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密集市街地とアートマネージメント | 三宅理一
Dense Urban Areas and Art Management | Miyake Riichi
掲載『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) pp.205-211

「どこにもあり、どこにもない」町

木造密集市街地の計画が一筋縄では行かないことは、これまでに何度も述べた。二〇世紀の負の遺産ともいうべき密集市街地を前にしながら、それを正に転ずる計画論がなかなか生まれにくい下地があったのは確かで、その点をブレークスルーするにはどのような考え方が有効なのかをここで若干検証してみたい。
実際のところ、木造住宅密集地域の建て替えや更新を都市再開発や区画整理の定石に従って進めていくとすると、プロジェクトが完了するまで何年かかるか予想すらできない。このような密集市街地は通常、経済的に落ち込んでいるのが一般的で、また地域経済をリードする企業にも恵まれていない。さらに土地や家屋の権利関係が複雑で、その調整だけで一〇年や二〇年は平気でかかってしまうような土地柄である。だからといって、手をこまねいて傍観していると、権利関係はより複雑となり、歓迎されざる移住者が住みついてしまうことも大いにありうるわけで、長期的な方針だけでなく、現実の推移を見はかりながら中短期的なアクションプランも同時に立てて行かなければならない。
問題は、そのアクションプランの中味である。地域活性化ということで、どの都市でも地域振興の部局が手を代え品を代えいろいろなメニューを用意してくるが、行政主導に頼っていては公共依存になりがちで、自発的に都市を変えようという意思が育たない。本来的にはそのプログラムをみずから主体的に進める住民や民間サイドのイニシアティヴが必要で、その有無が実際にその地区が生き残るか残らないかを決定するようにも思われる。昨今、地域の産業の競争力をつけるため、生産システムの改良や新たな地域ブランド商品の開発などが好んで行なわれているようだが、それとて内部のパワーがなければ、掛け声だけで終わってしまう。
そんな時に、地域振興の手だてとしてのアートの役割が浮かび上がりつつある。もともと地域振興と芸術活動はまったく別の世界にあり、そもそも両者が交わること自体、奇妙かつちぐはぐな印象を与えるものだ。しかし、翻って考えてみると、芸術とは人間の本質を深くえぐりだし、人間性に直接関わる性格をもっており、社会の生々しい現実を一瞬にして人々の内奥に触れるメッセージに変換して伝達する力を有している。その力が、土地や場の力となって真正面からぶつかってくれば、その場所の本質を完全に変えてしまうことも可能だろう。梱包という強烈なオブセッションによって都市も砂漠も変えてしまったクリストや、溢れる光という観念で人間を至福の境地に到らしめるジェームズ・タレルの例を引くまでもなく、そのような例は世界各地で眼にすることができる。
しかし、ここで扱おうとしているのは、そこまで強烈な個性を反映したアートではない。むしろ、人間の住まう場所とアーティストの存在が微妙に関係しあい、その相互の作用が相乗的な効果を与えるアートワークの可能性を問題としたいのだ。木造密集市街地という出口なしのコンテキストに対して、それをときほぐし、今まで予想もしなかった新鮮なヴィジョンをつくりあげる仕組みと理解しても構わない。アートの側からいえば、芸術のための芸術ではなく、リアルな人間世界に対して一貫して批評性を保持した芸術活動であり、その一点において社会と強い繋がりを有するのである。
同じ文化とはいっても、仮に文化財的な側面から密集市街地に関わろうと思うと、京都や奈良の中心市街地程度の良質な集積が前提となるが、多くの場合、密集市街地は安普請の長屋や共同住宅で埋められているほうが普通だから、たとえ古いからといって伝統的建造物保存地区のような制度上の枠をかけるわけにはいかない。地方自治体が独自の解釈を行なって建造物の保護や修理に補助金が出る仕組みを作ることは、おそらく一定範囲の地方都市なら可能かもしれないが、東京や大阪のような大都市には、そのような歴史文化性に彩られた町並みは皆無である。
しかし、アートの凄みは、歴史や文化の集積とは必ずしも一致しない「どこにもあり、どこにもない」場所に、突如としてその根源的な力を見せつけることができることである。一九世紀以来、芸術活動の器として機能してきた美術館は、アートを特定の施設の中に集約させて、人々にその価値を分配するもしくは体験させることを目的としているわけだが、今日のアートの現場は必ずしもそのような美術館を必要としない。たとえそれが廃墟であってもスラムであっても、その中に入り込み、そこから人間の根幹に関わる何かを引き出して人々に荒々しく表現するに到った時、アートのアートたる所以が開示されるのであって、ただ美術館の中に置いてあるからといって自動的に芸術作品として認知されるわけではない。
この数十年の間に、パブリック・アートなる分野が欧米で急速に成長し、日本でも八〇年代以降盛んとなった。その特徴は、都市の公共空間の中に作家性に裏付けられた作品を設置し、市民の誰もが自由に作品に接することができるようになるとともに、公共空間の格を高めることが意図されている点である。公開性、市民性、品位、そして芸術性が主題となる。古くはピカソ、デュビュッフェ、カルダーなどがモダニズム都市のオープンスペースを飾り、それに引き続いてイサム・ノグチ、マルタ・パン、ダニ・カラヴァンらが新しい公共空間を意味付けていった。公共建築の建設費の一パーセントをアートに回すというフランス発の制度も各地で定着し、かなり前から大規模な公共工事には画廊やアート・ディーラーが入って相当の仕事を任されるようになっている。しかし、木造住宅密集地域はそのような公共空間とは無縁の場所柄であったせいか、誰もアートに関心を払ってこなかった。アーティスト自身も整備された都市空間のほうばかりに気を取られて、面倒な密集市街地で活動するといった方法論を身につけていなかった。
だからといって、密集市街地が芸術性に欠けるというわけではない。アートのもつ根源的な批評性を前面に押し出すことを前提とするならば、木密地域はむしろ潜在的にその可能性を秘めていたというべきだろう。「どこにもあり、どこにもない」場所の最たるところが、わが国でごく普通に眼にすることのできる密集市街地なのである。そこに入り込むことによって、密集市街地の問題が浮き彫りにされるはずである。以下、市街地環境へのアクションプランとしてのアート・プログラムの役割をこれまでの経験にもとづきながら説明していきたい。

1──Pia Lindman《Ugoku Sento》

1──Pia Lindman《Ugoku Sento》

アーティスト・イン・空家

アートワークが密集市街地に仕掛けるうえで大きな意味をもつのは、おおよそ次のような理由からだろうか。ひとつは、どこか不条理を含み込んだこの都市空間が、アーティストに場とテーマを提供し、彼らの想像力を刺激して、そのまま芸術表現に到らしめる可能性を秘めていること。もうひとつは、空家化が進む密集市街地に空家を利用してアーティストを住まわせるアーティスト・イン・レジデンスの仕組みが導入可能であること。空洞化が進む中心市街地は、その意味で格好の材料をアーティストに与えている。
筆者は研究室のメンバーとともに、二〇〇〇年から墨田区京島地区のアート・プログラムに関わってきた。同年秋に立ち上げたプログラムは、空家化が顕著となったこの地区に空家や空きアパートを借り上げ、海外からのアーティストを招いて住まわせ、現地にて制作とインスタレーションを行なうことをその骨子としている。芸術家が住まいながら制作を行なう場所を一般的に「アーティスト・イン・レジデンス」というが、ここではそれを空家で行なったので、活動名称を「アーティスト・イン・空家」と名付けた。その詳しい内容については別に発表しているので、詳細はそちらに譲るとして、その概要は以下の通りとなる。
二〇〇〇年度のプログラムの規模は特に大きいものではなく、四名のアーティストの招聘、彼ら(彼女ら)によるアートワーク制作とインスタレーション、シンポジウムの実施などをそのコンテンツとした。アーティストの内訳は、フィンランドから三名、エストニアから一名であり、国際的にきわめて知名度の高いアーティストを選定した。その際、なぜかフィンランド勢はすべて女性であった。この四名を京島地区に招き、数週間にわたって木造住宅にみずから住んでもらい、地元の協力を得ながらそこで制作活動を行なった。
この活動はそれなりの戦略のうえに組み立てられている。そのひとつは空家の暫定有効利用の仕組みを探り、それを芸術活動の場として文化的・生産的なかたちに組み換えることである。さらに、国際ネットワークのなかですぐれたアーティストを招聘し、キュレーターとアーティストのネットワークのなかに京島地区を入れ込むことであった。また、地域の問題を咀嚼し、アーティストの問題意識と擦りあわせることを重要視した。それによって、京島という場所を行きがかり上用いて土地とは関係ない作品展示を行なうのではなく、京島の地に擦りこまれた歴史や地域性、生活の痕跡に立ち入りながら問題が熟成され作品となって現われる方向をめざした。つまりはサイト・オリエンテッドな方法である。
それゆえ、この準備にはかなりの労力を割いている。準備作業は二〇〇〇年の初めから行なわれ、「次世代街区フォーラム」における予算措置、フィンランドの文化振興機関であるフィンランド・センターによる芸術家派遣プログラムの交渉などを通して、日欧共同プログラムとしての体裁を整えた。アーティストの選定は、フィンランド・センターが用意したアーティスト候補者リストから、京島の予備調査の結果明らかになったアートワークのための必要要件に即して絞り、さらに研究室メンバーがフィンランドにて候補者と直接会い、最終決定に至った。また、住民との協議、行政への説明、学生を対象とした予備ワークショップの開催など、地元でも精力的に活動を行なっている。
やや手前味噌ではあるが、アート・イヴェントにはやりプロフェッショナルな準備が必要であり、キュレーションなしにはその方向と内容が決まらないことを強調したい。というのは、昨今、その点を無視して進めるアート・イヴェントが少なくないからである。
実は、今回のプログラムに若干先だって、この地区で東京に住む外国人の若いアーティストたちのインスタレーションが行なわれていたが、地元との擦りあわせがあまりなかったせいか、住民の理解を得られずアーティストの自己満足だけで終わっていた。実際の印象でいえば、キュレーションが欠如した美大の学祭程度の展示であり、それはそれでよいとしても、掃除を含めて後始末がきわめて悪かったために仲介にたった行政や住民代表が困り果てていた様子を思い出す。
京島の「アーティスト・イン・空家」は、アートを地域戦略として組み上げるという問題設定のもとで展開が可能であったわけで、二〇〇〇年度の実施の後、本年度に入って今度はパートナーとしてフランスを選び、同様の手続きで次の準備が進んでいる。京島に隣り合う向島地区で開かれている「向島博覧会」からは、強いインスピレーションを受け、またそれと協力していることを申し添えておきたい。
アーティストが住み込む、ということは、地域戦略上、きわめて重要なことである。そのため最近では、世界各地にアーティスト・イン・レジデンスの制度ができ、主として公共の補助のもとでそれを運営している。若いアーティストの研修の場として利用されることもあれば、一定の評価を得たアーティストを招いて、じっくりと制作に励んでもらう場合もある。わが国では、茨城県や埼玉県などがその仕組みを作り、着実な成果を挙げつつある。その一方で、しばしば海外のアーティストや美術館関係者からなぜ東京にはそのような施設がないのかと質問を受ける。あるいは、若手のワークショップを東京で行なう時に、然るべき施設や宿舎がないのはなぜかとも尋ねられる。理由は、東京のとてつもない地価で、そのような悠長な目的にスペースを割くディベロッパーもなければ、自治体も財政難に悩み、そのような予算を確保できないためだ。現代美術館やイヴェント・スペースなどはそれなりにあるにせよ、一日五〇万円から一〇〇万円の賃料を取らないとペイしないスペースとなっており、とても無名のアーティストにそのような場所を提供することはできない。
「アーティスト・イン・空家」の目標のひとつは、そうした不動産神話を突き崩すことにある。美しく飾られたイヴェント・スペースで行なうアートイヴェントは確かにそのビルの付加価値を増し、芸術性溢れる東京のビジネス環境を演出するかもしれない。芸術好きのビルのオーナーや企業人のスノビズムをくすぐるだろう。むろん、企業メセナが云々される今日、そうした金満家たちのボランタリーな努力を無にする必要はまったくないが、少なくともアーティストやキュレーターは無条件にそのようなオファーを受けるのではなく、時代の問題をどのように読み取り、みずからそれを引き受ける用意があるのかを明らかにしなければならない。
密集市街地の空家は、これまでのアートスペースの観点から見るとまさにその盲点であり、不動産価値では言い表わすことのできない深い内容を含み込んでいる。さまざまな理由があってその場所が空き、占有者がいなくなった不在の状態を指し示している。アーティストの参画は、この「不在」の証明を行なうことにほかならず、密集市街地が抱えている複雑な背景と人間関係を顕在化させる意味合いをもつ。他面、施設利用的な視点を入れるとするなら、空家の暫定利用ということで、その借上げシステムができ、またアーティストという新住人が高齢化の進む地域に新鮮な活力を与えることが期待されるわけだ。このような仕組みはまだ組織化されておらず、企業化もされていない。NPO的な法人がよいのか、あるいは地域ボランティアがよいのか、議論はまだ収斂していないが、短中期的には、結構使い勝手のあるシステムとなりそうである。

2──Marja Kanervo《Three houses》 撮影=平剛

2──Marja Kanervo《Three houses》
撮影=平剛

3──Marja Kanervo《Three houses》 撮影=平剛

3──Marja Kanervo《Three houses》
撮影=平剛


4──Minna Heikinaho《About KYOJIMA》

4──Minna Heikinaho《About KYOJIMA》

5──Minna Heikinaho《About KYOJIMA》

5──Minna Heikinaho《About KYOJIMA》


6──Vergo Vernik《Untitled》 撮影=平剛

6──Vergo Vernik《Untitled》
撮影=平剛

6──Vergo Vernik《Untitled》 撮影=平剛

6──Vergo Vernik《Untitled》
撮影=平剛

戦略としてのアート・プログラム

日本各地を眺めると、中心市街地をアーティストのために活用する試みは確実に増えているようである。よく知られているものでは、京都の西陣での活動があり、金沢でもそのような動きが芽生えている。芸術大学がある都市では、大学での活動の延長としてそのような市街地でフィールドワークやワークショップを行なう機会が多くなり、地元の企業人や住民と協力した仕組みづくりが盛んなように見受けられる。成功している例は、必ずといってよいほど、すぐれたリーダーがおり、その人物の地道かつ献身的な活動によって組織が動かされているということだ。多くの場合、彼らはアーティストではなく、地域貢献をめざす人間である。都市計画を学び歴史と地域のエキスパートを認じる人、NPOで仕事をこなし国際的な幅広い経験を積んできた人、建築を学び建築ウオッチングを趣味とする人、青年会議所を通して地域の問題に長年関わってきた人、主婦でありながら幅広い素養と知識から活動をリードする人。背景も職歴もまったく違った人たちがこうした活動を支えている。
それでもやはり地元に然るべき大学があるところとないところでは、マンパワーひとつをとってみても違いは歴然である。若さと体力を誇る学生たちが加わっているのといないのとでは、活動様態に大きな差が出てくる。古い建築を活用しアートイヴェントやシンポジウムなどに用いる場合、工務店に発注してその改装を行なうのとボランティアの手によって行なうのとではコストがまったく異なってくる。限られた資金のなかで活動費を運用する団体であればこそ、学生ボランティアの力は大きい。そうした活動についての正確な統計は存在しないが、全国で八〇〇ほどある大学・短大で仮に一校あたり一〇〇人から二〇〇人の学生が活動したと計算しても、全国で一〇万から二〇万人の若者が無償で動いたことになり、その効果は数のうえでは軍の規模に匹敵する。誰か、このあたりの効果を正確にはじき出してほしいものだ。
もちろん重要なのは数ではなく、質と内容である。すぐれた組織とリーダーシップに裏付けられているところは影響力をもち、他のモデルとなっていく。まちづくりのなかにアートを位置付けているところは、たとえば新潟県の妻有のように地元自治体が合同してアートイヴェントを開いているような例もあるが、中心市街地問題とリンクしている例はまだ少ない。妻有のように莫大な資金を投入して世界の有名芸術家を集め、アート・ブランドを高める戦略もあながち否定はできないが、プロデューサーたる北川フラム氏の存在なくしては成立しないわけで、ドイツのカッセルをめざすという望みをけっして捨てないということをただただ祈るばかりである。地方であればあるほど、行政主導の感が強いのは否めないが、「首長の見識」ばかりに頼っていては成熟したアートの世界には至りえないのである。
ところで、密集市街地は、墨田区京島地区を出すまでもなく高齢化が進んでおり、そうした場所では若い人の存在そのものが重要である。だから、日本人の若手芸術家育成のために空家を活用しようとなると、これが本当に難しい。こうした空家は、複雑な権利関係の空隙に生み出されたもので、単に前の居住者が死亡もしくは転居しただけで発生するものではない。多くの場合、そこに住んでいたのは借家人であった。古くから住んでいる彼らの居住の権利は旧借家法によって保護されており、その権利は、たとえ本人が死去してもそこに同居していた子供の世代にまで及んでいる。老朽化した住居を早く取り壊し、住宅市場で取引したいと思っている地権者にとっては、ほとんど不良債権のようなものである。だから、何らかの理由でその住宅が空家になった場合には、地権者は次の借家人を入れたがらない。長屋についても同じで、それぞれの部屋をひとつひとつ空にしていって、最後は取り壊すことを考えている。たとえアーティストであれ、そこに新たに誰かを居住させてしまえば居住者の権利が発生することになり、地権者にとってはゆゆしき問題となる。
大都市圏の密集市街地はおおよそこのような問題を抱えており、それが新たに若手を住まわせることを阻む要因となっている。京島の「アーティスト・イン・空家」が比較的順調に進んでいるのは、外国人アーティストの一時居住ということで地権者の理解を得るのに成功した点が大きく働いている。しかし、問題の本質からいえば、あくまでも国籍に関係なくアーティストの場所を確保するために、「空家借り上げ機構」のようなある程度公的な資格をもった団体が期限を保証して空家を借り上げるかたちにするのが望ましい。もちろん長期的にはこの地区のマスタープログラムを描いて地域の更新や建て替えの手順や方式を明確にしておく必要がある。
アーティストの存在は、このような密集市街地にとっては、まったく新しい価値を生み出すためのエージェントのようなものである。世界的にこのような例は多く知られており、かつてのニューヨークのソーホー、パリのマレー地区、西ベルリンなど、大都市であればあるほど、老朽化した地区であればあるほど芸術志向の人間を惹きつけた。彼らの数がある程度となり、またそこから生み出される作品がマスとして一定の高い水準に達した時、その地区はアートの先端として認知される。京島を初めとするわが国の密集市街地に、果たしてこのような戦略が可能なのかはまだ結論が出ていないが、都心への近接性、安い家賃、町工場や空き店舗などの利用、そして何よりも芸術的インスピレーションをかきたてる凄みのある環境がそろっている。こうした条件を表に出し、アートの町としての密集市街地を誘導していくことができれば、今後の都市の有り方にとっても新たなプログラムの提案ということになるだろう。
二〇〇二年秋にフランスと共同して行なわれる京島地区の「アーティスト・イン・空家」に注目頂きたい。

>三宅理一(ミヤケ・リイチ)

1948年生
慶應義塾大学大学院政策メディア研究科教授。建築史、地域計画。

>『10+1』 No.29

特集=新・東京の地誌学 都市を発見するために