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ジャック・デリダ『コーラ──プラトンの場』 「場」のおののきを聞く | 廣瀬浩司
Jaques Derrida, "Khoa": Recognize Baeven on Ortes | Hirose Koji
掲載『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) pp.44-46

「コーラ」とは、プラトンの宇宙創世論『ティマイオス』の用語で、場所のこと、それもたんなる空虚な場ではなく、そのなかに何かがあったり、誰かが割り当てられて住んでいるような場所のことである。製作者であるデミウルゴスは、範型となる形相を眺めながら、それをモデルとして感覚的な似像を作り出すのだが、そうした似像がかたち作られたり、刻み込まれたりする「場」、それがコーラと呼ばれるのである。
プラトンのこの用語にデリダは初期から注目していた。一九六八年初出の「プラトンのパルマケイアー」(『散種』所収)で、この語は「痕跡」や「間隔化」などのデリダ的な概念と密接に結びついていた。コーラとは、いっぽうではさまざまな形相が書き込まれる受容者であるが、それ自身はけっして現前しない。それはあらゆるものを受け入れながら、白紙のままであり続ける。このように母でありながら永遠の処女であるような場に、デリダは「根源的な書き込みのアポリア」を見ていた。世界の起源は痕跡である。それはけっして現前しなかった出来事の痕跡であり、みずからを抹消しながら働くような痕跡の痕跡なのだ。現前と不在の二者択一では説明できない痕跡の場、起源という点を内側から分割し、線状的な時間を攪乱するアナクロニズム(時間の錯誤)の場、この場をデリダは「間隔化」と呼んでいた。コーラとは、間隔化におけるこうした時間の錯誤そのものとして、刻印に場を与えるのである。
本書『コーラ』は、「プラトンのパルマケイアー」の考察を取り上げ直し、この言葉がプラトンのテクストそのものにおいてどのような役割を演じているかを示そうとしたものである。
まずデリダは、コーラは感覚的でも叡智的でもなく、生成でも永遠でもなく、またそのどちらでもあるような「第三の種族」に属することを確認する。相互排除の論理にも、分有の論理にも従わないこのような第三の種族については、哲学者は「擬いの推理」すなわち父なるロゴスの保護を受けないような「私生児的な推理」を用いながら、「夢見心地」の状態で垣間見ることしかできない。だがこのようにロゴスの世界を逸脱するコーラについての言説は、単純なミュトス、神話でもない。神話とロゴス、虚構と現実の対立の彼方において、コーラこそが物語に場を与え、さらにはアリストテレスからハイデガーに至るコーラについての解釈をうながすとともに、それらに抵抗し続けるのだ。
第二にコーラは性的差異にも関係する。プラトンは受容者たるコーラを母にたとえる。範型となる形相が父であり、感性的な似像が息子である。だがこの母は父とはカップルをなさず、父と息子の系譜からは外れてしまっている。この意味でもコーラは、父と子、すなわち叡智的なものと感性的なものという対立に場を与えはするが、それらに対しては「他者」とすらなりえないような非対称的な位置にある。それは何も生み出さず、たんなる母胎でも起源でもないのだ。
そして本書においてもっとも興味深いのは、対話の相手に言葉を「与える」者としてのソクラテスそのひとが、じつはコーラそのものに似ているという指摘である。ソクラテスは、たんなる模倣者である詩人や、定住もせずにさまようソフィストを模倣するいっぽうで、ロゴスの担い手たる対話者の視点から模倣者たちを糾弾してみせる。こうしてみずからを二重化するソクラテスは、対話の相手に発言権を「与え」、ソフィストと真の哲学者のあいだの第三の場へとみずからを消し去りながら、コーラのごとき「受容者」となる。他者に言葉を与え、無条件の歓待の場を与え、それでいてじつは何ものも与えていないばかりか、一種の絶対的な受動性のうちにあるような場所、これを受動性と能動性のカップル、たとえば贈与とお返しのシステムや、負債の論理などによって説明することはできない。何も与えずに与え、何も受け取らずに受け取る場として、コーラはあらゆる負債の彼方にあるのだ。
一九八七年初出(一九九三年刊行)の本書をきっかけに、コーラという言葉は、デリダが「政治化」したと言われる八〇年代後半から九〇年代前半のさまざまなテクストにおいて重要な役割を演じるようになっていく。否定神学と脱構築との関係について論じた「どうして語らないか」(『プシュケー』Psych誌且jや『名を救って/名を除いて』Sauf le Nomなどにおける考察を経て、九四年のカプリ島での宗教についての学会での講演「信と知」において、コーラは、他者との関係そのものを可能にし、他者を無限化するような場として捉え返されている。それは神聖化されることも、神学化されることも、人間化されることも、歴史化されることもないような「無限の抵抗の場そのもの」として提示されるようになるのだ。とりわけあらたな宗教戦争として展開する「場」のポリティクスについては、たんなる宗教の歴史、信仰の歴史として内在的に語ることもできなければ、遠隔技術やバイオテクノロジーに支えられたグローバリゼーションの結果として外在的に語ることもできない。コーラは内部と境界における「試練」として、国際法やナショナリティや国家主権といった概念を問題にするのである。たとえば「無国籍者」と呼ばれる人々が、けっしてアイデンティティを問いただされることなく到来する場、そうした歓待の場がコーラなのである。
こうしたデリダ思想の展開からみればいわば副産物ではあるが、本書は建築家ピーター・アイゼンマンとの共同作業を生み出した。デリダ自身がこの共同作業に関係していたチュミについてのテクスト「フォリーの点──今、建築」(Point de folie─maintenant l'architecture[『プシュケー』所収』])で強調するように、本来脱構築とは構築の反対物ではなく肯定的な作業であり、間隔化という隔たりを隔たりとして維持する、というかたちで「建築的」であっても不思議ではない。刻印がひとつのパフォーマティヴなものとして空間を作り出すという出来事を、建築として実現することはできないのか。哲学的なテクストにおける建築術的概念(基礎付け、体系など)を脱構築するデリダの作業は、脱構築的な建築に場を与えることができるのではないか。設計者でもあるデミウルゴスについてのテクストに対するデリダの読解である本書こそが、そのための出発点となるのではないか。
だがアイゼンマンとの共同作業の記録である『コーラ・ル・ワークス』Chora L Worksという書物を読むならば、コーラという表象しえないものを現実化するというこのプロジェクトは、およそデリダ理論と建築的実践のコラボレーションなどという単純な共同作業としては実現せず、さまざまな困難や葛藤をはらんでいたことがうかがわれる。ついに実現しなかったこのプロジェクトの過程についてここで詳述することはできないが、デリダははじめ、たとえば砂や水の表面に、反射によって何かが映し出され、訪問者の動きによって形が変化し、なにも痕跡を残さないような仕組みを夢見たという。アイゼンマンとの長い議論の末にデリダが提出したデッサンは、宇宙に震動を与えるふるいとしてのコーラという「比喩」から発想されたものであり、この篩が水平でも垂直でもなく、斜めに置かれている。それは篩であると同時に一種の弦楽器にも似ていて、コーラをコーラル(合唱的)なものとするというのだ。
コーラについての考察のいわば「私生児的な」副産物であったこの共同作業は、おそらく脱構築的な建築理論の概念操作や、刻印、署名、エクリチュールといった記号論的なモデルを超えたところで、デリダの身体のほとんど幼児的な「おののき」(キルケゴール)を伝えてくれてはいないだろうか。内部と外部の境界という「コーラの試練」の場において、ソクラテスのように模倣者を模倣し、みずからを二重化することによって震動する身体のおののき、それは自己と自己との差異そのものについてのおののきである。それはまた、けっして現前せず、予測不可能であると同時に、つねにすでに到来していたものの切迫に対する「おののき」でもある(『死を与える』Donner la mort)。このほとんど宗教的な「おののき」、いや、宗教的なものに場を与えながら、それ自体は神学的でも人間学的でもない「おののき」こそが、間隔化にリズムを与えているのだ。建築理論家はこのリズムを聞き取ることができるだろうか。

1──ジャック・デリダ 『コーラ──プラトンの場』(守中高明訳、 未来社、2004)。

1──ジャック・デリダ
『コーラ──プラトンの場』(守中高明訳、
未来社、2004)。

2──Cora L Worksにおける、 デリダがアイゼンマンに宛てた手紙 出典=Jacques Derrida and Peter Eizenman, Cora L Works, The Monacelli Press, 1997.

2──Cora L Worksにおける、
デリダがアイゼンマンに宛てた手紙
出典=Jacques Derrida and Peter Eizenman, Cora L Works, The Monacelli Press, 1997.

>廣瀬浩司(ヒロセ・コウジ)

1963年生
筑波大学人文社会科学研究科・大学院 准教授。フランス思想・現象学。

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