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バイク──「働く」ことの再発見 | 三浦展
Motorbike: Rediscovering"Work" | Atsushi Miura
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション, 2000年12月発行) pp.54-55

先日ロンドンのテレビ制作会社から国際電話が来た。ガングロはどうして生まれたのか? パラパラは盆踊りに似ているそうだが、どんな踊りか? という取材であった。日本の若者といえば、ガングロとパラパラを取り上げるというのは、いかにも安直で、日本人としてうれしくないと言うと、でも海外から見ると不思議なんですという答え。そりゃ、日本人でも不思議だよ。
閑話休題。かくのごとく、テレビというのは若い女の子の流行には敏感である。そのほうが絵柄としてキャッチーで視聴率が稼げるからだろう。なので、今年最大の若者風俗的流行である中古改造バイクについては、いかなるテレビも報道していないような気がする。
が、なんてったってバイクでしょ、今年は。三年前くらいからじわじわと広がっていたが、この一年で激増した。
その改造の手法は、たとえばバイクにペンキを塗る。木目や豹柄やサイケ柄を塗る。あるいは塗料をはがす。泥除けをはずす。泥除けが壊れたままにする。壊れたところにガムテープを貼る。シートも破けたままにする。破けたところにビニールテープを貼る。シートそのものをはずす。金属部分を錆びたままにする。車体に泥が付いたままにする。建築用のパテを塗りたくる。などなど。つまり、走りをよくするという改造ではまったくない。チューンナップはスカスカに、走りより外見。できるだけ汚くする、壊すのが今どき。
本欄前号でも述べたように、むしろ、快適さ、かっこよさについての感性がまったくこれまでとは違ってきているのであろう。新しさ、清潔といった二〇世紀的価値とは反対の、古さ、傷、汚れ、不潔さといったものが積極的な価値をもち始めている。「輝く都市」ではなく「汚れた都市」。
生きているから傷つく、働いているから汚れる、そういう当たり前のことが近代的価値観では否定された。それは急激な工業化と人口増加によって、都市が汚物と煤煙と騒音に溢れ、生活環境としてあまりにも劣悪になったために、居住機能を郊外に求め、そこで清潔で健康な生活が繰り広げられたからである。言うまでもなく、郊外都市の提案は一九世紀の社会改良思想にさかのぼり、それが一九世紀末にエベネザー・ハワードが著した『明日の田園都市』(長素連訳、SD選書、一九六八)として結実する。したがって二〇世紀は郊外田園都市が理想化された時代であり、ヨーロッパでもアメリカでもロシアでも郊外に住宅地を建設することが文明の進歩の表現であり、他国に対する優位性を示すものと考えられた。太陽と緑ときれいな空気のある郊外。そこにある新品の住宅。よごれのないキッチン。ピカピカのガラス窓……。それが二〇世紀の郊外の価値だった。
だが、どうも最近若い世代と話していると、そんな郊外住宅地や新築の建物や店に魅力を感じる人はあまりいない。むしろ職住が一致した街や生活への関心が高まっていることを実感する。畳屋とか豆腐屋とか、働く人の姿が見えて、しかもそれが生活の場でもある、まさに生業のある風景が若い世代を引きつけている。高円寺や下北沢には、そういう昔の商店街の風景がまだ残っていて、だからこそ若い世代はそういう街に魅力を感じている。
生業の場は、つねに人も機械も道具も、自然に汚れ、傷ついている。毎日手入れをしても、機械も道具も仕事場も作業着もしだいに汚れ、傷つき、へこみ、錆びていく。しかしそうであるがゆえに、何とも言えぬ味が出てくる。
おそらくキーワードは「働く」だ。働く人間、働く道具、働く機械、働く街……。そうしたものがわれわれを引きつける。
中里和人の写真を掲載した『小屋──働く建築』(INAXブックレット、一九九九)もそうだ。というか、私が「働く」という概念に目覚めたのはまさにこの本のタイトルを見たからだ。そこには日本中の農村漁村で撮影された小屋が並んでいる(最近メディアファクトリーからも同じ中里和人による写真集『小屋の肖像』が出版された)。
「働く建築」とは何と秀逸な表現であろう。まさに小屋は働いている。つまらない存在、誰も気にとめない存在である小屋は、ゆっくりとではあるが、確実に、昔から働き続けている。そして、屋根はやぶけ、壁は腐り、扉は傾いている。しかし、だからこそ小屋は生きている。樹齢何百年の樹木に神を見るように、働き続けた小屋にもわれわれは神のようなものを感じる。古老のもつ動かしがたい存在感のようなものだ。
そして「働く」というキーワードから街を見わたせば、「働く空間」としての工場や商店、しかも何十年も使われ続けて、汚れ、傷ついた工場や商店が、いま、独特の味を感じさせる空間として評価され、カフェやインテリア・ショップやブティックなどに生まれ変わっている事例に事欠かない。中古改造バイクの流行が示すのも、この「働く」という概念の再発見なのである。

表参道、代官山、高円寺、下北沢で すべて筆者撮影

表参道、代官山、高円寺、下北沢で すべて筆者撮影

>三浦展(ミウラ・アツシ)

1958年生
カルチャースタディーズ研究所主宰。現代文化批評、マーケティング・アナリスト。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション