもしれない。言うまでもなく、それは無国籍的な資本の力になりふりかまわずあからさまに媚びを売ったスーパーフラットな「日本的なもの」の捏造であってはならない。松岡正剛の言い方を借りれば、日本文化における「方法」、あるいは「日本」という「方法」を思い出すことが問題なのである★二〇。
建築における「日本的なもの」の言説を仔細にたどった磯崎新の回想的考察が示すように、「日本的なもの」は多くの場合、外部からの視線に対する応答として構成され、語られてきた。その論理が、例えば建築においてはブルーノ・タウトをはじめとする他者の評価を受けて形成されるとともに、歴史的に似たような構図を繰り返してきたこともまた確かだろう★二一。しかし、ここで問題としているのは、こうした他者を媒介にした自己の「本質」の認識ではない。
磯崎は「日本的なもの」の洗練、純化のプロセスを「和様化」と呼び、それは外部との交流による変成期のエネルギーを押さえ込み、枯渇させ、削り取ってしまうことで、危機的な時代に模索の末に発見された発生期における「日本的なもの」としての伊勢神宮、東大寺、桂離宮などとはほど遠い、と批判している★二二。だが、磯崎の言うように「和様化」のすべてが「たんなる日本的なクリシェ」かどうかは、建築という分野を離れれば、にわかには結論が出せないだろう。一般に「日本の美学」としてオリエンタリズム的に流通しているイメージが、「和様化」のプロセスそのものの理解に届いているとも思えない。
磯崎は、政治的・文化的外圧に対して島国日本が港を閉ざした結果として和様化が進行した、といったふうに語るが、むしろ、港を何ら閉ざすことなく、ある力のエネルギーを押さえ込み、枯渇させ、削り取ってしまう「方法」こそを、「和様化」に見いだすことはできないだろうか。それは例えば、松岡が枯山水や道元の「山水一如」に見ている「山水という方法」、「負」を介在させる方法である★二三。この「方法」が日本的閉鎖性の産物に過ぎないのか否かは問うてもあまり意味がない。重要なのは、この「方法」が文化の技術として現実に果たしてきた機能であり、ひいては微視的政治技術としてのそのポテンシャルだからである。
そして、磯崎自身もまた、建築における「日本的なもの」の問題構制を検討した挙げ句、即物的でリアルな生活に向かって「退行」してゆく『堕落論』の坂口安吾と、始源を再語りする「擬態もどき」によって歴史的な解釈を拒絶する「無常という事」の小林秀雄のうちに、戦時下における帝国の領土拡張とともに島国の境界がなし崩しに壊され、いわばスーパーフラット化する趨勢のなかにあって、その表層から分離し沈殿する残滓から自ら固有の問題を立ち上げる「方法」を見ている。「退行」および「擬態」というこの二つの方法は、島国の境界線や輪郭を枠組みとして必要としない。磯崎はこうした方法によって「ひとつの固有性スペシフイシテイをもつ〈しま〉」が浮かび上がると言う。

世界地図のうえに描かれてきた島国日本とは違って、「日本」という〈しま〉である。そんな〈しま〉が世界中に無数に発生する。グローバリゼーション状態のなかに沈殿物が発生し、これが〈しま〉をつくり、世界は無数の凝固物の集合体として、群島アーキペラゴとなるだろう。そのひとつの〈しま〉のつくりだされかたは「退行」や「擬態」のみならず、もっと多様に開発されねばなるまい。それができないと、〈しま〉は民族国家が想像の共同体であったのと同様に、ウェブサイトに想像的に立ちあげられているのだから、容易に消えてしまうだろう★二四。


われわれは二〇世紀日本の「国土」が、「民族国家」ないし「国民国家」をめぐるイデオロギー的枠組み(「国民国家の終焉」とは現代の強固なイデオロギーである)とは別の次元で、天皇をめぐる象徴的秩序や資本の運動をはじめとするさまざまな力線によって、それぞれ固有な曲率を与えられていたことを、内田の分析から教えられている。微視的に見れば、そこにはすでに〈しま〉が無数に生成消滅していたことが確認できるだろう。それゆえ重要なのは、歴史のなかで〈しま〉を生み出してきた数々の方法を思い出すことなのである。磯崎が「群島アーキペラゴ」を語るときに恐らく参照しているであろうカッチャーリの『群島=多島海アーキペラゴ』は★二五、そのような「方法」としてのヨーロッパを想起しようとする企てであった。
磯崎は二〇〇一年から十年がかりで画文集『百二十の見えない都市』の制作を続けている。第一期の十二都市は、漏斗都市、地中都市、垂直都市、方城都市、異物都市、浮揚都市、冥界都市、無停都市、蝸牛都市、蜃樓都市、乱磁都市、水辺都市。第二期は十二の「未完都市」が描かれる予定だという。完結するまでごく限られた購読者しか知ることのできないこの百二十の都市は、磯崎が秘かに作り出している〈しま〉だろうか。それらは名前だけからしても、十分異様で畸型じみて、例外的なものばかりだ。カルヴィーノよりも一〇年早く「見えない都市」という都市論を書いたのは磯崎その人だった。世界中を旅するこの建築家には、マルコの役回りがいかにもふさわしい。

『見えない都市』を見せることができれば、四十年前に口ばしったことの仕末ができる。あのとき虚だったものが実になっている。実だったものが虚になっている。虚虚実実というじゃないですか。『見えない都市』はそのどちらでもある。往復しています。その正体をどうやって引き出せるか★二六。


グローバル化の帝国という海に浮かべられたこれらの〈しま〉は、虚々実々の罠なのか。いずれにしても、百二十のマトリックスに収められたそれらは、都市をめぐる建築家の想像力が産み落とした、例外、禁止事項、矛盾、撞着、非条理からなる雛型、虚実皮膜の間から帝国に侵入する、異形の魑魅魍魎たちに違いあるまい。

3──磯崎新『百二十の見えない都市』より、「漏斗都市1」 出典=磯崎新版画展『百二十の見えない都市』カタログ (奈義町現代美術館)

3──磯崎新『百二十の見えない都市』より、「漏斗都市1」
出典=磯崎新版画展『百二十の見えない都市』カタログ
(奈義町現代美術館)

4──同、「蝸牛都市1」

4──同、「蝸牛都市1」

5──同、「蜃樓都市1」

5──同、「蜃樓都市1」


★一──アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート『〈帝国〉』(水嶋一憲ほか訳、以文社、二〇〇三)六─九頁参照。
★二──同、五七二頁、註二参照。
★三──次を参照。Massimo Cacciari: Exkurs üder das Imperium: Vom Ersten zum Dritten Rom. In: Massimo Cacciari: Wohnen. Denken. Essays üder Baukunst im Zeitalter der völligen Mobilmachung. Klagenfurt und Wien: Ritter, 2002, 108-131.
★四──ネグリ/ハート『〈帝国〉』四九一頁。
★五──次を参照。Massimo Cacciari: Roma mobilis. In: Cacciari, Wohnen. Denken., 71.
★六──ネグリ/ハート『〈帝国〉』四八九頁参照。
★七──南泰裕「都市に抗する都市──小都市の多数性と可能性をめぐって」、『10+1』No.31、一二〇頁参照。
★八──『見えない都市』の構造については、米川良夫「訳者あとがき」、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』(米川良夫訳、河出文庫、二〇〇三、二一八─二二三頁)参照。
★九──カルヴィーノ『見えない都市』一七五頁。
★一〇──同、八九頁。
★一一──同、八九─九〇頁。
★一二──同、一二八頁。
★一三──同、九三頁。
★一四──コンパクトな説明として、内田隆三『国土論』(筑摩書房、二〇〇二)五六八─五七一頁(「あとがき」)参照。
★一五──同、四六頁。
★一六──同、一二二頁。
★一七──同、一三一頁。
★一八──同、五七〇─五七一頁。
★一九──次を参照。松岡正剛『日本流──なぜカナリヤは歌を忘れたか』(朝日新聞社、二〇〇〇)五─二六頁、三〇三─三〇九頁。
★二〇──松岡正剛『山水思想』(五月書房、二〇〇三)四三二─四三七頁参照。
★二一──磯崎新『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)第一章、一一─一二三頁参照。
★二二──同、「あとがき」、三三一頁参照。
★二三──★二〇参照。
★二四──磯崎『建築における「日本的なもの」』一二三頁。
★二五──Massimo Cacciari: L'arcipelago. Milano: Adelphi, 1997.
★二六──磯崎新「『百二十の見えない都市』制作にあたって」、磯崎新版画展『百二十の見えない都市』展覧会カタログ(奈義町現代美術館、二〇〇二)三頁。

*この原稿は加筆訂正を施し、『死者たちの都市へ』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.32

特集=80年代建築/可能性としてのポストモダン

>マイケル・ハート

1960年 -
思想家。デューク大学文学部准教授。

>マルチチュード

マルチチュード(Multitude)。中央的な制御が及ばない群衆=多数性、ラテン...

>南泰裕(ミナミ・ヤスヒロ)

1967年 -
建築家。アトリエ・アンプレックス主宰、国士舘大学理工学部准教授。

>内田隆三(ウチダ・リュウゾウ)

1949年 -
社会理論、現代社会論、マスコミ論。東京大学大学院総合文化研究科教授。

>スーパーフラット

20世紀の終わりから21世紀の始まりにかけて現代美術家の村上隆が提言した、平板で...

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>ブルーノ・タウト

1880年 - 1938年
建築家、都市計画家。シャルロッテンブルグ工科大学教授。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...